タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之。彼の音楽嗜好は、50’s~90’sあたりまでのロック、ポップス、ソウル、ジャズなどを手広くフォロー。また邦楽もニッチな歌謡曲からシティポップ、オルタナティブ、ときにはアニメソングまで愛好する音楽の猛者である。マスメディアやweb媒体などにも登場し、その深い知識と独自の目線で語られるアイテムの紹介にファンも多い。退社後も実家稼業のかたわら〈音楽〉に接点のある仕事を続け、時折タワーレコードとも関わる真のミュージックラヴァ―でもある。

つねにリスナー視点を大切にした語り口とユーモラスな発想をもっと多くの人に知ってもらいたい、読んでもらいたい! ということで始まったのが、連載〈パノラマ音楽奇談〉です。第3回はエリック・クラプトンについて綴ってもらいました。 *Mikiki編集部

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クラプトンは勢いでどうにかなるかも

あまり計画性のない連載が第3回を迎えました。今回は編集部から「梅雨どきなので〈雨の曲特集〉か、6月23日に『The Definitive 24 Nights』がリリースされるのでエリック・クラプトンはどうか?」と提案があったので、3分ほど悩んで後者を取り上げることにしました。

なるべく正直な連載を心がけているので率直に言うと、〈雨の曲特集〉は該当曲が多すぎるのでセレクトがちょっと面倒くさい気がしたのです。でもエリック・クラプトンは勢いだけでどうにかなるかもしれない。ことによっては第1回のつづきめいた話になるかもしれない。……という思惑を抱きつつ、なんとなく本文を書き進めてみたいと思います。

 

Photo by Carl Studna

80年代後半、60’sの扉がようやく開いた高校生時代

中学時代に50年代のロックンロールに夢中だった僕は(第1回参照)、高校生になると60年代のロックも聴くようになっていました。といっても時代は80年代後半。世間ではガンズ・アンド・ローゼズやジョージ・マイケルがヒットしていた頃ですが、そんなこと当時の僕は全然知りません。なぜそれほど流行りの音楽に疎かったかというと、ただ単に誰も教えてくれる人がいなかったからです。知人に洋楽を聴き始めたきっかけを尋ねると、両親や兄姉などの身内か、知り合いの年配者から教えてもらったという話がほとんどです。ウチの両親はロックを聴いていなかったし、長男なので上はいないし、周りに洋楽の筆おろしをしてくれる優しいお姐さんもいませんでした。僕は幸か不幸かまったく誰の影響も受けずに、(若干の勘違いと思い込みにより)オールディーズばかりひたすら聴きこんでいたのでした。

ではなぜ〈50’sのロックンロール〉から〈60’sのロック〉へと自力でブレイクスルーしたのかというと、高1のときに「50’s & 60’s」という珍しい括りの音楽ムック本が発売されたのです。50’s目当てで購入した僕は、そこでようやくビートルズ以外の60’sロックシーンを知ることになりました。当時好んで聴いていたのはキンクスの“Till The End Of The Day”や、ホリーズの“I’m Alive”など、ブリティッシュビート系が多かったと思います。

キンクスの65年作『The Kink Kontroversy』収録曲“Till The End Of The Day”

ザ・ホリーズの64年作『In The Hollies Style』収録曲“I’m Alive”

 

クリームの無茶苦茶なライブ演奏に衝撃を受け、クラプトンを知る

でも高校時代に最もハマっていたのは、じつはクリームでした。キンクスやホリーズは名前くらいはなんとなく聞いたことがあったんですが、ムック本の大枠で紹介されていたクリームというお菓子みたいな名前のグループは全然知らない。エリック・クラプトンがいた3人組のバンドらしいけど、そもそもエリック・クラプトンが誰だかわからない。ためしに名盤だという『Disraeli Gears』(67年)をレンタルして聴いてみたものの、なんだかかったるくて変な音楽で全くピンときませんでした。

