園田高弘とのラフマニノフ“ピアノ協奏曲第2番”は初出、大河ドラマのようなロシア音楽を聴ける
新日本フィルハーモニー交響楽団は今年(2022年)、創立50周年を迎えた。朝比奈隆は1947年に自身が創設した大阪フィルハーモニー交響楽団を本拠とする傍ら、1975年に新日本フィルの顧問に就いた。93歳まで現役指揮者であり続けた朝比奈は最晩年こそ東京の主要オーケストラすべてから〈熱烈歓迎〉されたが、共演回数では新日本フィルが群を抜く。一方、映像作家の実相寺昭雄は1970年にTBSを退社、2年後に萩元晴彦らとテレビマン・ユニオンを立ち上げ、山本直純と新日本フィルによる伝説の音楽番組「オーケストラがやって来た」を世に送り出す。すべてが熱い昭和だった。
このBlu-rayはブラームス“ハイドンの主題による変奏曲”(1992年5月13日、東京文化会館)、寺田農が前口上を務めるベートーヴェン“歌劇《フィデリオ》”冒頭(1994年12月1日、昭和女子大学人見記念講堂)、チャイコフスキー“交響曲第6番《悲愴》”(1994年2月3日、サントリーホール)、園田高弘をソリストに迎えたラフマニノフ“ピアノ協奏曲第2番”(同)の他、朝比奈と実相寺の対談を収めた。当時の新日本フィルは十分に若いオーケストラで古部賢一(オーボエ)ら、後に日本楽壇で重きをなす名手の20代の姿も刻まれている。何より気持ち良さそうに振る朝比奈と、それに全力で応える新日本フィルの名演が強い説得力を発揮する。
晩年こそブルックナーをはじめとするドイツ=オーストリア音楽の巨匠と目された朝比奈だが、京都帝国大学在学中はエマヌエル・メッテルにロシア音楽を学んだ。メッテルはロシア革命を逃れてきたウクライナ人。長くヨーロッパで活躍したピアノの園田も、一家で日本へ移住したユダヤ系ウクライナ人のヴィルトゥオーゾ(名手)レオ・シロタの愛弟子だ。朝比奈と園田には20歳の年齢差があり、音楽に対する考え方も必ずしも同じではなかったが、演奏解釈の基本を同じ文化圏の芸術家に授かったのは興味深い。堂々と揺るぎない、大河ドラマのようなロシア音楽を聴ける。