コラム

広瀬浩二郎の21世紀版「耳なし芳一」 目/耳/手をつなぐ〈触る〉アート

Exotic Grammar Vol.69-3

PHOTO Seigo Matsunaga

目/耳/手/をつなぐ〈触る〉アート
21世紀版「耳なし芳一」

〈目に見えないもの〉を描く絵本

 今、絵本を作っている。いや、正確には作ろうとしているというべきだろうか。これまで僕は日本史・文化人類学の研究者、あるいは視覚障害の当事者という立場で、単著・編著を刊行してきた。拙著が売れるか売れないかは二の次として、専門書・一般書など、本作りの楽しさはそれなりに知っているつもりである。そんな僕がなぜ絵本に挑戦しようと思ったのか。それは、コロナ禍に関連する昨今の社会情勢に起因している。

 絵本のテーマとして僕が選んだのは「耳なし芳一」である。「耳なし芳一」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「怪談」に収録された作品で、発表から100年以上が経過した今日でも、多くの人に親しまれている。おそらく大半の方は、目の見えない芳一が、平家の怨霊に耳を引きちぎられてしまうかわいそうな話という印象をお持ちなのではなかろうか。じつは、耳を失った芳一は、琵琶法師として世間の注目を集め、お金持ちになるというのがこの作品の結末である。〈お金持ち=幸福〉と単純に考えていいかどうかはさておき、芳一が聴衆に支持される著名な琵琶法師へと成長したのは間違いない。耳を切り取られるシーンがあまりにも鮮烈で、その後の芳一がどうなったのかを知らない(忘れてしまう)人が多いのは残念である。

 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は、人類にさまざまな影響をもたらした。ようやく緊急事態宣言が解除され、僕たちは普段の生活に復帰しつつあるが、随所で〈3密〉を避けることが求められている。新しい生活様式とは、人や物にさわらない・さわらせない〈拒触症〉なのだと感じる。僕はコロナウイルスそのものの感染拡大よりも、〈拒触症〉が蔓延することに危機感を抱いている。

 なぜ人類は新型コロナウイルスをこれほど恐れるのか。いうまでもなく、それはウイルスが目に見えない存在だからである。近代以降、人類は〈目に見えないものを見えるようにすること〉が進歩だと信じてきた。近代化のキーワードは〈可視化〉である。多種多様な事物を目に見える形にしたいという願望が、人類の発展を支えてきたのは確かだろう。一方、〈近代化=可視化〉の道を邁進する人類が、たくさんのものを見落とし、見捨ててきたのも事実である。20世紀初頭、ハーンが「怪談」を通じて、目に見えないものの価値を強調したのはきわめて意義深い。〈可視化の過程で、大切なものを見忘れているのではないですか〉。これが、日清戦争から日露戦争へと突き進む近代日本に対するハーンからの問いかけだった。

 〈目に見えるもののみが正しい〉〈不可視の心霊現象などあり得ない〉。このように決めつける現代人にとって、目に見えないコロナウイルスは恐怖の対象である。エレベーターのボタンやドアノブには直接触れない、家族・友人との食事では対面を避け、横並びで着席する……。人間が万物との触れ合い(相互接触)の中で育まれてきたことを軽視する昨今の〈拒触症〉の流行は、明らかに過剰反応である。目に見えないウイルスへの過度の恐れは、はたしていつまで続くのか。

 芳一は平家の怨霊、すなわち目に見えないものと自由に話をすることができた。では、芳一が21世紀の現代にタイムトラベルしてきたら、彼は僕たちに何を語るのだろう。芳一はコロナウイルスを恐れることなく、目に見えぬ物・者とごく自然に共生できるに違いない。〈人類よ、芳一的なるものを取り戻せ〉。こんなメッセージが僕の体内から聞こえてくる。この声に従って、絵本を作ってみよう。文字・言葉を積み上げて自己の内面世界を表現する著作もいいが、あえて今回は選び抜かれた単語、研ぎ澄まされた短文で勝負したい。目に見える絵を媒介として、どうやって、どこまで目に見えないものにアプローチできるのか。そして、その目に見えないものを描く絵本の作者が、全盲の僕であるというのもおもしろい。こんな思いで、先が見えない絵本作りを楽しんでいる。

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