レッスンと引き換えに手に入れたのは世界に一人だけの〈私〉
自分らしくありのままに生きようとするヒロイン像の原点が、30年の時を超えて4Kの美しい映像で蘇る――
映画生誕100年の1995年にフランスで刊行されたミシェル・シオンの「映画の音楽」は、表紙に「ピアノ・レッスン」(1993)の1シーンがつかわれている。海辺にピアノがあり、主役のホリー・ハンターが脇に立ち、楽器のうえにはアンナ・パキンが横座りに。2002年の飜訳でもおなじだ。この大部の本、多くの映画に、音楽に言及する本の〈顔〉に「ピアノ・レッスン」がなっている。出版当時、2年前に公開され、人気も高く、映画/音楽の研究者である著者も納得して、この表紙となったのだろう。
本書はこの映画に何度か言及するが、1か所だけ引いてみる。
ジェーン・カンピオンの崇高な映画「ピアノ・レッスン」では、その生々しさに、音楽の「絶対的価値」という映画の問いが示されている。響きを表わそうと作曲されたマイケル・ナイマンの音楽は、そんなことを考えさせることなく、ヒロインの指から涸れることなく流れ出させるアクセントを表象している。(みすず書房、p.243)
崇高な映画! しかも生々しさという。なんとつよい評言か。そうなのだ。口のきけない女性がピアノの鍵盤にふれ、音を発し、ハーヴェイ・カイテルに意思を伝える。ことばとは異なった意味が、はたらきが、楽器の音で。音を発するためにダンパーがあり、アクション機構があり、鍵盤があるというピアノの間接的なつくりが、ここではまた、コミュニケーションの困難をあらわしてもいる。
現在、2024年、公開から30年。時間の経過の速さにくらくらする。いまスクリーンでみるひとは、どうなんだろう、昔の映画、としてみるだろうか。それとも、いまの映画としてみるだろうか。
公開されたときには気づかなかったことが、制作時点での現在とのずれはありつつも、いまだからこそ、ある。ヨーロッパから遠くはなれた土地としてのニュージーランド。19世紀。設定としての先住民。自然環境のなかにおかれたグランドピアノという楽器の大きさ、違和感、その抽象的なひびき、抽象的な楽音から紡がれるメロディ。女性の地位・位置・意味。家族。暴力……。
音楽は、くりかえすまでもない、マイケル・ナイマン。この映画でその名に、音楽にふれたひとも多かった。70年代はピーター・グリーナウェイ、80年代はパトリス・ルコントの映画で音楽を担当。マイケル・ナイマン・バンドの活動も積極的だった。そんななか、波のうねりのようなピアノが特徴的な「ピアノ・レッスン」の音楽は、映画そのものと連動した人気を博した。楽譜が国内だけでも何種類か出版されもした。わたしも、たしか、買ったのだとおもう。ひさしぶりに、棚を探してみようか。
MOVIE INFORMATION
映画「ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスター」
監督&脚本:ジェーン・カンピオン
音楽:マイケル・ナイマン
出演:ホリー・ハンター/ハーヴェイ・カイテル/サム・ニール/アンナ・パキン 他
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
(1993年|オーストラリア・ニュージーランド・フランス|121分|R15+)
©1992 JAN CHAPMAN PRODUCTIONS&CIBY 2000
2024年3月22日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
https://www.culture-pub.jp/piano/