コラム

広瀬浩二郎の21世紀版「耳なし芳一」 目/耳/手をつなぐ〈触る〉アート

Exotic Grammar Vol.69-3

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〈琵琶なし芳一〉がやってくる!

 耳を失うことによって、なぜ芳一は琵琶法師として成功したのか。耳はなくなっても、音を感知する穴は残っている。芳一は、耳ではなく、身体の毛穴で音を聴く手段を身につけたのではないかと僕は考える。視覚は目、聴覚は耳に限定されるが、触覚は全身に分布しているのが特徴である。平家の怨霊は、芳一が〈音にさわる〉感覚に目覚めるきっかけを与えたともいえる。以下に、名人になるまでの芳一の成長のプロセスをまとめてみよう。

①一次元の芳一:目の見えない芳一は、ひたすら自身の内面、心を見つめ、自問自答を繰り返す。〈どうして、自分は目が見えないのか〉と悩んだこともあっただろう。〈目が使えないのなら、耳がある〉〈琵琶が上手になれば、音楽の道で生きていける〉。芳一は視覚以外の感覚を総動員して、自分を鍛える修行に励んだ。

②二次元の芳一:琵琶法師となった芳一は、やがて聴き手を意識するようになる。琵琶の演奏、語りを聴いて、褒めてくれる人がいなければ、芳一は名人にはなれない。彼は、聴き手を感動させる琵琶法師になるために努力を続ける。感動とは、〈感じて動く〉と書く。芳一の琵琶を聴く人々は、実際に「平家物語」の登場人物に会ったことはなく、合戦の現場を見たこともない。だが、彼らは芳一とともにさまざまな物語の場面に接し、喜怒哀楽を感じていた。じっと座って静かに琵琶に耳を傾ける人々の心の中では、平清盛や源義経、美しい女房たちがいきいきと動いている。耳を切り取られる直前の芳一は、多数の聴き手を〈感じて動く〉物語に引き込む優れた語り手だった。

③三次元の芳一:二次元の芳一は、語る人と聴く人、音と耳のように、者と者、者と物を一対一で結び付けていた。全身で見て、全身で聴くことができるようになるのが三次元の芳一である。彼の演奏と語りは、天・地につながり、立体的な広がりと深さを獲得したともいえるだろう。聴く人ばかりではなく、森羅万象、宇宙を包み込むような音・声の響きが、芳一の身体から生まれた。ハーンが伝えたかったのは、耳を失ったかわいそうな芳一像ではない。芳一は耳へのこだわりを捨てることによって、新たな芸能の境地に至るのである。

 僕は、文字どおり〈禍転じて福と為す〉精神力を〈芳一力〉と名付けたい。コロナ禍による〈拒触症〉から脱却するために、僕たちが保持すべきなのは〈芳一力〉である。偉大なハーンの驥尾に付して、僕が構想する絵本では、四次元の芳一を描きたいと願っている。もともと、人類は芳一的なるものを持っていた。それは、何にでも手を伸ばし、貪欲にさわる幼児の行動、もしくは濃厚接触を常とするいわゆる〈未開〉人の暮らしを観察すれば、よくわかる。

 近代化は人類から〈芳一力〉を奪ってしまった。逆説的な言い方をすれば、一連のコロナ禍は、人類が〈芳一力〉の意義を確認・実感する契機になると僕は信じている。さわらない・さわらせない社会通念の流布により、必然的に僕たちは、そもそもさわるとはどんな意味を持っているのかという根本的な問いに立ち返ることになった。だからこそ、「耳なし芳一」は再評価されるべきなのである。

国立台湾美術館の庭にて

 今回、僕が計画している絵本では、盛り上げ印刷を用いて触図を多数掲載する。平家の怨霊はもちろん、木々のざわめき、川のせせらぎ、鳥や虫の鳴き声など、目に見えないものに触れることができる絵本をめざしている。21世紀の芳一は、琵琶を捨てて身軽になる。彼は琵琶の代わりに新しい楽器を手に入れる。それは僕たちの身体である。そう、芳一は今を生きる僕たちの身体の中にいる。彼は僕たちの毛穴を優しくノックする。四次元の芸能者、〈琵琶なし芳一〉が、接触と触発の感動を人類に巻き起こすことを期待したい。さあ、体内の芳一と対話しつつ、〈拒触症〉の特効薬となる〈さわる絵本〉を早く完成させよう。〈祟り〉(禍)を〈当たり〉(福)に転換した芳一の力強い声が聞こえる。さわらぬ神に当たりなし!

 


寄稿者プロフィール
広瀬浩二郎(Koujirou Hirose)

自称〈座頭市流フィールドワーカー〉。1967年、東京都生まれ。13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学。2000年、同大学院にて文学博士号取得。専門は日本宗教史、触文化論。01年より国立民族学博物館に勤務。現在はグローバル現象研究部・准教授。〈触〉をテーマとする各種イヴェントを全国で企画・実施している。最新刊の「触常者として生きる」(伏流社)など、著書多数。

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