COLUMN

フー・ボー監督の遺作「象は静かに座っている」、驚異的な長回しが露にする現代中国の〈苦悩〉と〈美〉

©Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

「彼ら」はどこへ行こうとしているのか?
驚異的な長回しがあらわにする現代中国の「苦悩」と「美」

 どんなにつらく長い夜でも、やがて空は白み朝が来る。だけど、234分にも及ぶ尺数をかけてたった一日にも満たない時の流れをスクリーン上に移し替える、この驚異的な映画の幕開けを告げる朝は、いかにも陰鬱で、出口の見えない監獄を思わせる。友人の部屋でその妻と一夜を共にしたヤクザ者の男性、父親にひどく詰られながら黙々と登校の準備を進める男子学生、母親と後味の悪い口論を展開させる母子家庭の女子学生、そして幼い孫娘の教育のために快適な環境に引っ越したいので老人ホームへ入ってほしいと義理の息子から訴えられる老人男性……。

 現代中国のダイナミズムから孤島のように取り残され、しかしだからこそ、その現状を切実に象徴してもいるだろう活気を欠いた田舎町で、そうした無関係とも映る4つのエピソードが次第にその関係性をあらわにしつつ進行する。しかし、それらの川の流れはいったいどこに行き着こうとしているのか?

 ハンガリーの鬼才タル・ベーラを師と仰ぐだけあって、フー・ボー監督は極端な長回しのショットを基調にこのデビュー作を構成、そのサスペンスあふれる効果に目を見張らされる。たとえば、前述の冒頭の朝のシークエンス。ある程度の高層階らしき部屋の窓から外を見やり煙草を吸うヤクザ者は、眼下の屋外での言い争いに加わり怒鳴り声をあげる。彼を室内に連れ戻した友人の妻としばらく口論が続くあいだ、外での諍いの声は聞こえなくなり、僕らもそれを忘れたころに部屋の扉を激しく叩く音が突然聞こえ、登場人物ともども長回しならではの効果にハッとさせられる。長いワンカットが続くあいだに先に屋外で彼と言い争った未知の男が直接ケリをつけようと階段を上り部屋を訪れたということなのか、それとも……。

©Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

©Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen

 世界の苦悩と美は互いに様々な形で平衡を保ちながら関連し合っている……。本作の主題を説明するものとして監督が引用するコーマック・マッカーシーの小説の一節。実際、主として「苦悩」に支配されるかのような4つの人生が、それでもある種の「美」と「様々な形で平衡を保ちながら関連し」合うさまがダイナミックに綴られる。夜が明け、朝になっても「苦悩」は継続し、本作における時の流れはいかなる出口も見いだせないまま再び夜の暗闇に突入する。あるいは、4つのささやかな支流は合流や交錯を果たしつつ、結局、どこにも到達しない。だけど、流れが「生」の隠喩である以上、それこそ窓から身を投じるでもしない限り、誰もそこから自由になれないし、登場人物らはその不規則な流れに翻弄される。フー・ボーは本作の完成後、さまざまな国際映画祭での成功を見届けもせずに29歳の若さで自ら死を選んだ。しかし今はそのニュースを作家や本作の早急な神話化の道具とすることなく冷静に受け止めたい。

 進むことも退くこともできずにいる「役立たず」――本作の登場人物はしばしば周囲の勝ち組を気取る人間からそう呼ばれる――の幽霊めいた彷徨(=苦悩)を背中越しに追いかける長回しのスリリングさとそこに生じる固有の「美」を一人でも多くの観客と共有できればと思う。

 


映画「象は静かに座っている」
監督・脚本・編集:フー・ボー
撮影:ファン・チャオ
録音:バイ・ルイチョウ
音楽:ホァ・ルン  
美術:シェ・リージャ
サウンドデザイン:ロウ・クン
出演:チャン・ユー/ポン・ユーチャン/ワン・ユーウェン/リー・ツォンシー
配給:ビターズ・エンド(2018年 中国 234分)
◎11/2(土)シアター・イメージフォーラムほか
全国順次ロードショー!
bitters.co.jp/elephant

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