ここ日本に活動拠点を移してから早15年弱。昨今では日本人音楽家とのコラボレーションも盛んに行い、かつてその名を世界中に広めることとなった『Bad Timing』(97年)、『Eureka』(99年)、『Insignificance』(2001年)などの傑作群を世に出した2000年前後にも増す形で、私たちは今さまざまな場面でジム・オルークという音楽家の名前を目にしている。

移住後に制作した『The Vistor』(2009年)、並びに『Simple Songs』(2015年)が、『Bad Timing』や『Insignificance』との関連性・共通性が語られたように、自身の活動史を円環的になぞりながらも、その音楽世界を果敢に更新しようとする彼の姿勢。それは、音楽史的知識や膨大な教養に裏打ちされた極めて理知的なものでありながら、自らの音楽をストラテジックに世界に提示していこうとするような態度からは、もっとも遠い地点に位置している。彼の創作を駆動するものは、ただただ〈音〉そのものへの信望、そして〈音〉が切り拓いていくもの、聴かせてくれるもの、見せてくれるものへの純粋極まりない挑戦であるが、同時に、それを知的に担保する強い理性にも貫かれている。

石橋英子や前野健太といった、今やジム・オルークの盟友となった音楽家たちも在籍する〈felicity〉がこのたび兄弟レーベルとして設立した〈NEWHERE MUSIC〉より、『Simple Songs』以来約3年ぶりのアルバムとして、このたびリリースされた新作『sleep like it’s winter』。同作は、レーベルの趣意にアンビエント、ニューエイジ、ドローン、ポスト・クラシカルといったジャンルの境界線を取り払った〈エレクトロニック・ライト・ミュージック〉、いわば電子的な軽音楽を創造する、とあるように、まさにその第一弾作として相応しい音楽的相貌を備えている。

全1曲・44分のインスト・アルバムである本作はもしかすると、彼が過去に発表してきたインストゥルメンタル作群との共通性を求めることも可能だろう。しかし、今世界的にアンビエント〜ニューエイジ音楽への再注目が喧伝されるなか、本作はそういう潮流とも偶然に合致するような形で〈ジム・オルークの今〉が濃厚に溶かし込まれている。実際この作品は、以下のインタヴューで語られる通り、〈アンビエント〉という概念を巡り音楽思想家として提出した最新の実践記録としての性格も持っている。また、美しく魅惑的な〈電子的な軽音楽〉作りにおいても、いやだからこそ、極めて鋭利且つ真摯な〈音〉そのものへの視線と批評性がそこに表出しているのだ。

本作についての問答は、稀代の音楽家ジム・オルークの音楽観の一端をまた新たに知らしめるだろう。

JIM O’ROURKE 『sleep like it’s winter』 NEWHERE MUSIC(2018)

 

アルバム25枚分位作っていたけど……そのうち24枚分は捨てました

――前作が『Simple Songs』、その前が『The Visitor』ということで、ここ最近のリリースはインストゥルメンタル作品とヴォーカル作品が交互になっていますが、こうしたパターンには何か意図があるのでしょうか?

「特に意味はないですね(笑)。本当は……できればヴォーカル作品はあまり作りたくないんです……。自分にとって意味があれば作るけど、意味がなければ無理して作らない。ヴォーカル作品はテーマとして歌詞が重要というのはありますけれど、もともと色々なアイデアがあるなかで、それらが時に映画音楽になったり、別のものになったり。もっとも適したものになるように、作り方はいつも探している」

――本作のようなインストゥルメンタル作品にもテーマやコンセプトがあるのでしょうか。ジムさんは一つの作品を作る時、あらかじめコンセプトのようなものを決めて臨むのですか?

「もちろんそういう形でスタートするけれど、途中でめざすものは変わる。作る目的は〈答え〉を探してそれを得ることじゃなくて、次の〈質問〉を探すことなんです。もし制作途中で〈やっぱりこのほうがいいだろう〉ということがあれば……例えば『Simple Songs』の時はおそらくアルバム4、5枚に及ぶ量の曲を作りましたが、最終的にこの曲は物語的に合わない、というものは削っていったりもしました」

2015年作『Simple Songs』収録曲“Hotel Blue”のライヴ映像

――では、今回も一つの作品にしようとして作り出したわけではなくて、作り出したものがこういう形にまとまっていった?

