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平野暁臣

Days of Delightの使命とDolby Atmosの魅力が合致

――平野さんは、どこでDolby Atmosに注目なさったのでしょうか?

平野暁臣「半年くらい前だったかな、ニラジくんのスタジオでレコーディングをしている時に、彼から〈Atmosを一緒にやらない?〉と誘われたんです。でも、実はその時ぼくはAtmosの存在自体を知らなかった。〈それって何?〉と訊いたら、言葉で説明してくれるんだけど、何を言ってるのかさっぱりわからない。スピーカーがたくさんあって色んな所から音が出る、くらいにしか理解できなかったから、正直、〈ニラジともあろう者が、何とつまらない話をしてるんだ〉と思ってスルーしたんです(笑)」

――(笑)。

平野「というのも、トラウマがあるんですよ。ぼくが音楽を聴き始めた70年代半ばに〈夢の4チャンネル〉というのが出て……」

――ああ、わかります! クアドロフォニックですよね。

平野「それを聴くには専用のステレオセットとLPが必要で、もちろんバカ高い。我が家は到底買えなかったけど、金持ちの友だちの家が買ったんです。そいつは自慢したいから、たくさん聴かせてくれた。4chのLPもそこそこ出ていて、たとえばサンタナの“Black Magic Woman”なんかも聴けたんです。確かに前後左右4か所から音が出る。だけど、サウンドを機械的に4分割しているだけで、なんの合理性も必然性も感じなかった。こども心に、〈なんで後ろから音が出なきゃいけないんだよ〉って。だって、ギターソロが意味もなくぐるぐる回るだけなんですよ」

ニラジ「ははは(笑)!」

平野「ぼくは音ときちんと正対したい。演奏者は前にいるわけだし、ステレオだって臨場感や立体感、奥行き感のある素晴らしい音が作れるのに、なぜ無理して後ろから音を出さなきゃならないんだと。実際、〈夢の4チャンネル〉はあっという間に姿を消しました。

そういう記憶があるので、ニラジくんから〈10数個のスピーカー〉の話を聞いた時は〈最悪だ!〉と思ったわけです(笑)。でも考えてみたら、彼が言うことだから最悪のはずがない。

後でちゃんと話を聞くと、映画館では普通に使われている技術であるにもかかわらず、音楽にはまったくアタッチしていないと。しかも日本ジャズに至っては『BLUE GIANT』のサウンドトラックだけだと言うわけです。それで〈最初にやらないか?〉と。誰もやっていないことを〈最初にやらないか?〉って、悪魔の呪文ですよね? 当然痺れるわけですよ(笑)」

――(笑)。

平野「で、ここ(〈NK SOUND TOKYO STUDIO PEARL〉)で試聴させてもらったんだけど、実際に音を聴いてまた痺れた。一言でいえば、サウンドがすごく空間的・ライヴ的に聞こえる。生音がその場で鳴っているようにね。これは音楽の生々しさ、臨場感、解像度を上げるための技術なんだと確信しました。そういうことならステレオより優れているし、優れているなら普及させるべきだと。

Days of Delightの使命は、ジャズを生音で聴きたいというモチベーションを醸成すること。なので、日本でライブを観られるプレイヤーしかやりません。Atmosは生音に一番近い状態でジャズと触れ合えるメカニズムだと確信したので、これは絶対やろう、やるべきだと決めました」

 

Dolby Atmosは液体のようなもの

ニラジ「ステレオ音源を聴くためには2つのスピーカーが必要でしたが、4chの音源を聴くためには4つのスピーカーが必要となった。さらに進化して5.1chサラウンド音源を聴くためには、5つのスピーカーとサブウーファーが必要になった。それは一般家庭にとってはハードルが高過ぎる。

でも、Atmosはそういうチャンネルべースの技術ではなく、〈オブジェクトベース〉の技術なんです。つまり、ストリーミングでAtmos音源を再生するためには、パソコンでもスマホでも、イヤホンだろうがヘッドホンだろうがスピーカーが何個だろうが、その環境に合った最適な音が鳴るというイメージです。テクノロジーのことは一切考えなくていい。だからシンプルに音楽に集中できる」

平野「Atmosはスピーカーの数を競うような技術じゃないってことだよね?」

ニラジ「そう。実際ここでAtmosを聴いているとき、平野さんはスピーカーの数なんて数えなかったでしょ? 〈生音がその場で鳴っているように〉感じたと言ったけど、それは臨場感を生成するメカニズムが、スピーカーが何個あるとか何chあるなんてことはまったく意識にのぼらないほど自然だってことなんですよ」

平野「イヤホンしかなくても最適な音になる、システムを選ばない、ってことは、逆に言えば、音源を送出するAtmos側が、リスナー側の事情に合わせてくれるってこと?」

ニラジ「そうです。そこがAtmosの最大の魅力なんです。考えてみると、LPでもCDでもMDでも、すべてパッケージ化された〈かたまり〉だったでしょう? 〈ソリッド〉なもの。

ところがAtmosは、再生側の事情にあわせて勝手に姿を変えてくれる。リスナーサイドは何もする必要がない。いわゆる〈リキッド〉なもので、どんな環境だろうが、どんな条件だろうが、音源が一番良い状況で送り出されてくるんです」

平野「リキッド=液体だから、容器によって形が変わっていく……。だとしたら、Atmosは本当に革命的な技術なのかもしれないな」