Photo by Sebastian Mlynarski/ Kevin J Thomson

チャーチズの4作目のアルバム『Screen Violence』が2021年8月27日にリリースされた。今作はエレクトロニックなサウンドに貫かれているという点で過去作との連続性を有しているものの、その質感が過去作とは決定的に異なっている。この違いは、チャーチズというバンドの根本について改めて考えさせる。そもそも彼らはこれまでどのような存在であったのか。そして今作のリリースを経て彼らはどのような存在になったのか。

その実相を捉えるべくMikikiでは、デビュー以来チャーチズの活躍を見続けてきた小野島大と、今作の解説を担当する新谷洋子というライター2人に執筆を依頼。小野島は〈アイドル性〉という切り口からチャーチズのこれまでの歩みに、新谷は『Screen Violence』の分析を通してチャーチズの現在地に迫った。 *Mikiki編集部

CHVRCHES 『Screen Violence』 Goodbye/BEAT(2021)

『Screen Violence』から振り返るチャーチズの〈アイドル〉としての季節
by 小野島大

チャーチズは2013年のデビュー・シングル“The Mother We Share”からレビューを書く機会があって、節目のライブはほぼ見ているし、アルバムが出るたびにレビューを書いてるし、対面取材もやっている。つまりデビューから約10年近く、彼らのミュージシャンとしての変化を遠くから見守ってきたような自覚がある。

日本デビューEP『EP』(2013年)のレビューでは〈キュートな女性ヴォーカルをフィーチュアした80’s風シンセ・ポップ……と書くと、もうそれ以上特筆することはない〉なんて書いている。この時点では彼らに対して特別な関心などほぼ皆無だったのだ。その後に観た〈SUMMER SONIC 2013〉のライブでは、ローレン・メイベリーが極度に緊張していたのをよく覚えている。初めての日本、しかも大型フェスの大きなステージにいきなり抜擢され、おまけにほぼ満員の観客という彼らにとっては初づくしの経験。ステージ上のローレンはチャーチズ以前にやっていたというインディー・バンド時の自意識の殻をくっつけたままで、アーティストとしてもポップスターとしても中途半端に見えた。しかし同時に、ナマで見るタヌキ顔の25歳のあまりのキュートさにやられてしまったこともまた確かで、この時からチャーチズ及びローレン・メイベリーのことがなんとなく気になり始めたのだった。

2013年の〈KEXP〉でのライブ映像。曲は2013年作『The Bones Of What You Believe』収録曲“We Sink”
 

そして2013年のファースト『The Bones Of What You Believe』を経た2015年のセカンド・アルバム『Every Open Eye』で、ローレンのキュートな魅力と80’s風のエレクトロ・ポップ・サウンドの融合という初期路線は見事に完成の域に達し、翌2016年の初単独来日公演で大きく進化した姿を見せたのである。サマソニ後の2年間で350回以上という過酷なライブ・サーキットを積んだ彼ら、というよりローレンは、見違えるほどプロフェッショナルなエンターテイナーになっていた。フレッシュなキュートさを全く失うことなく、ステージさばきも歌唱も観客とのやりとりの呼吸も衣装を含めた外見も格段に安定し洗練され、垢抜けたポップ・スターになっていたのである。平たく言えばめちゃくちゃ可愛かったのだ。まさにそれはアイドルとしてのローレンが全面開花した瞬間だった。未熟だが魅力のあるスター候補生が経験を重ねプロとして成長していく過程を共有するのがアイドル・ファンの醍醐味であるなら、私はローレンにそれを見いだしていたのかもしれない。

2016年の単独来日時のインタビュー映像
 

その後チャーチズはサード・アルバム『Love Is Dead』(2018年)で、大きく飛躍する。ベックの片腕としてコンテンポラリーなテン年代のロックを演出し、かつ旬な女性ポップ・ヴォーカルの扱いにも長けたグレッグ・カースティンのプロデュース手腕で、レトロなシンセ・ポップはブラッシュアップされ、同時代感覚を獲得した。最新のR&BやEDMにも通じるキレのいい音像と彼ら本来の音楽性を見事に両立して、ローレンのキュートな声の魅力を最大限に活かしている。ローレン・メイベリーを中心としたポップ・バンドとしてのチャーチズの確かな進化形であり、ポップ・アイコン=アイドルとしてのローレンの完成形でもあったのだ。当時来日した彼らに取材したが、自信に満ちた受け答えを大いに頼もしく思ったことを覚えている。同年の〈フジロック〉でのライブも圧巻だった。着実に成長と脱皮を繰り返してきたチャーチズは、最終日の〈ホワイトステージ〉のトリに抜擢されたことにも臆せず、大型フェスでの見せ方を心得た、ほぼ完璧なライブを繰り広げたのだ。白い衣装に身を包み舞い歌うローレンは(言いたかないが)天使のようだった。

2018年作『Love Is Dead』収録曲“Miracle”
 

それから3年の時を経てついにリリースされた待望の新作『Screen Violence』である。一聴して気付いたのは、全体のトーンが暗くシリアスで、このバンドが持っていたある種のノスタルジーのようなものが消えていることだった。彼らの特徴でもあった80’sシンセ・ポップへの甘酸っぱい郷愁は、ポップ・アイコン=アイドルとしてのローレンを彩る装置として有効だったわけだが、デビューして10年近く経ちローレンも大人になった今、そうした意匠は似つかわしくなくなったのだ。セルフ・プロデュースであってもとんでもなく高いサウンドの完成度、コロナ禍がもたらす恐れや不安、後悔、孤立、死や別離を描いたシリアスなテーマ、デヴィッド・クローネンバーグ監督のカルト的名作映画「ヴィデオドローム」にヒントを得たコンセプト、フェミニストとしての自分の主張をはっきり打ち出したローレンの姿勢を見ても、もはや彼らが〈アイドル・ポップ〉なんて言われるような存在ではないことを改めて認識させるのだった。間違いなくアーティストとして彼らは既に円熟の域に達し、さらに進化しようとしているのだ。

だが、以前のようなキラキラしたチャーチズを懐かしく思う自分もいることは否定できない。彼らがその地点に戻ってくることはありえないとしても、二度と元に戻らないからこそその輝きは忘れがたいものなのだった。