1997~2005年
DAWによる際限なき編集作業とその反動
──ミリオン・セラー連発の90年代後半は、日本のCDセールスがピークを迎えた時代でしたけど、インディペンデントな、オルタナティヴなスタンスのバンドやアーティストがチャートやセールスにおもねることなく、許容されていた時代でもあった。そして、97年の『little creatures meets future aliens』、2001年の『FUTURE SHOCKING PINK』の時期のLITTLE CREATURESは、クラブ・ミュージックの影響を受けていたことに加え、制作面ではコンピューターを用いたハード・ディスク・レコーディングの黎明期を迎えた時期でもあります。
青柳「スタジオだけでなく、家で音楽が作れるようになっていったという意味で、世の音楽家に与えた影響は本当に大きかった」
栗原「コンピューターで際限なく音を足したり、編集できるようになって、エンジニアさんは腱鞘炎になりましたからね。本当に申し訳ないことをしました。ちなみに新作のエンジニアも同じ関口正樹さんです」
LITTLE CREATURES 『little creatures meets future aliens』 ミディ(1997)
LITTLE CREATURES 『FUTURE SHOCKING PINK』 フェイス(2001)
――つまり、ポスト・プロダクションの時代ということだと思うんですけど、音楽制作は劇的に変わりました?
青柳「当時、フレーズがループする音楽の楽しさはすごく感じていましたね。ワン・コードの曲がいいと思えるようになったのはサンプラーを扱うようになってからですよね。それまでは、コードが動いたり、転調したり、そういう仕掛けのある曲の面白さを考えていたんですけど、ワン・コードが4、5分続いてもいいんだなって思えるようになりました」
――さらにバンド内では、〈ドラム〉〈ベース〉〈ギター〉といった各人の役割も曖昧になり、それぞれが色んな楽曲を弾くようになりましたよね。
鈴木「レコーディングは、ベースの1フレーズを弾いてループさせれば、それだけで曲が成立するから楽でいいなって。でも、そうやって色んな音を足していくと、ライブでそれをどう演奏すればいいんだろうって。その後の作業が何倍も大変でした。
僕の場合、ベースと鍵盤の割合が半々くらいになって、ベースを弾きながらサンプラーをいじって、さらにはシンセサイザーが3台とか。相当に負担が大きかった」
栗原「ドラムも作品の緻密なリズムを再現しようとすると、どこかで物理的な無理が生じる。そこでシーケンスを使えばよかったんだろうけど、LITTLE CREATURESはあくまで生にこだわっていました」
青柳「結局、クラブ・ミュージックやヒップホップ、ポスト・ロックといった音楽からは、演奏者の発想ではないところに刺激を受けたんですよね。だから、逆にライブをやる際にはその受けた影響を還元するべく、演奏家として生演奏に立ち返ったという」
――2005年の『NIGHT PEOPLE』は、ポスト・プロダクションを極めた反動からか8トラックのアナログ・レコーディングを行った作品です。
青柳「『FUTURE SHOCKING PINK』は、音を切り刻んだり、サンプリングしたりして、結果的にエンジニアが腱鞘炎になるっていう結果を生みつつ(笑)、ポスト・プロダクションをやり尽くしたので、今度は8トラックという縛りを設けてみようと。それと同時に演奏する面白さに立ち返った作品ですね」
栗原「『NIGHT PEOPLE』が面白かったのは、楽器を取っ替え引っ替えしなかったところ。正人はベースを弾かず、フェンダー・ローズとフェンダーローズ・ベース。それからガット・ギターとドラム。全ての曲がそのアンサンブルから生まれたんです。つまり、制限を設けたことでクリエイティヴィティーが発揮されたアルバムなんですよ」