変わり続ける長老バンドの万華鏡のようなアルバム

 ムーンライダーズは昨年末に生涯現役を宣言。今年の春に日比谷野外音楽堂でコンサートを行ない、約11年ぶりの新作『it’s the moooonriders』を発表した。

 高村光太郎の「道程」ではないが、何人もの人間がおりなすこのバンドの後ろには、長い迷路が残っている。ソロ・アルバムが本人に無断で〈鈴木慶一とムーンライダース〉として発売されたのが76年。やむなく〈ムーンライダーズ〉と濁点つきで仕切り直したのが77年。はじまりから曖昧さを背負った彼らが、紆余曲折を経たいまなお先鋭バンドとして活動記録を更新しているのだから、人生はおもしろい。

 商業的に大成功したアーティストは、周囲からの無言のまなざしに応じて、自己模倣の反復に陥りやすい。しかし幸か不幸か、彼らは大幸運に恵まれることも、罠にはまることもなく、音楽的実験をくりかえしてきた。飽くなき好奇心と衿持のなせるわざによって。

ムーンライダーズ 『It’s the moooonriders』 コロムビア(2022)

 この新作も、現代音楽のような“monorail”からはじまる。アンビエントな音の海で複数の声がとりとめもない想念や観察を語る。時の流れを見つめる〈愚か者〉に老いが忍び寄る。海や羽田のモチーフが、彼らの前身バンド〈はちみつぱい〉にまでさかのぼって、遠い記憶を呼びさます。

 続く“岸辺のダンス”も彼らの面目躍如だ。イントロではミロンガ風のタンゴのリズムにのって、前衛的なヴァイオリンが舞う。辛口な歌声と語りの合間に、ハードなギターがうねり、アルペジオが駆け抜け、ゲストのバリトン・サックスが咆哮する。

 変わり続けてきた彼らがうたう〈変わらないものは 変わらないままでいい〉という言葉は、他者への思いやりか。それとも諦念か。明るく、元気で、せつなく、かわいいヒット曲全盛の世間に、この歌の居場所はあるのだろうか。

 心配することはない。ムーンライダーズには、お茶目なメンバーも、ロマンチックなメンバーも、21世紀に入ってから加わった若いメンバーもいる。そしてこのアルバムでも全員が含羞や屈折を共有し、ありとあらゆる不条理に満ちた日常の喜怒哀楽を万華鏡のような音楽に変換している。人工の都市に残る自然としての肉体が生む強力なグルーヴにのせて。

 冒頭の“monorail”の登場人物と呼応するかのように、末尾には反語的な“私は愚民”が置かれている。言葉では表せない気持ちが多いからだろう。曲の後半、抽象的なプログレッシヴ・ジャズとでもいうべき演奏の余韻のうちにアルバムは静かに幕を閉じる。