〈音楽のエスペラント語〉を作った男の物語

 〈ヤオヤ〉――エレクトロニク・ミュージックやロックのリスナーなら誰でも一度は耳にしたことがあるはずだ。日本が世界に誇る電子楽器メイカー、ローランドが80年代前半(80~83年)に製造していたリズムマシン〈TR-808〉の通称としてこれは広く人口に膾炙してきた。ポップ・ミュージックの進化は常に楽器/機材の進化と共にあった。一つの新しい音や機能が音楽家にインスピレイションをもたらし、新しい表現が生まれることも少なくないわけだが、その代表例がヤオヤだ。アフリカ・バンバータ“プラネット・ロック”やマーヴィン・ゲイ“セクシャル・ヒーリング”誕生のきっかけになったのはヤオヤだし、YMOの最高傑作『BGM』やビースティ・ボーイズのデビュー作 『Licensed To Ill』の土台になったのもヤオヤだった。英国産アシッド・ハウスを牽引した808ステイトはヤオヤが好きすぎてそのままバンド名に使ったほどだ。〈音楽におけるエスペラント語〉とヤオヤを評したのは808ステイトのグレアム・マッセイである。もしヤオヤが誕生しなかったら、ポップ・ミュージックの歴史はかなり違ったものになっていたはずだ。

田中雄二 『TR-808〈ヤオヤ〉を作った神々―菊本忠男との対話―〈電子音楽 in JAPAN外伝〉』 DU BOOKS(2020)

 そんな革命的名機がどのようにして生まれ、後続/関連機器(「TB-303」「TR-909」他)へと発展していったのか。開発プロジェクトのリーダーだった菊本忠男への徹底的な取材を軸に、時代状況説明なども随時加えつつまとめたのが本書である。2014年に出版された「ベース・ミュージック・ディスクガイド」の中で田中が担当していた〈TR-808 開発秘話〉という菊本へのインタヴュー・ページが本書制作の直接のきっかけになったと思われるが、本書表紙に〈電子音楽 in JAPAN 外伝〉と小さく銘打たれているとおり、20年前の田中の大著「電子音楽 in JAPAN」で書かれていた歴史をハード面から掘り下げ、その後の流れもカヴァーしたいという強い思いが彼の中にずっとあったのだろう。

 大阪でトランジスタの研究開発をしていた青年が冨田勲“月の光”を聴いたのをきっかけに電子楽器製作にのめり込み、できて間もないローランドに転職、やがて次々と新しい電子楽器/機器を開発してゆく過程はドラマティックだし、これまた菊本が中心になって生まれた〈MIDI〉(シンセサイザーの国際的接続規格)関係の話も貴重だ。田中の突っ込みの執拗さと菊本の返しの謙虚さの対比も面白い。頻出するハード系専門用語を理解できずとも、熱血エンジニアたちの冒険譚としてきっと楽しめるはずだ。