生まれるべくして生まれた曲たち、不思議な力で突き動かされたレコーディング
――『Get My Mojo Back』は、大怪我から約10か月後の2011年7月から録音が始まりました。
「レコーディングを振り返ると、よくあんなに腕が痛い状況でスタジオに入ることができたなと今でも思います。まさに何か不思議な力によって、突き動かされるようにあのレコーディングは行われました」
――大半の曲が書きおろしですが、旋律が〈強い〉なあと思いました。コードチェンジよりも何よりも、まずメロディーが真ん中にドカンとあるという感じです。まだピアノ演奏に復帰できなかった時にレコーダーに口ずさんでいたモチーフが元になっているそうですが、こうした形での作曲は初めてですか?
「そうです。今回は特にシンプルで力強く口ずさみやすいメロディーがまず聞こえてきました。頭で難しく考えた〈作曲のための作曲〉のようなものではなくて、アルバムにブラスやパーカッションが入っているのも、そうした楽器が入ったサウンドがごく自然に自分の心の中から聞こえてきたからです。痛みでピアノがまったく弾けない時期に実際に歌いながらモチーフやアイデアを作ったので、スタンダードソングとして歌詞があっても似合う曲と感じられる曲が生まれたのかもしれません。この作品に入っている楽曲は、生まれるべくして生まれた曲たちですね」
彼らでなければ、彼らがいなければ吹き込めなかった
――そのなかで“サークル”は約7年間、今回のレコーディングまで暖めておられたナンバーだとうかがいました。
「7年前から曲のアイデアはありましたが、ようやく形にできてとても嬉しいです。
この曲はオーセンティックなカリプソのフィールが特に難しく、クリフトン・アンダーソンの温かくふくよかなトロンボーンの音色でなければ、この曲は吹き込めなかったし、特にパーカッションのヴィクター・シー・ユーエンの存在が光っています。ヴィクターはカリプソ発祥の地トリニダード・トバゴの出身で、私は彼から本場のカリプソのフィーリングや歴史を学んだり、いろんな貴重な音楽を聴かせてもらってきました。クリフトン、ヴィクター、(ドラムスの)ジェローム・ジェニングスはソニー・ロリンズのバンドで演奏していましたし、カリプソに対して深い理解があって、しかも借り物じゃなくて、自分の言葉で演奏できる人たちです。
最初のアイデアから7年という時が経ってしまいましたが、今回、ベストの形で録音できたと思います」
――クリフトンの叔父であるソニー・ロリンズと、電話でお話したそうですね。
「ミキシングをしている時、クリフトンのところに電話がかかってきたんです。ソニーはクリフトンを通じて僕のことを間接的に知っていて、このレコーディングを電話ごしに聴いて、〈音楽がすごく生き生きしているね。私は何も心配していなかったんだ、君は絶対さらにストロングになって帰ってこられると信じていたから〉と話してくれて。神様みたいな人から言葉をいただいて、本当に嬉しかったです」
――レスター・ボウイ・ブラス・ファンタジーや、モンゴ・サンタマリアのバンドでも活動したベテラントランペット奏者エディ・アレンの参加も嬉しいです。
「NYでは、アート・ブレイキーのバンド・メンバーだったということが、重要な伝統として受け継がれているように感じます。エディはブレイキーと共演し、そのレガシーを受け継いでいるひとりで、このレコーディングではホーンセクションをまとめてくれたりもしました。私は彼のリーダーバンドでも演奏しています。
サックスのアンソニー・ウェアと私は、10年以上ウィナード・ハーパーのバンドで一緒に演奏してきました。このメンバーの中では最年少ですが、ソウルフルな音色を持つ、信頼する仲間のひとりです。
ベースのダントン・ボーラーはロイ・ハーグローヴのバンドメンバーでした。私が参加していた頃はアミーン・サリームがレギュラーベーシストでしたが、彼の生活基盤はイタリアのローマなので、ロイのツアーに参加できない時は前任のダントンがよく助っ人として来てくれました。
ロイは私とダントンのコンビネーションをすごく気に入っていました。“Strasbourg / St. Denis”のベースラインも、ダントンが考えたと言っていいと思います」
――みんな大好きに違いない、あのかっこいいフレーズですね。
「ロイが〈こういう感じのベースラインで〉と言ったのを、ダントンが自分なりに解釈して弾いたものです。
ダントンの師匠はユージーン・ライト(ジーン・アモンズ、デイヴ・ブルーベック、モンティ・アレキサンダー等と共演。2020年、97歳で死去)なんですよ。10代の頃から彼に習っていて、すごく伝統的なジャズの素養を持った上で様々な音楽に精通しています」
気心の知れたメンバーとの即興が生んだグルーヴ
――“ゲット・マイ・モジョー・バック”と次の曲“モア・モジョー”の関係も興味深いですね。ゴスペルの影響も感じさせる本編が終わって、その後日談のような感じで、違うアプローチによる“モア・モジョー”へとつながっていきます。
「リハーサルでいろいろ試している時に、(“ゲット・マイ・モジョー・バック”の)〈テンポを変えても面白いね〉とジェロームが言ってくれました。まずは自分が最初に想定していたテンポで演奏したのですが、すごく楽しくなっちゃって、まだ終わりたくないという雰囲気になったんです。このグルーヴに浸っていたいという雰囲気の残っているところで、ジェロームのアイデアであった、また違うテンポで再度スタートしたのが“モア・モジョー”です。レコーディングという緊張感よりも、ミュージシャンがその場で生まれる即興を楽しんでいる雰囲気がより出ていると思います」
――遊び心が生まれるということは、メンバーとの関係も含めて、スタジオ内に気のおけない雰囲気があったからだと思うんです。とっさに〈これをやってみようか〉と感じた時に、〈面白いね、やろう〉と応えてくれる仲間がいるからこそ、ハッピーになる。
「“シークエル・トゥ・ザット・オールド・ストーリー”は、スタジオに向かう途中、チェレスタのかわいらしい音でこのメロディーを弾いてみたいと思いついたんですよ。〈でも、そんな都合よくチェレスタがあるわけないよな〉とスタジオに行ったら、チェレスタがあって驚きました(笑)」