全ての歴史は個人的なことの積み重ねだが、この物語はまさに私の個人的な経験から来ているものだ。私は若い頃から音楽への興味が強く、友人もほとんどが音楽好きだった。そんな高校時代、友人の一人が当時大スターだったジョン・デンヴァーの大ファンだった。しかし、私はフランク・ザッパ、ニューヨーク・ドールズ、デヴィッド・ボウイ、そして特に、当時学校の友人のほとんどが知らなかった、イギー・ポップを好んだ。デンヴァーファンの友人とは、音楽の好みの違いを、二人ともニール・ヤングが好きだったことで乗り越えた。私自身は真のジョン・デンヴァーファンにはなれなかったが、ジョン・デンヴァーに傾ける友人の情熱を理解しようとは努めた。

一見正反対に見えるジョン・デンヴァーとイギー・ポップだが、実際には数々の共通点がある。二人とも芸名を使用しており、イギーの本名はジェイムズ・ニューウェル・オスターバーグJr.で、ジョンの本名はヘンリー・ジョン・デュッチェンドルフJr.と、両方ともドイツ系の名前だ。また、二人とも、他で実績をあげてから70年代にRCAレコードと契約。他にも、二人ともプロの友人の伝手で――イギー・ポップはデヴィッド・ボウイだし、ジョン・デンヴァーはオリヴィア・ニュートン・ジョンのおかげで大きく成功し、より多くのオーディエンスを獲得した。

しかし、彼らの違いは共通点よりも多い。ジョン・デンヴァーはフォークミュージック出身で、チャド・ミッチェル・トリオに所属していたし、ロックギターが人気のある時代、ソロアーティストとして楽観的な明るいアコースティックサウンドでポップチャートをにぎわせた。彼の最初の曲はアメリカの農村部によせる抒情詩である“Take Me Home, Country Roads”だ。

ジョン・デンヴァーの70年作『Poems, Prayers & Promises』収録曲“Take Me Home, Country Roads”

対して、イギー・ポップはブルース出身で、ガレージバンドを渡り歩いている。最初はドラマーとして活動を開始した彼は、ブルースドラマーのサム・レイ(ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズなどに所属)を研究するためにシカゴに短期間移住。デトロイトで生まれ育った彼は工業都市の生活、工場や重機に影響を受けている。彼のバンドだったストゥージスでは、ドラムは雷鳴のように轟き、ギターはオーバードライブがかかりすぎてディストーションとなっていた。

ストゥージスの69年作『The Stooges』収録曲“I Wanna Be Your Dog”

二人とも、キャリアの最初の頃に自らの音楽性を象徴する曲があり、それらを多くのアーティストが、プロアマ問わずコピーしている。デンヴァーのゆったりとした“Take Me Home, Country Roads”は72年にチャート2位まで上がり、この曲が入ったアルバム――デンヴァーがコロラドの滝の前に立っているジャケットのものだが――これは幾度となく演奏され、トゥーツ&ザ・メイタルズのようなレゲエスターにもカバーされている。

トゥーツ&ザ・メイタルズの74年作『In The Dark』収録曲“Take Me Home, Country Roads”

イギーを象徴する曲といえば怒りのエネルギーが狂暴なまでに爆発する“Search and Destroy”だ。70年代半ばには〈パンクロック〉が世界的なトレンドとなったが、この曲こそがそのトレンドの筆頭だった。シド・ヴィシャス、ディクテーターズ、デッド・ボーイズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ミニストリー等々の大物ミュージシャンに加え、ライブハウス以上に成功しなかった多くのパンクバンドがこぞってカバーしている。

イギー&ザ・ストゥージズの74年作『Raw Power』収録曲“Search and Destroy”

72年、イギーのバンド、ストゥージスは2作目のアルバム『Fun House』をリリースするが、チャートでは100位以上につけることはできず、彼らが当時所属していたレーベル、エレクトラは契約を解除。ストゥージスにはカルト的なコアファンがついていたが、メジャーの世界では無視され、嘲笑され、恐れられた。イギーとバンドメンバーの幾人かはヘロインを使い始め、のめりこむ。皮肉なのは、クリーンなジョン・デンヴァーの方が“Rocky Mountain High”で麻薬への関連性を疑われて検閲に引っかかり、放送などが限定されたことだろう。

ストゥージスの70年作『Fun House』収録曲“Loose”

ジョン・デンヴァーの72年作『Rocky Mountain High』収録曲“Rocky Mountain High”