ブラジル音楽を前進させる13年ぶりの新作『ケアフル・マダム』
来年には出そうと思っているよ、といっていたのが本誌で前回取材した2014年の暮れ。結局2年越しとなったが、彼はちゃんと約束をはたした。私は口では10年待ったのだから、何年経とうが待望の新作には変わりありませんよ、納得いくものをつくってくださいとかなんとかいいはしたが、はやく聴けるにこしたことはない。その念願が叶ったのだ、めでたい、気分はほとんど正月である。じっさい正月に出るのだけれども。ところであなたはそれはだれのなんという作品か問いたい。
いうまでもなくアート・リンゼイである。ノーウェイヴの旗頭であるDNAの創設者であり、ラウンジ・リザーズやゴールデン・パロミノスといった個性派集団でも突出した異能ぶりを発揮し、ピーター・シェラーとのアンビシャス・ラヴァーズでポップ音楽に新たな波風をたてたアート・リンゼイは曖昧な肉体の意の表題のソロ1作目『O Corpo Sutil』であきらかにブラジル音楽を主眼に据えたが、作品をかさねるごとにアングルとフェイズを変え、6作目となった2004年の前作『Salt』では打ち込みによるリズムの(デ)コンストラクションによりアフロ・ブラジル音楽のとらえなおしをはかった。そしてそれは同時代の音楽と親和性をもちえたがゆえに長い沈黙に首を傾げた者のもすくなくなかった。理由については2年前に訊ねたので詳細はそちらに譲るが、アートの音楽はそのあいだも止まっていたわけではなかった。リオに居を移し、バイーアのパレードに着想をえた集団パフォーマンスを実践し、ときにヴォーカルとギターのみのソロ・ライヴで世界をまわった。ソロ活動20周年を祝ったベスト盤『Encyclopedia of Arto』の「Live」パートはその証左だが、「Best of」と題したキャリア総覧的セレクションは歌手アート・リンゼイの歌の発達を雄弁に語っていた。その二面――どころか、手練れのプロデューサーであり官能的なリリシストである、多面に分化したアートの像は聴く者を合わせ鏡のなかに誘いこむように魅惑する。
Cuidado Madame――英語に直すと「ケアフル・マダム」となる新作をベスト盤につづけて耳をとおせば、実験と官能のあわいに漂いけっして一方の極に身を寄せない不動の浮動性に耳がいく。メロウな歌唱に冴えた実験性をひそませながら音は形式と離反する、ときに密着する。いずれにせよ自由である、自在である。『ケアフル・マダム』でアートはあらたにバンドをたちあげた。そのいきさつを「メルヴィン(・ギブス)がまずドラマーのカッサ・オーヴァーオールを見つけてきた。彼は若手ジャズ・ドラマーでありながらヒップホップのバンドに参加しラッパーでもある。そこにカッサとスタジオをシェアしていたポール・ウィリアムスが加わり、そのふたりとよく活動をともにするマイク・キングというオルガニストが参加し、別のルートからパトリック・ヒギンズ――彼はZsというアヴァンギャルドなバンドのメンバーでもあるんだけど、私は彼のギターの音色が好きで、彼にも入ってもらった」とアートは語る。ようはバンドなのである。DNAをのぞけば、アートはつねにユニットで活動してきた。共作者は時期ごとに限定的だが、それでも機動性重視の姿勢は変わらない。とはいえそれでロックっぽさが増したかといえば、むしろソウルフルな側面を強調している。一体感である、増量したのは。リオとNYあるいは(アートいわく)「私とメルヴィンのオジさんチームと20~30代の若手の融合」が艶やかなグルーヴに実を結んでいる。基調となるのは数年前からのストックであるカンドンブレのリズムと、オルガンをはじめとするゴスペルのフィーリング。ともに信仰と切り離せない音楽だが、アートはそれよりもそこに感情の動きにおける相似形をみてとる。タイトルはリオの映画監督ジュリオ・ブレサネの70年代作からの引用。ヌーヴェル・ヴァーグに直接的な影響を受けたブラジル音楽のムーヴメント、シネマ・ノーヴォを象徴する監督のひとりだが、この映画の色彩と性と死のモチーフは『ケアフル・マダム』の暗喩となり、この13年ぶりの新作の奥ゆきをことさらに深めている。