歌曲が紡ぐ物語の一夜
藤村実穂子は、〈深く聞きいらせる力〉をもった、希有の歌い手だ。
落ち着きと、自然な威厳をかねそなえたその声が、熟慮を重ねた知性的な解釈により、詩と音楽の深く豊かな世界を形成する。1年以上をかけて練り上げられた選曲と歌唱、磐石の信頼を寄せるピアニストの協力を得ての、リートの夕べである。
開幕のモーツァルトの5曲は、前半2曲がイタリア語、後半3曲がドイツ語歌詞による。前半は恋の喜び、後半はかなわぬ恋とその受容、そして人生の終わりを歌っており、この流れには今回のプログラム全体のテーマが示されているようだ。
続いて、プログラムの中核をなす2つの歌曲集は、ともに19世紀末のウィーンに生きた作曲家によるもので、オーケストラ伴奏版も存在して、濃密さとスケールの大きさを持つ点も共通する。藤村の歌唱力と存在感が活かされる音楽だ。
まずマーラーの「さすらう若人の歌」は、失恋した男を主人公とする自作の歌詞による歌曲集で、1885年頃に完成された。管弦楽伴奏でも親しまれているが、オリジナルはピアノ伴奏である。マーラーを得意とし、“亡き子をしのぶ歌”や交響曲第2番“復活”のソロなど、数々の作品で忘れがたい名唱をこれまでに聴かせてきた藤村だけに、期待が高まる。
そのマーラーより11歳年下のツェムリンスキーは、シェーンベルクやコルンゴルトの師としても知られる。頽廃の影を宿す、濃厚なロマン性が特徴だ。“メーテルリンクの詩による6つの歌”はその名のとおり、「ペレアスとメリザンド」や「青い鳥」で名高い象徴主義の詩人メーテルリンクの詩による。主人公が男性だったマーラーの歌曲に対し、女たちの思いがテーマとなる。第1次世界大戦直前の1913年の作品で、マーラーと同じく管弦楽伴奏に編曲した8年後のヴァージョンもある。藤村は管弦楽伴奏版も2021年に大野和士指揮東京都交響楽団とサントリーホールと東京芸術劇場で歌っており、思い入れの深さがうかがえる。
おしまいは、細川俊夫が藤村のために新たに編曲した、日本の子守歌。過去から未来へと歌いつがれていく子守歌は、生命の継承と循環の象徴でもある。さらには「レクイエムという意味も含まれる」と藤村は考えている。
レクイエムとしての子守歌によって結ばれる、歌曲の一夜。あなたの心はそこに、どのような物語を紡ぐだろうか。
LIVE INFORMATION
プラチナ・シリーズ第2回 藤村実穂子 ~日本が誇るメゾソプラノ~
2023年9月27日(水)東京文化会館 小ホール
開場/開演:18:30/19:00
出演:藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)/ヴォルフラム・リーガー(ピアノ)
■曲目
モーツァルト
静けさは微笑み K152
喜びの鼓動 K579
すみれ K476
ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼く時 K520
夕べの想い K523
マーラー:『さすらう若人の歌』
1.「恋人の婚礼の時」
2.「朝の野を行けば」
3.「胸の中には燃 える剣が」
4.「恋人の二つの青い眼」
ツェムリンスキー:『メーテルリンクの詩による6つの歌』Op.13
1.「三人姉妹」
2.「目隠しされた乙女たち」
3.「乙女の歌」
4.「彼女の恋人が去った時」
5.「いつか彼が帰ってきたら」
6.「城に歩み寄る女」
細川俊夫:2つの子守歌(日本民謡集より)
1. 五木の子守歌
2. 江戸の子守歌
https://www.t-bunka.jp/stage/18171/