写真提供/COTTON CLUB 撮影/米田泰久

ユニークネスの普及の中から

 今や、米国のジャズのサックス学習者のほとんど全ての生徒がマーク・ターナーになりたいと思っているという。日本でもおそらくマークのスタイルを学び研究しているプレイヤーはおそらく数多くいるのだろう。マークが、ギタートリオを従えてコットンクラブに来演した際、会場には楽器を携えて来場した人が目立った。今年、53歳になるマークだが、彼の音楽に共感を隠さない、日本でも人気のサックス奏者のウォルター・スミス三世曰く、「マークぽいサウンドが聴こえたら、そいつは間違いなく40歳以下のプレイヤーだ」。しかし現在常に自分らしさを追い求めてきたマークを悩ませているのは、鵜呑みにされてしまったターナー・スタイルの流行のようだ。

 「僕のトレードマークと思われているアルティシモ(テナーサックスでアルトサックスの音域で演奏すること)という奏法なんだけれど、もうやめようかと思うんだ(笑)。だって今みんなやってるからね。教則本の出版も進められるんだけれどね、全ては自分のためにやっていることだから。それをさらに普遍的なものにできるか、そうしたことで何か意味のあるものになるのかな。チャーリー・パーカーがやっていたようにリズム・チェンジで作曲し、ビバップから派生したジャズのラインをある意味、伝統的なアプローチで更新していく、そんな滋味な個々の実践が、何かを変えて生み出す力になると思うんだけれど」

 彼はジョン・コルトレーンは言わずもがな、ジョー・ヘンダーソンや、時代が無視してきたレニー・トリスターノ学派のリー・コニッツ、ウォーン・マーシュに対してもそのリズム、フレージングを分析し、取り組んできた。あるインタヴューでは、アルティシモや八分音符のアーティキュレーションなど、マークらしい演奏スタイルを構成しているいくつかのテクニックについて聞かれた時「おそらくそのことで随分批判されたマイケルはとても影響を受けたアーティストの一人」と明かしているが、果たして何人の人がマークの演奏にマイケルの影響を聴き取れるだろうか。

 彼自身は「自分は、何をするにも時間がかかってしまうタイプで、学校でも与えられた課題ですら自分なりに、それがなんのために必要かが理解できないと取り組めない」タイプという。だから咀嚼期間が長い。しかし消化するとそれはマークの音楽としか言いようのないものになって現れる。そんなマークの、オーガナイズされたフレーズ、即興は淀みがなく、一聴どこにアーティキュレーションのポイントがあるのかわからない、それは滑らかな流体のようだ。YouTubeやDLで入手可能なサックスだけのソロ演奏は、ジャズを超えてこの楽器の本来持つ美しさが溢れ出る。

 そんなマーク流の音楽がラディカルな形に結実した最新作の『Lathe of Heaven』について、トランペット、サックスが奏でる洗練された2声の響き、複合リズムなど色々と聞いてみた。

 「ヴォイス・リーディングを以前から勉強していて、バロックから後期ロマン派のマーラー、ヒンデミットまで研究したし、今も勉強しているよ。このアルバムの為に書いた2声のメロディはそうした修練の成果!だと言えるよ。このカルテットではより自由な演奏、つまり僕流のいわゆるフリー(ジャズ)なんだけれど、そんな音楽を目指した。だから始める前に考えたのは即興を縛る要素をできるだけ少なくしようということだった。この音楽には君が指摘した通りそれぞれの演奏者のインデペンデンス(独立)がとても重要なんだ、僕の言葉ではそれは責任ということなんだけれど。だからマーカス・ギルモアがあんなに自由に演奏しても問題ない(笑)」

 それは複合リズムを使って、非機能的な和声による即興演奏を四人の奏者が構築するフリー・ジャズと言えるだろうか。しかし、最後に彼から思いもよらぬ言葉がここで飛び出す。

 「この自由な演奏をオーガナイズしているのは、クラーヴェなんだ」

 え、全く聴こえませんよ、私には。そういえば、バッド・プラスのピアニストもレニー・トリスターノのリズムを分析した文章で、最近のNYジャズはクラーヴェをキーにリズムを考えていると、指摘していたなあ。