台風クラブの音楽には「これしかない!」という気持ちになった
――澤部くんは台風クラブをいつどうやって知ったんですか?
澤部「僕もココ吉ですね。2015年の暮れにCD-Rの『ずる休み』が入荷したときに、バンド名もすごく良かったし、早速買ったんです。ただ、僕の悪いクセで、買ったのはいいけど寝かせちゃうんですよ。聴くタイミングを待ってしまうというか。
そのあとに(タカダスマイルとの)スプリットの7インチで“ついのすみか”(2016年7月)が出たときも買って、そのタイミングではすぐに針を落としたんです。そうしたら、もう〈これしかない!〉みたいな気持ちになって、すぐに部屋のクーラーを切って窓を開けました(笑)。〈既視感はあるんだけど新しいな〉と思ったんです。〈一日のうちに何度も聴き返す〉という行為を久々にしました」
――まさにCOCONUTS DISKがつないだ縁!
石塚「『ずる休み』はライヴで手売りしていたんですけど、最初にお店に置いてもらうならココ吉だと思って、ダメもとで手紙を書いて一緒に送りました。そしたら店長の矢島さんから〈良かったです。置きます〉と返事が来て」
――しかも、その後、入荷即完売を繰り返すことになったわけだから、びっくりしたでしょ。
石塚「びっくりでした」
――何年も前から台風クラブとスカートが出会う種は撒かれていたという気がしますけど、いよいよ初対面を果たしたのは、去年の〈ボロフェスタ〉で、10月29日でしたね。
石塚「澤部さんは出番がめちゃ夜やったのに、その日のトップバッターの僕らを観に来てくれはって」
澤部「〈どうしても観たい!〉と思ったんです。だから、早い時間の新幹線で向かって、KBSホールの地下の蒸し暑いスペースで観ました。あのときのライヴが本当に良かった! 意外と音源は緻密で、ギターのフレーズとかも細かいんですけど、それをライヴで〈せーの〉でやっても、ダイナミクスが損なわれてなかったんですよ」
――石塚くんは、さっきも言っていた12小節のブルースを究めるような曲作りをしていた時代にも、実はひそかにサニーデイ・サービスやオリジナル・ラヴを聴いていたという話を、以前に取材したときに言っていましたよね。その影響も台風クラブの曲には表れています。
石塚「というか、〈そういうのを聴いてなかったら思いつきもせんなあ〉という話です。こっそり聴いては〈なんや、このすごいのは〉と思ってました。隠れてエロ本買う感覚に近かった(笑)」
――買っているところを人には見られたくない、というね(笑)。でも、そういった影響が、もともと好きだった村八分とか古いロックンロールと混ざり合っているのもすごい。
石塚「〈混ざり合ってる〉というか、そこはどうしても捨てきれへんとこなんですよ。単純に音だけで理想を求めるんだったら、そもそも僕がヴォーカルやないほうがいいし、ギターは2本で鍵盤もいたほうがいいんですけど、やっぱりロックンロールを捨てきれてなくて。
というか、スカートが前に昆虫キッズとの対バンで京都METROでやったときのライヴ(2013年1月13日)が僕には衝撃だったんですよ。スカートは〈ロックンロール・バンドやったんや!〉って(笑)」
澤部「えー! それって鍵盤なしの3人でやったときですよね?」
石塚「あのとき、スカートは〈丸腰の3人〉みたいな感じで来てて。澤部さんの弦が途中で切れて、〈僕のギター・ケースのアウト・ポケットに入ってるから、だれか持ってきて〉みたいなことを言ってました。あの編成で、あのスタンスで、最強のポップス鳴らす、みたいな、そういうところにめちゃくちゃヨダレが出ちゃったんですよ」
澤部「懐かしー(笑)!」
――3人編成のスカートが台風クラブにいちばん影響を与えたかもしれないという説は言い得て妙ですね。
澤部「なんなんでしょうね。僕もバンドというものへの憧れはずっとあったと思うんですよ。それを宅録でこじらせて、ゆがんだ愛情がそのまま自分のバンド像になったんじゃないのかな」