「そうですね。今回はたぶんアルバムにして25枚分位作っていたんだけど……そのうちの24枚分は捨てました(笑)」

――今作は25分の1の成果ということなのですね……。では、ここ数年間は今作の制作を行っていたんでしょうか?

「そう。たぶん、2年間くらい」

――今作はジムさんのこれまでのインストゥルメンタル作品、例えば『Happy Days』やフェノバーグによるものなどの作品に比べて、落ち着いた静かな印象を受けたのですが、自身でもそういった意図を持って作られたのでしょうか?

「うーん……。まあ私は毎日何かを作っていますが、今はそれらのほとんどをBandcampにアップしていて。なので、音楽を一枚のレコードとしてリリースすることの価値というのは、だんだん感じなくなってきていると思う。というか私は、本当はあんまりレコードをリリースしたくない(笑)」

――リリースの形態にはそこまでこだわらないのでしょうか。

「はい。私にとっては、レコード制作が終わったら、その作品は私の人生とは関係ない。もう終わり」

――完成したらもう無関係、と……。

「今はもう次の次の次のことを始めているので(笑)」

――ではここはちょっとガマンしてもらって、引き続きこの作品について訊いていきたいのですが(笑)、制作環境でこれまでと変わった点というのはありますか?

「前作(『Simple Songs』)のようにバンドと一緒に作る時は、自分以外の別の人間がいたけど、今回は一人。それが一番違う(笑)。自分から自分に対する厳しさは全然問題ないけど、ほかの音楽家がいる場合、彼らに〈そういう演奏じゃない〉とか、本当は何度も言いたくない。彼らに自分の厳しさ(の負担)をかけたくない。だけど、私が欲しいものはやはり欲しい(笑)。そうなると、少しやり方を変えることになるので、そのぶん沢山時間が必要になります」

――それは、コミュニケーションする時間?

「そう。そのコミュニケーションのなかで、時々彼らを騙すことも大事です。〈これが欲しい〉という時に、あえて少し変えて〈あれが欲しい〉と伝えて、結果的に彼らを通して出てきたものが、自分が欲しい〈これ〉に近くなる、そういうこともありますから。共作でなくてプロデュースの時も、そういうことは特に大事です。まっすぐに伝えることというのは、時折良くない結果にもなります」

――それは近年行っているような日本のミュージシャンとの共同作業に限らず、ジムさんが過去に関わってきたソニック・ユースやウィルコなどといったバンドについても同じこと?

「そう。もちろん一人一人感じ方は違うから、〈この人にはこういう言い方〉〈あの人にはこういう言い方〉と変えるのも必要。だけど、今回の『sleep like it’s winter』は一人で作っているので、そういう問題はなかった(笑)。 毎日起きて、スタジオに入って、仕事して、終わり(笑)」

――自分を騙すことはできないですものね。

「いえいえ、それもできますよ。でも、自分を騙すのにも、やっぱり時間が必要……。立場や視点を変えるために時間が必要です」

――それは〈いつも通りなら自分はこうしてしまうな〉というところを、違う結果を得るためにあえて自分を騙す、ということ?

「うん。たぶん厳密には〈自分を騙す〉ということじゃないのかもしれないけど。……もし立場や視点を変えてみて、(自分の意図する音とは)別のように聴こえたら、直したりする。そういうことが大事です。でもこれも本当に時間が必要。例えば、ある時録音したあるセクションを4か月後に聴いてみると、〈今聴くと、全体にとって本末転倒なものだな〉と感じたり」

――今作でもそういったことはありましたか?

「はい、ありました。それで2年間くらい時間が必要だったんです。〈この道は違った、この場所じゃない〉というような……読みにくい地図を整理していくような……作業でした」