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Michel Auder, Jonas Mekas, and Andy Warhol at Anthology Film Archives opening, November 1970. Photo by Gretchen Berg.

 ヨーロッパの「堅固」さがいかなる結果を招き、彼に何をもたらしたというのか。ヨーロッパはアメリカの「浅はかさ」を嘲笑し、「真剣さ」が足りないと説教を垂れる。だけど、その「真剣さ」こそが、第二次世界大戦の惨禍や「強制収容所」を生んだのだ。すでにボレックスの16ミリ・カメラを手に映画を撮り始めていた彼は50年10月の日記で次のように宣言する。「アメリカはもはやヨーロッパではないことを思い知った。これはすべて具体的で、新しく、強烈だ。これは夢でなどない、アメリカだ。もしこれが夢なら、これこそ私が見たい夢だ! ヨーロッパは、空虚な会話やブラボーやレトリックで溢れている。みんな大昔のままだった。今や無意味な泡になっている。そんなもの捨ててしまえ!――いまにヨーロッパは裸の王様になる!」。

 職業安定所の列に「群集」として並び、さまざまな職を渡り歩いた彼は、むしろそのことで「専門家」になる危機(?)を回避し、「愛好家=アマチュア」であることにとどまった。「アマチュア」の手による映画であり続けるがゆえに彼の作品は比類なき美しさを帯び、だからこそ、かつてロラン・バルトが(メカスが念頭にあったわけではないが)示唆したような「反ブルジョア芸術家」であり続けられた。54年の年の瀬に書かれた日記で彼は、ヨーロッパから到着した時のようにニューヨークのスカイラインを望み、以下のように述懐する。「これは、記憶や、通りや、足音などの断片を少しずつ集めて私がつくりあげた都会だ。この都会と私、私たちはともに成長した……私は知っている。私のニューヨークがどんな人のニューヨークとも異なっているということを。まあ、いい……この都会は気が狂いそうだった私を救ってくれた」。彼の映画や日記で僕らが見聞きするのは、彼が「つくりあげた」ニューヨークであり、さまざまな記憶や足音の断片から成る結晶体にして亀裂である。ヨーロッパの重力に満ちた芸術や教養が「粉々に壊れてしまった」後に、その廃墟から救い出された「新しさ」であり、軽やかなる「具体」である。

 祖国の言葉を捨てざるを得ず、「無知な人間」として新しく習い覚えた英語で彼は文章を書き、自作の映画で流れるナレーションでのメカスの言葉は、ネイティヴの発音でないことが明らかな「訛り」を帯びる。しかし、それは彼の映画それ自体の特徴ともかかわるのだ。彼の映画は独特の「訛り」を帯びた「地方語」で撮られている。『ウォールデン』はリュミエール兄弟に捧げられるが、フランス人兄弟によって19世紀末に発明された映画は、ハリウッドを中心に劇映画の「共通語」を築き上げ、瞠目すべき傑作と唾棄すべき駄作を世界中で量産しながら現在に至る。しかし、同じ映画でもメカス作品はそうした「共通語」とは異なる響きや文法の「地方語」を話す。彼の映画は、決して難解な「実験映画」ではないが、異質な言語を話す映画であるがゆえに僕らの常識を揺るがせ、驚嘆せしめる。彼の映画を見る僕らは、リュミエール兄弟によるシネマグラフの上映をはじめて目撃した観客にも似た経験、映画発明の現場に改めて立ち会うかのような感動を覚える。

 最初の問いに戻ろう。ジョナス・メカスの死が僕らにとって悲劇的でないのはなぜなのか? 彼の映画『リトアニアへの旅の追憶』(1972)での一挿話が不意に思い起こされる。ようやくニューヨークに腰を落ち着けることのできたメカス兄弟は、25年ぶりに故郷のセメニシュケイへ、とりわけ彼らの帰りをずっと待ちわびていた母のもとに戻る。到着して何日目のことだったか、彼らは自分たちが通った学校を訪問、激動の歴史の渦中に飲み込まれ、ばらばらになってしまったかつての級友たちをメカスのナレーションが回顧し、こんなふうに呼びかける。彼らは今もどこかで健在なのか。それとも……。「だが、今でも昔のままの君たちの顔が目に浮かぶ。記憶のなかで生き続ける、子どものままの顔。私だけが年を取る」。僕らは今後も繰り返しジョナス・メカスの映画を見続けるだろう。そこでの映画作家やその家族、友人たち、あるいはセメニシュケイやニューヨークは永遠の美しさをとどめるだろう。彼の映画は決して古びることなく、僕らはそれを見る度に映画の始原に舞い戻るかのような至福の時を過ごすだろう。それでも、年を取るのは僕らのほうだけで、彼の芸術は永遠の生(=若さ)を獲得したのだ。

 


ジョナス・メカス(Jonas Mekas)【1922 - 2019】
リトアニア・ビルザイ近郊セメニシュケイ出身の映画監督/作家。映画監督のアドルファス・メカスは弟。第二次世界大戦中、反ナチス新聞発行が発覚し、44年にエルムスホルンの強制労働収容所へ囚われるが、翌年にデンマークへ脱出。戦後、49年にニューヨークへ移住。その後撮影活動を始める。64年の『営倉』、69年の『ウォールデン』、72年の『リトアニアへの旅の追憶』などドキュメンタリーを中心に70本超の作品を監督。89年には映像美術館〈アンソロジー・フィルム・アーカイブズ〉を設立。インディペンデント映画で中心的役割を果たす。2019年1月自宅にて死去。96歳没。

 


寄稿者プロフィール
北小路隆志(Takashi Kitakoji)

京都造形芸術大学 映画学科教授。映画批評家。新聞、雑誌、劇場用パンフレットなどで映画批評を中心に執筆。主な著書に「王家衛的恋愛」、共著に「エドワード・ヤン 再考/再見」、「アピチャッポン・ウィーラセタクン 光と記憶のアーテイスト」などがある。

 


INFORMATION
『肌蹴る光線 ―あたらしい映画―』Vol.4
2019年3月10日(日)
①『Sleepless Nights Stories』(16:20開場/16:30上映開始)
②『幸せな人生からの拾遺集』(18:50開場/19:00上映開始)
会場:アップリンク渋谷
https://shibuya.uplink.co.jp/event/2019/53790

写真展『Frozen Film Frames』
【東京会場】スタジオ35分(東京・新井薬師)
2019年2月27日(水)~2019年3月16日(土)18:00-23:00
定休日:日・月・火
http://35fn.com/

【京都会場】誠光社(京都・河原町丸太町)
2019年3月1日(金)~2019年3月15日(金)10:00-20:00
定休日:無し
https://www.seikosha-books.com/