ロッド・スチュワートはその後も売れ線を突き進んだが、78年にリリースしたディスコ・ヒットナンバー“Do You Think I’m Sexy”で多くの古くからのファンを失うことになる。その後、2度ほどジェフ・ベックと共演したものの、その関係は続かなかったが、近年リリースした5枚組のスタンダードナンバーのカバー作は非常によく売れた。彼は伝説的な女好きで、タブロイド紙の表紙によく登場し、5人の女性との間に8人の子供がいる。
スモール・フェイセズのオリジナルシンガーだったスティーヴ・マリオットはその後ハードロックバンドのハンブル・パイのフロントマンとして成功を収め、税金の問題もあり主にアメリカでツアーを行った。91年、飲酒後のタバコの失火により44歳で他界したが、この華やかなシンガーは今日に至るまで多くの影響を残している(ブラック・クロウズのファンならハンブル・パイの“Smokin’”は必聴だ)。マリオットの葬儀ではフェイセズの“All Or Nothing”が流された。
ロニー・レーンはそれなりの成功を収めた。その後の活躍で特筆すべきは、フーのピート・タウンゼントとリリースしたアルバム『Rough Mix』。彼は97年、51歳の時に多発性硬化症(MS)で亡くなった。
イアン・マクレガンは自分のバンドを結成しつつ、サイドマンとして『Some Girls』時代のローリング・ストーンズやロニー・ウッドのプロジェクトに参加したり、ボブ・ディランやルシンダ・ウィリアムスとも共演したりもしている。彼と妻のキム・キャリガン(キース・ムーンの元妻)はテキサス州オースティンに移住。2014年に、69歳で脳卒中で亡くなっている。
ケニー・ジョーンズは、78年のムーンの死後、ドラマーとしてフーに加入。
テツ・ヤマウチは日本に帰国した。その後、ジャズのセッションに参加したりはしているものの、マスコミを避けて生活している。何度かあったフェイセズの再結成のオファーは全て断っているという話だ。
フェイセズはその後、何度か再結成的なイベントを行っている。86年が最も知られているもので、レーンは車椅子のため演奏はできなかったが、ロッド・スチュアートのウェンブリー・アリーナでのコンサートに出演した。他にも、いくつかの単発のライブでメンバーが一緒になる機会もあった。2008年にはロッド・スチュワートがフェイセズの残ったメンバーでの再結成を表明したものの、1度リハーサルが行われ、ウェブサイトが立ち上がったのみで、その後の話は立ち消えたかに思われた。しかし2009年、フェイセズはシンプリー・レッドのミック・ハックネルを含む多くのシンガーらとチャリティーコンサートをロイヤル・アルバート・ホールにて開催。ロニー・レーンの未亡人に収益の一部が寄付された。2010年から2011年には、ハックネルをボーカリストに、セックス・ピストルズのグレン・マトロックをベーシストにそれぞれ迎えてツアーを行い、その際には日本にも訪れている。2012年にはスモール・フェイセズとフェイセズがロックの殿堂入り。それを機にイベントが企画されたが、前夜になってスチュワートがインフルエンザに罹患したと発表してドタキャンしたため、ボーカルの代打としてまたハックネルが出演した。
今年の7月には、ロッド・スチュワート、ロン・ウッドとケニー・ジョーンズが集まり、新しいスタジオアルバムを録音したと発表している。完成の暁には、ぜひチェックしてほしい。