コクと瑞々しさが融け合った聴き手に勇気を与える巨匠の芸
指揮者・朝比奈隆(1908~2001)の没後20年の機会に1994~1995年の大阪フィルハーモニー交響楽団、2000年~2001年の新日本フィルハーモニー交響楽団の2組の『ブラームス:交響曲全集』のライブ録音が復刻された。
大阪フィルとの2回目のブラームス・チクルスは朝比奈隆の文化勲章受章直後の94年11月9日の交響曲第1番から始まった。この第1番はすみずみまで歌い抜かれ、しかも堅牢な構成美を備えた幕開けにふさわしい名演奏だった。ところが2か月余り後の95年1月17日、阪神大震災が近畿地方を襲う。そして震災後初めて迎える朝比奈隆と大阪フィルの共演がチクルス第2弾の第2番だった。リハーサルでこう言ったという。「地震があったからというのはなんの申し開きにもならないのであって、新しい発見をするつもりでやりましょう」。驚くことに第2番はゆったりしたテンポをとりながら、瑞々しいエネルギーがあふれる響きが展開し、〈新しい発見〉に満ちている。フィナーレのコーダにおけるダッシュは鮮烈で終演後の客席の盛大な拍手も納得。3月12日の交響曲第3番、5月28日の交響曲第4番も寂寥感にパッションのはらんだサウンドが響き渡る演奏でチクルスは成功裏に幕を閉じた。ここから朝比奈隆は晩年の充実へと歩んだ。
新日本フィルとのチクルスは2000年9月11日の交響曲第1番でスタート、10月4日に第2番、2001年2月26日の第3番、3月19日の第4番の日程だった。上記の大阪フィルのチクルスとは若干異なるやや速いテンポを主体に柔軟な緩急を交えるアプローチはドキドキ、ワクワクに満ちている。第2番のスリル、第4番の淡々たる運びから滲むやるせないロマンは格別で名手が揃っていた当時の新日本フィルの対応力も素晴らしい。
かつて朝比奈隆は「ベートーヴェンを前にすると竦み上がるが、ブラームスは何か一つ料理してやろうという気も起こる」と語った。2組の全集には朝比奈隆の見事な包丁捌きが刻まれている。