クリームの67年作『Disraeli Gears』

それでも〈彼らの本領はライブだ〉と書かれていたことを思い出し、ダメ元で『Live Cream Volume II』(68年)というアルバムを 図書館で(タダで)借りてきてました。やる気なさそうなタイトルといい、近所の友だちが適当にレイアウトしたようなジャケットといい、タダじゃなかったら絶対聴いてなかったと思いますが、それが大間違いだったのです。

ひと言でいうと〈非常に仲の悪そうな音楽〉というのか。スタジオ盤と違って即興演奏がメインなんですが、アドリブに突入するとまるで3人が大音量の楽器でボコボコ殴り合いをしているような無茶苦茶さで、ギターに負けないほどベースとドラムが激しく主張しているのです。まあ実際にメンバーの仲は険悪だったようですが、とにかくそんな破天荒なエナジーに満ちた自己中心的ロックを聴いたことがなかったので、それはもうとんでもない衝撃を受けました。とくに冒頭の“Deserted Cities Of The Heart”のドタバタした演奏が大好物で、いまだに月1ペースで聴いているほどです。ロックのライブアルバムで一枚選べと言われたら迷わず本作を挙げますね。まぁ世評はあまり高くないんですけど(以前ロックバーでリクエストしたら〈音が悪いから嫌だ〉と拒否されたし)、他人がなんと言おうが、自分が最高だと思えばそれでいいのです。

クリームの68年のライブアルバム『Live Cream Volume II』

ともかく、僕はクリームによってエリック・クラプトンを初めて認識することになったのです。そんな奇特な同世代はいないと思いますが、なにしろ誰も教えてくれないから仕方ありません。その後は定石通りデレク&ザ・ドミノスを聴いて、最初はクリームとのあまりのギャップにズッコケたものの、それでもすぐにレイドバックしたあの大らかなサウンドにも惹かれていくのでした。ちょうどその頃、オンタイムでもソロアルバム『Journeyman』(89年)がリリースされて、これも熱心に聴いていました。

デレク&ザ・ドミノスの70年作『Layla And Other Assorted Love Songs』

エリック・クラプトンの89年年作『Journeyman』

生のエリック・クラプトンを見た高校3年の冬

そんなこんなで高校3年の冬、エリック・クラプトンのジャパンツアーが行われることを知った僕は、12月13日のツアー最終公演となる横浜アリーナのチケットを入手したのです。このライブの感想を当時半年だけ書いていた日記から抜粋してみます。

前の方だと思ったらえらい後ろの席だったのでまいった。そしてクラプトン登場。しかし小さくてよく見えん! でも音はすごい、びっくりした。出だしは“プリテンディング“、結構つかれていたので拍手や手拍子はあまりしなかったけど、クリームのナンバーのときは燃えた! “いとしのレイラ“ではホール中大いにわき、俺は猛烈に感動した。アンコールの“サンシャインオブユアラブ“も涙もんだった

バカすぎる文章には頭を抱えるしかないですが、18歳の自分がこのライブを心底楽しんでいたことだけは伝わってきます。なお、エリック・クラプトンにとってもこの日の公演は同年の1月からスタートした長いワールドツアーの千秋楽だったらしく、演奏のクオリティもツアー屈指のレベルだったとのことです。

 

ロイヤル・アルバート・ホールで24回の連続公演から生まれた『24 Nights』

そして翌年の91年2月から3月にかけて、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで24回の連続公演を行って大きな話題を呼ぶのですが、そこからセレクトされた演奏が収められたのが、同年10月にリリースされた2枚組ライブ盤『24 Nights』でした。このアルバムの特徴は以下の4つのセットで構成されていることでしょう。

1. 4人編成バンド
2. バディ・ガイら大物ゲストを招いたブルースセット
3. 基本の4人にキーボードやコーラスなどを加えた9人編成バンド
4. 9人編成+オーケストラ

