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私たぶん、この度〈人間1回目〉なんですよ

――今回のアルバムで、言葉と曲が一番ナチュラルに合致して出てきた曲というと、どの曲ですか?

「1曲目の“December 13”ですね」

『oar』収録曲“December 13”

――“December 13”では、〈距離のない世界に生まれていたなら あなたとはきっと会うことはなかっただろう〉と歌われていますけど、角銅さんには、自分とそれ以外のものとの〈距離〉の存在が、根深く横たわっているのかなと思って。

「〈距離〉のことは、考えます。自分自身にすら感じます。話が飛んじゃうかもしれないですけど……前世とか来世みたいな話ではなく、ただの例え話なんですけど、私たぶん、この度〈人間1回目〉なんですよ(笑)」

――ほお(笑)。

「前も、赤ちゃんくらいまでは行ったのかもしれないけど、でも、ここまで長生きするとは思わなくて。いろんなことが新鮮だし、すべてのことに戸惑っているような感覚があって。自分と身体の距離にも驚くし、心のありかってわからないし、ソワソワしちゃうことが多いんですよね」

――この曲は、タイトルが日付ですよね。角銅さんの曲には日付がタイトルになっているものがあって、それは先ほどおっしゃっていた〈名付けたくない〉という意識の表れなのかなと思うんです。それでも、日付ではないタイトルが冠されている曲もあります。この、〈名付けられなかった音楽〉と〈名付けられた音楽〉の違いって、どのように線引きされているものなのでしょう?

「なんでしょうね……。日付をタイトルにしているのは大体、ボイスメモに残っていた日付を付けています。自分のなかでは、違いがはっきりとある気はするのですが、なんなんだろう……」

――言語化はしづらい感覚なんですかね。

「……自分との距離の違い、みたいなものですかね? 愛着が湧く、というか。曲名を付けると、自分と曲の間にスッと一本、道が通る感じがします。

例えば、“Lantana”という曲は花の名前なんです。東京でも、お庭とか垣根にも今の時期よく咲いている花で、咲いてから枯れるまで、どんどん色が変わっていく。これをタイトルにしたのは、その花の名前を覚えたのが嬉しかったから。〈この花、『ランタナ』っていうんだ〉って。

そこまでこだわりがあるっていうわけでもないんですけど……なんで、日付の曲とタイトルがある曲があるんでしょうね? ごめんなさい、わかりません(笑)」

 

歌が出てくるときは作らずにはいられない、自分の整理のため

――(笑)。歌のある音楽がレパートリーに増えていくことで、恐らく、聴いている人の反応も変わりますよね。

「変わりました。母親が聴いてくれて。前は〈恥ずかしくて聴けない〉なんて言っていたんですけど(笑)、そんな母が、『Ya Chaika』を聴いてくれていたんですよ。寝る前とか、ドライブのときとか、たまに電話をかけると流れたりしていて。〈人の暮らしの中で聴かれているんだ〉って思いました。届いているんだなって」

2018年作『Ya Chaika』収録曲“Dance”

――そもそも、歌を作るときには、角銅さんのなかに〈届けたい〉という想いはあるものですか?

「それは、まったくないです」

――ほお。

「最初に歌が出てくるときは、〈作らずにはいられない〉というか、自分の整理のためっていう感じがします。そこから作品にするっていうことは社会に関わることでもあるので、別段階の作業です。そのとき、まずあるのは〈美しいものを作りたい〉ということで。基本的に、〈届けたい〉とか〈伝えたい〉とか、〈シェアしたい〉みたいな気持ちは、出発点の時点では一切ないです。

歌うときも、お客さんに向けて歌う、みたいなことがあまりなくて。いつか、目の前にいる人に向けて歌う、みたいなことができたらいいなと思うんですけどね」

――なるほど。