戒厳令解除後に花開いたロック、実験音楽、ジャズ
――すると、日本における高柳昌行さんや山下洋輔さんに当たるような、〈台湾フリージャズ界のパイオニア〉と呼べる人物は過去にはいなかったということでしょうか? 例えば台湾のノイズシーンだと、林其蔚(リン・チーウェイ/Chi-Wei Lin)や王福瑞(ワン・フーレイ/Fu-Jui Wang)といった90年代のパイオニア的存在を挙げることもできますが。
「台湾におけるフリージャズのパイオニアの名前を挙げられるかというと、残念ながらパッと思いつかないです。もしかしたら20年後、同じ質問があった時に僕の名前が出てくるんじゃないでしょうか(笑)。そのぐらい見当たらないですね。
ただ、99年に『存在 Pure Existence』という即興ソロピアノのライブアルバムをリリースした人物がいました。ピアニストの吳書齊(ウー・スーチー/Su-Chi Wu)です。そのアルバムでの彼のアプローチは、キース・ジャレットの『The Köln Concert』(75年)に近いもので、山下洋輔さんのようなエネルギッシュなフリージャズではないですが、もしかしたら彼が台湾で最初に完全なインプロビゼーションの作品をリリースしたジャズミュージシャンかもしれません。
吳書齊は75年生まれで、このアルバムの後は再びメインストリーム寄りのジャズのスタイルに戻っていき、2008年に若くして亡くなりました。『存在 Pure Existence』は没後の2009年に台湾のレーベル・倍特音樂(現・貝特音樂)からリイシュー盤が発売されています。
さっきの台湾のジャズの歴史的発展について少し補足しておくと、台湾ではやっぱり87年の戒厳令解除が一つの区切りになっています。その後、数年かけて社会の様々な面で新しい動向が出てきたわけですが、その中で音楽的な部分にフォーカスすると、抑圧された表現が爆発的ないし反逆的に盛り上がっていったのは、ジャズよりもどちらかというとロックだったり、実験音楽やノイズだったりが目立っていました。
95年に初めてジョン・ゾーンが台湾に来たんですよね。その時に観に行ったのもジャズの人たちではなくて、どちらかというとハードコアのファンかパフォーマンス系のアーティストでした。ミリタリークラブでジャズを演奏していた人たちが、当時、そうしたインディペンデントな音楽の波及効果を受けたのかというと、残念ながらそこまで影響はなかったと言えます。
台湾でインディペンデントなロックやノイズが興隆し始めたのは90年代前半でした。台湾におけるジャズの歴史では、戒厳令解除後の第1世代――僕は第2世代に当たります――のミュージシャンたちが留学から帰国したのが、おおよそ90年代後半から2000年代初頭なんです。彼らが帰ってきた当時は、それ以前のミリタリークラブのバンドのようなサービスとしての演奏ではなく、ようやく自分たちの作品と言えるものを発表していくことができるようになった時期でした。その頃から台湾のジャズアルバムも市場に出回り始めたんですね。ただ、そこではどちらかと言うとスタンダードなジャズが多かった。
それで僕ら第2世代は、2000年代後半から2010年代初頭にかけて留学から帰ってきたのですが、そうしたスタンダードなジャズを自分たちの作品として発表できるようになったところから、さらに、実験音楽やノイズなどジャズ以外の人たちとも合流することで、ジャズシーンを開いていくことになりました。それによって台湾におけるジャズのあり方が拡張していったという流れがあります。
第1世代が帰ってきた2000年代は台湾でジャズフェスティバルが開催されるようになった時期でもありました。2003年から台中ジャズフェスティバル(臺中爵士音樂節/Taichung Jazz Festival)と両庁院サマージャズ(兩廳院夏日爵士/NTCH Summer Jazz)が、2007年から台北ジャズフェスティバル(臺北爵士音樂節/Taipei Jazz Festival)が始まりました。両庁院というのは台北・中正紀念公園にあるコンサートホールとシアターホールを指します。僕らの世代からすると、この3つの音楽フェスが、スタンダードなジャズをメインとする歴史あるジャズフェスなんですね」
台湾ジャズを育てた第1世代の教育者たち
――いわゆるフリージャズではないかもしれないですが、上の世代でテリーさんが重要だと思うジャズミュージシャンにはどんな人物がいるのでしょうか?
「影響力が大きいミュージシャンの一人は、今70代の黃瑞豐(ファン・ルイフォン/Ruey-Feng Huang)先生。ドラマーの方です。それと第1世代に当たる人物として、ピアニストの彭郁雯(ポン・イーウェン/Yu-Wen Peng)先生。サックスの董舜文(トン・シュンウェン/Shuen-Wen Tung)先生。彼ら彼女らは作品量が多いですし、後進の育成にも力を入れているので教え子もたくさんいます。
同じく第1世代で、ミリタリークラブで演奏していたバイオリニストの謝啟彬(シェ・チィーピン/Chi-Pin Hsieh)先生。あと、ピアニストの張凱雅(チャン・カイア/Kai-Ya Chang)先生。この2人も作品量が多くて、教育者でもあります。董舜文先生と謝啟彬先生、張凱雅先生は、僕が習っていた先生で、この先生方の影響がきっかけでベルギーに留学することになりました。特にサックスの董先生は僕にとってジャズのメンター的な存在です。
他にも台湾の素晴らしいジャズミュージシャンはいて、僕自身、間接的に影響を受けていると思いますが、今パッと思い出せたのはこの5人ですね」