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これは都市暴動か、それとも都市革命か?

キャスリン・ビグロー 『デトロイト』 バップ(2018)

 イラクの戦場での爆弾処理班の苦闘(「ハートロッカー」)から秘密裏に展開されたビンラディン殺害の内幕(「ゼロ・ダーク・サーティ」)まで……。僕ら観客をいつも極限状況に導く映画作家が本作で挑むのは、1967年の都市騒乱へのタイムスリップである。当時のデトロイトでは過密な居住地区に押し込められたアフリカ系アメリカ人が根強い人種差別を背景に不満や怒りを募らせており、ある些細な逮捕劇をきっかけに一部が暴徒化、ミシガン州は陸軍州兵を導入し、アメリカ第4の大都会が戦場と化す。暴動の最中におけるモーテルでの出来事──その場に居合わせた若者らが白人警官らの敵意剥き出しの暴力にさらされる──が主に描かれ、事態が拡大する一方の前半から転じて息苦しいまでの閉鎖空間へと物語を凝縮させる手腕の確かさに圧倒される。

 都市は社会のさまざまな矛盾や亀裂を鮮明に凝縮させるエッジである。1871年のコミューン蜂起や1968年の5月革命で知られるパリ。近年だと独裁や資本の圧政に抗するカイロやアテネの市民、香港の雨傘運動、ニューヨークのウォールストリート占拠運動……。本作で描かれる〈暴動〉は、何らかの組織や指導者、政治信条に基づくものではなく断片的かつ流動的なものだった。だけど、そんな不安定さ、活動の目的や要求の多様性こそ、〈都市労働者〉に固有のものだろう。D・ハーヴェイによれば、〈革命の衝動が起こる中心的な労働過程〉として〈都市の生産と再生産〉があり、そこに焦点を当てる政治が〈反資本主義闘争〉や日常生活のラディカルな変革を目指し得る。そのためにも〈都市生活を建設し維持する人々が、その自分たちのつくったものに対する権利を主張〉すべきなのだ。僕らは都市で暮らし、悦びや悲しみの経験を繰り返し、仕事や遊び、音楽や恋愛に興じる。その全てが〈都市の生産と再生産〉なる〈労働過程〉であり、それが現代資本主義のエッジを形成する。本作は、1967年のデトロイトでの熱い夏を〈都市の権利〉を巡る闘争の系譜に位置づけ直す試みである。