エリック・クラプトンはそれ以前にもソロで3枚のライブアルバムを残していますが、これほどバラエティに富んだ華やかな内容の作品はありませんでした。当然ながら『Live Cream Volume II』のゴリゴリした険悪な演奏とは天と地ほど違います。

『The Definitive 24 Nights』ショートフィルム

一方その年の僕はというと、故郷を離れて東京の学校に進学したため身辺が著しく変化していました。とくに変わったのが音楽の嗜好で、大学で洋楽好きの友だちが多くできたことで一気に範囲が広がって、オールドロックだけでなくリアルタイムの音楽も聴くようになっていたのです。それはニルヴァーナが大ブレイクした年でもあり……。まぁその頃の話はまた別の機会に触れるかもしれませんが、ともあれそんな状況のなかで聴いた『24 Nights』は、どこか懐かしいような照れ臭いような不思議な感慨を憶えるアルバムでした。

僕が観た横浜アリーナ最終日からわずか2ヶ月後に始まった公演なので、選曲やアレンジが近いところがあったのもそう思わせる一因だったのでしょう。とくに小編成セットはバンドメンバーがジャパンツアーと同じだけあって、横浜アリーナを追体験しているような雰囲気もありました。

いま改めてエリック・クラプトンのキャリアを振り返ったとき、『24 Nights』はなかなか面白いポジションにある作品のような気がします。80年代のクラプトンは時代におもねるような部分もあって、正直なところやや精彩に欠けていたことは否めません。けれどディケイドの終りに発表した『Journeyman』は力作で、その新作を引っさげたワールドツアーも好評。そんな充実した流れに乗って行われたロイヤル・アルバート・ホール連続公演は、彼にとってある意味キャリア総決算的な思いがあったのではないでしょうか。なにしろ4つのセットを織り交ぜた同会場での24日間という尋常ではないライブを、全身アルマーニで固めて気合十分で達成したわけですから。

そしてわずか1年後の92年には、同じライブ盤という体裁ながらほぼ真逆のコンセプトで臨んだアルバム『Unplugged』をリリース。まさかの全米チャート1位を記録して空前のアンプラグドブームを巻き起こすことになるとは本人も予想していなかったでしょう。さらに94年には全編ド渋のブルースカバーアルバム『From The Cradle』で、これまた全米チャート1位を獲得。80年代とは打って変わって、自分のスタイルを見失うことなく商業的成功も収めたのでした。こうした〈シンプル&ワビサビ化〉を成すためには、ゴージャスで祝祭的な『24 Nights』で自身の活動をいったんリセットする必要があったんじゃないかなと思うのです。

エリック・クラプトンの92年のライブアルバム『Unplugged』

エリック・クラプトンの94年作『From The Cradle』

ERIC CLAPTON 『The Definitive 24 Nights』 ワーナー(2023)

今回の『The Definitive 24 Nights Super Deluxe CD Box』は、6CD+3Blu-Rayというとんでもないボリュームでコンサートの模様を振り返っています。同時にロック、ブルース、オーケストラというそれぞれの演奏形態別の2CD+DVDも発売されるようですが、私的には『24 Nights』は4つのセットで構成されていることに意義がある作品なので、ボックスを購入してひたすら一日中聴き続けるのがいいかもしれないなと思っています。

『The Definitive 24 Nights』開封動画

 

ところで、『24 Nights』は91年10月にリリースされましたが、その2ヶ月後にジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンのジョイントコンサートが日本で実現しました。僕は東京ドーム公演に参加しましたが、そのときはジョージに気を取られていたせいかクラプトンの記憶はいまいち曖昧です。一緒に行った友だちが“Wonderful Tonight”の陶酔気味な長いギターソロのあいだ、グーグー寝ていたことは憶えているのですが……。ジョージ・ハリスンについてもこの連載でいつか取り上げたいなと思いますが、次回はたぶん違います。

 


PROFILE:北爪啓之
72年生まれ。99年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈っくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。