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いま生きていることを映したサウンド

 最終的に完成した11作目『Fuse』は果たして、〈悪くないアルバム〉どころか、EBTGの最高傑作の部類に入る一枚だ。洗練されたエレクトロニック・プロダクションとインティメイトなヴォーカルで形作られた『Temperamental』と『Walking Wounded』(96年)の路線を引き継ぐ作品であることは間違いなく、片やハウス/ガレージに加えてトラップなどの影響も汲んだフロア・フレンドリーでアンセミックな楽曲が揃い、いずれも細やかなニュアンスに富んだサウンド・テクスチャーと、力強くしなるビートに裏打ちされている。

EVERYTHING BUT THE GIRL 『Fuse』 Buzzin' Fly/Virgin(2023)

 そして、その重厚さを柔らかく受け止めるのが、“Interior Space”をはじめ、ベンの最新ソロ作『Storm Damage』(2020年)にも重なるピアノ・ベースのダウンテンポかつアトモスフェリックな曲群だ。どちらもEBTGらしいメランコリーに貫かれていながら懐古的なところは一切なく、例えば多様なヴォーカル処理を施すなどして時代性をくっきりと刻んでいる。そう、こともあろうにトレイシーの唯一無二の歌声を、以前にも増して深く威厳に満ちた歌声を、ベンは遠慮なく加工しているのである。

 「いい例えになるのが、いまや80代の画家デヴィッド・ホックニーなんだ。近年の彼はiPadを使って絵画を描いたり、没入型インスタレーションにも挑戦したりしていて、テクノロジーを恐れない。でも完成した作品は明らかにホックニー。僕らも同じようなスタンスをとったんだ。この20年に起きた大きな変化のひとつは、ヴォーカル・プロダクションの多様化。オートチューンを使ったりピッチを変えることが一般化したよね。トレイシーの声でもやってみようってことになったんだよ」(ベン)。

 「やっぱり、自分たちはこの瞬間に生きているという事実を反映させないと作る意味がないし、シンガーって自分の声に飽きやすいから、私はホッとしたくらい(笑)。切り刻もうが何をしても構わない、目一杯やって!と頼んだの」(トレイシー)。

 また、ソロ作品でよりパーソナルな表現ができるようになったいま、EBTGとしての作詞へのアプローチにも変化が表れたといい、「いろんなこだわりがなくなって、曲によってはベンと私が歌詞を半分ずつ書いた」とトレイシーは指摘。そして歌詞の背景には現代社会のカオスとテンションが投影され、歌ったり踊ったりする行為にたびたび言及するふたりは、音楽を介した人々の繋がりに希望と救いを見い出しているようでもある。先行シングルの“Nothing Left To Lose”で繰り返される、〈世界が壊れていくなかで、私にキスをして 音楽が鳴っている間、私にキスをして〉というキラー・フレーズが示唆する通りに。

 「“No One Knows We’re Dancing”はベンが主催していたクラブ・イヴェント〈Lazy Dog〉にちなんだ曲で、常連だったクラバーたちが曲に登場する。ロックダウン中に生まれたんだけど、歌っていると、どこか別の場所に連れて行ってくれるかのような気がした。ラストを締め括る“Karaoke”も、音楽によって人々がコネクトできるカラオケ・バーを舞台にしている。私たちは、公共の場所で多くの人と音楽を分かち合っているイメージを取り入れていたんだけど、意識的にやったことではなくて、パンデミックを経験したことで自分たちの心に強くアピールしたんでしょうね」(トレイシー)。

 そんなアルバムのタイトルに、ふたりはごくシンプルな単語を選んだ。異なる物事の結合と、爆発を起こす導火線を指す〈fuse〉のダブル・ミーニングに惹かれたというが、20年以上の沈黙を経たふたりのシナジーには火が点され、いくつもの小爆発が鈍い光を放つ。 *新谷洋子

エヴリシング・バット・ザ・ガールの90年代の作品を一部紹介。
左から、94年作『Amplified Heart』(Blanco Y Negro/Edsel)、96年作『Walking Wounded』、99年作『Temperamental』(共にVirgin)