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ロニー・ホーキンス&ザ・ホークスの衝撃、一流作曲家たちとの出会い

転機となったのは1959年10月、ロビーが16歳のとき。その頃にはザ・スウェーズと名乗っていたロビーのバンドが、トロントにやってきたロニー・ホーキンス&ザ・ホークスの前座を務めることに。若きドラマー、リヴォン・ヘルム擁するホークスの演奏に衝撃を受けたロビーは、その後も2週間ほどトロントのクラブで演奏することになっていた彼らに取り巻きとしてついて回るようになった。

ある日ホーキンスが新曲を欲していることを知ったロビーは、その晩のうちに“Someone Like You”“Hey Boba Lou”の2曲を書き上げホーキンスの前で披露。見事採用され、アルバム『Mr. Dynamo』(1960年)に収録される。

ロニー・ホーキンス&ザ・ホークスの1960年作『Mr. Dynamo』収録曲“Someone Like You”“Hey Boba Lou”

RONNIE HAWKINS, THE HAWKS 『Mr. Dynamo』 Roulette(1960)

このとき、作曲のクレジットに見ず知らずの〈マギル〉という名前が併記されていることにロビーは異議を唱えたが、実はこれはルーレット・レコードのオーナーの偽名で、そういうしきたり、ということで丸め込まれてしまう。この一件はロビー少年の心に深い傷を残すことになる。

一方ロビーの曲作りの才能を認めたホーキンスは、ロビーを連れてニューヨークへ。ソングライターの集うブリル・ビルディングで、ホーキンスにぴったりの曲をロビーに見つけてもらおうという目論見だ。弱冠16歳のソングコンサルタントは、オーティス・ブラックウェルやジェリー・リーバー&マイク・ストーラー、ドク・ポーマス&モルト・シューマンといったアメリカンポップスの名ソングライターのオフィスを訪れ、彼らの新曲を選別していったという。

かくしてロビーは、超一流のソングライティングを目の当たりにすることに。後の「ラスト・ワルツ」では、ザ・バンドの他メンバーとの関係が薄いニール・ダイヤモンドをロビーが招いたことが物議を醸したが、アメリカ音楽史への賛美という映画のコンセプトを鑑みれば、かつてブリル・ビルディングのソングライターだったニールの登場は必然だったといえる。

 

念願のホークス加入、リヴォン・ヘルムとの友情

本拠地であるアーカンソーに戻ったホーキンスから電話があったのは翌1960年の春。ロビーにとって待望であるホークス加入の誘いだったが、いざグレイハウンドバスを乗り継ぎアーカンソーに辿り着いてみると、ホークスを抜けたがっているのはベーシストだという。このチャンスを逃すまいとロビーは急ごしらえでベースをマスターし、ホークスの新ベーシストに収まった。つまりロビーとリヴォン・ヘルムとの関係は、リズムセクション同士として始まったのである。3歳年上のリヴォンはロビーにベースのリズムの取り方を伝授したり、時にはチンピラに絡まれたロビーを護ったりと、過酷なツアー生活の中で2人はまるで兄弟のように絆を深めていく。

いくつかのメンバー交代を経て、ロビーが望み通りホークスのリードギタリストになる頃には、すっかりリヴォンとロビーがバンドの中心になっていた。彼らはホークスの演奏にリズム&ブルースの要素を取り入れようと、それに相応しいメンバーを集め始める。かくしてリック・ダンコとリチャード・マニュエルが仲間に加わり、最後にやってきたガース・ハドソンはホークスにアカデミックなジャズのエッセンスをもたらした。しかしながらホーキンスはこうした音楽性の変化を嫌い、さらにはリックとロニーの女性関係でのトラブルも相まって、1964年、ホークスの面々はホーキンスと袂を分かつ。