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黒人がブルースを歌うように、僕は台湾の音楽をやるんだ

――アーティスト活動を始めた背景と、台湾の伝統音楽を取り入れるという現在のスタイルに行き着いた経緯を教えてください。

「僕は伝統音楽を習う前から音楽制作をしていて、いわゆるポピュラー・ミュージックだったけど、とても楽しんでいた。伝統音楽を取り入れるようになったきっかけは、例えば、僕はB.B.キングやジェイムズ・ブラウンが好きなんだけど、彼らのように英語で歌うことはできないんだよね。なぜなら彼らの言語だから。〈それなら僕も台湾の言葉で音楽を作るべきだろう〉と考えるようになったんだ。

台湾におけるポピュラー・ミュージックの歴史を振り返ると、ある時期を境に大きなギャップを感じる。80年代より前の台湾の音楽を聴いていると、そこにはまだ伝統音楽の影響が見受けられる。

西卿“相思燈”。71年の台湾のポピュラー・ミュージック。原曲は楽器演奏のみの南管だが、そこに歌と歌詞を乗せたリメイクとのこと

例えば前述の楽曲、“醫生”で僕は、言葉の一つ一つをとても伸びやかに歌う南管の歌い方を取り入れているんだけど、その時代の歌手たちからも同じアプローチが感じられるんだ。それはおそらく意識的でなく、昔は伝統音楽が生活の一部で、そういった環境で育ったから、自然とできるようになったんだと思う。けれど、以降その影響は徐々に影を潜めていった。僕らの世代は既に西洋式のポピュラー・ミュージックが当たり前の環境で育っている。そのことに気づき、僕は〈台湾の伝統音楽を学ばねばならない!〉と思ったんだ。

例えば、ブルースが良いのは、アフリカ系アメリカ人の文化と生活に根ざしているからだと思っていて、そこには奴隷として連れてこられた歴史や、英語という言語、ギターやドラムといった楽器など全てが要素として関わっているんだと思う。だからもし僕が最高のブルース・プレイヤーになろうとしたら、まずアメリカに渡って音楽のみならず文化も含めて体感すべきだ。けど、アメリカで実際にブルースの達人からレッスンを受けるのってハードルが高いよね。その点、台湾の伝統音楽はやる人が少ないから、人間国宝級の名人からも比較的、簡単に教えを乞うことができる。そもそも同じ街にいるわけだし。それって考えてみたらクールなことだよね。

西洋式の音楽教育を受けて、その理論にも精通した人であれば、伝統音楽を分析してなんらかの法則や特徴、ポピュラー・ミュージックとの類似点をより解像度の高い形であぶり出して、創作に役立てることも可能なのかもしれないけど、僕にはそういう技術はない。だからまずはとにかく体験して、感じてみるしかないんだ」 

――台湾の伝統的な音楽文化を守っていこうという意識もあるんですか?

「守っていこうとか、何かミッションのように捉えたりしているわけでない。僕は洋楽にも大きな影響を受けていると同時に、台湾人でもある。そういう自分のアイデンティティーに正直でいたいし、それらを織り交ぜることは僕にとってとても自然なことなんだ。

〈伝統をアップデートする〉なんていう表現もたまにあるけど、これも言い方に気を付ける必要がある。伝統音楽が〈良くない〉から〈良くしよう〉なんていう気持ちでやっているわけではないからね。全てはシンプルに楽しいからやっている。まずそれが大前提だよ」

――台湾の伝統音楽の歌詞は大体が恋愛についてだと聞きました。歌詞において何か影響を受けてもいるのでしょうか?

「僕は正直、伝統音楽の歌詞があまり好きじゃないんだ。トピックが恋愛しかないなんてつまらないよね。けど、古典の文法や単語は結構取り入れているよ。伝統音楽における発音の仕方についてもそうだよね。これらは作法であって、使い方次第で現代に蘇らせることができるんだ。歌詞の内容としては同時代性のようなものを意識していて、それを古典の枠組みに置き換えている」

 

台湾の伝統音楽に未来はあるか?

――今後はどんな活動を予定していますか? また、台湾の伝統音楽についてどんな未来を思い描いているのかを教えてください。

「今は新作に向けて準備中だよ。百合花の活動以外にもいろいろなアーティストとのコラボレーションに興味がある。楽曲提供とかもしてみたい。

台湾の伝統音楽についていうと、あまりいい予感はしていないかな……。昔の音源を聴くと、今より演奏のレヴェルが高いことが多いんだよね。担い手も減っているし、仕方ないのかもしれないけど。それでもこの文化を絶やさないために頑張っている人は大勢いる。これらの音楽が今後より多くの注目を集めて欲しいし、それで僕に何かできることがあるのなら光栄なことだ。

台湾人について変だなと思うのは、例えば、僕がカフェを開いたとしたら、〈お前のカフェは西洋のやり方に沿っていない。適当なことをするな〉とケチをつけてくる人が必ずいることだ。つまり、他国の文化をぞんざいに扱うと指摘してくる人がなぜか多い。英会話についてもそうで、〈ネイティヴ・スピーカーはそんな言い方しない〉などといった指摘がよくある。

その一方で、自国の文化についてはあまり関心がない。寺院で演奏されている北管にしてみても、一部の人からは〈うるさい〉としか思われていなかったりして、時には警察に通報するような人もいる。何においても、外来のやり方で矯正して、そこに〈台湾らしさ〉が表出するのを嫌がる人が一定数いるような気がするんだよね。僕は、一人のミュージシャンとして、どんな文化もリスペクトし、理解しようと心がけるべきだと思っているので、こういった傾向については奇妙だと言わざるを得ない」

 


文化へのリスペクトに溢れた、リン・イーシュオの発想

今回のインタビューで何より面白いと思ったのは、彼は台湾の伝統音楽の枠組みや方法論に、西洋のポピュラー・ミュージックの要素を入れ込む形で音楽制作を試みている、という点だ。

僕はミュージシャンとしてDAWを使った音楽制作も行う身なのだが、例えば、制作中の楽曲に民族楽器を取り入れたいと思った時、まずは民族楽器専門のソフトウェア音源に入っている、膨大な数のサンプル音源の中から特定の楽器を選び、十二平均律に基づいて、トラックに対してハーモニーとして美しい配置を探っていく、というパターンをとることが圧倒的に多い。それはつまり民族楽器を音色として捉えているということで、譜面上はギターやピアノに置き換えても、楽曲としては成立するのだろう。

そこで、この民族楽器が本来はどのような音階で弾かれているのか、強弱をいかに付けるかといったニュアンスまではあまり考えたことがない。ギターで弾いたフレーズをそっくり、音色だけ民族楽器に置き換えるようなこともしているのだが、イーシュオの話を聞いたあと、そういった手法がなんだかデリカシーに欠けたアプローチのような気もしてきてしまった。例えばヴァイオリンであれば、ソフトウェア音源による打ち込みであったとしても、音域や強弱などの〈本物らしさ〉にとても意識的になるのに、民族楽器となるとその意識が抜け落ちてしまっていたように思う。究極的にはその奏者と相談し、レコーディングするのが一番なのだが……。

イーシュオのアプローチを取り入れた場合、例えば、楽曲にアフリカの弦楽器、コラを加えたいと思ったら、まずはコラの楽器としての構造から学ぶ必要があるのだろう。そして、一般的にコラがどのように演奏されるものなのか、その伝統的作法についても知る必要がある。そしてこれら全てを勘案した挙句、やっぱり楽曲にはそぐわないという結論に至る可能性だって大いにある。あるいは、むしろ他のパートをコラの作法に寄せてみよう、という発想も生まれるのかもしれない。このコペルニクス的転回とも言えるアプローチにはハっとさせられた。リン・イーシュオ、やはり一筋縄ではいかない男だった。

 


PROFILE: 関 俊行
ミュージシャン/プロデューサー/ライター。MIDI Creativeにて自身のアルバムをこれまでに2枚リリースする。近年は、「ミュージック・マガジン」2020年4月号の特集〈台湾音楽の30年〉への寄稿や、Taiwan Beatsへの参画など台湾の音楽を積極的に発信している。