Jamie Fry

We’re Gonna Live Forever
最強のファースト・アルバム、影響力の衰えない名盤、時代の精神を定義したシンボル……語り尽くせないクラシックはいかに生まれたか? 30周年を機に考える、オアシスと『Definitely Maybe』が変えたもの

マイ・ジェネレーションのバンド

 94年4月、オアシスのファースト・シングル“Supersonic”がリリースされたときのことは、30年前ながら鮮明に憶えている。大学の授業前に軽音楽部の同級生が渋谷のレコード店〈ZEST〉の袋を持っていて、何を買ったのか?と訊くと彼女が取り出したのが“Supersonic”の12インチだった。当時、深夜に放送されていた英国のチャートを紹介するTV番組「BEAT UK」で知って、すぐさま買いに行ったと、普段は物静かな感じなのにちょっと興奮気味に話していた光景をいまも思い出すことができる。

 番組で流れたMVは筆者も目にしていた。新人とは思えないふてぶてしさのヴォーカリストとギタリストが偉そうにカメラを凝視する。他の3人のメンバーはおまけとばかりにあまり映されないし、撮影場所にルーフトップを選んだことも傲慢な感じがした。世界でもっとも有名なバンドがルーフトップで行った最後の演奏を、まるで自分たちが引き継いだかのように見せるのも新人らしからぬ振る舞いだった。もっとも、この時代はいまと違って大言壮語するバンドが珍しくなかったし、オアシスもその類のバンドのひとつとして見ていたのだが、続くセカンド・シングル“Shakermaker”の歌詞でジャムの“Mr. Clean”が出てきたり、よりビートルズらしさを感じさせるようになったりと、雨後の筍のように毎週新しいイバンドが登場してきていたが、オアシスは別格なんじゃないかと気になり出した。そして、その予感はサード・シングル“Live Forever”で確信に変わり、この不世出の〈ロックンロール・スター〉ノエル・ギャラガーとリアム・ギャラガーが率いるオアシスを見い出したクリエイションのボス、アラン・マッギーの慧眼に改めて恐れ入ったのだった。

 いまにして思うのだが、94年という絶妙なタイミングに登場して瞬く間にトップ・バンドへと登りつめたのは、時代がオアシスを求めていたからではないだろうか。80年代の10年間はかつてないほどさまざまなスタイルの音楽が英国で誕生して世界中から注目を集めていた一方、マーガレット・サッチャー首相が推し進めた経済施策〈サッチャリズム〉は不況の長期化と失業率の上昇を招き、若者たちは厳しい時代を生きていた。90年11月にサッチャーが退陣すると、ジョン・メージャーが首相に就任。サッチャーほどの指導力とカリスマ性もないメージャー首相に求心力はなく保守党の勢いが衰えていき、労働党への期待が高まっていく。94年に41歳のトニー・ブレアが労働党党首に選ばれる頃には金融や不動産業を中心に景気が上向きになり、80年代の停滞ムードから希望の兆しが見えはじめる。

 オアシスはそんなポジティヴなムードと共に登場したわけだが、ブラーやスウェード、マニック・ストリート・プリーチャーズといった先輩格のバンドの活躍によってマッドチェスターの次なる音楽トレンドが形成されようとしていたタイミングであり、オアシスの鮮烈なデビューによってパズルの最後のピースがハマり、新たなムーヴメントが決定づけられた。若者たちがマイ・ジェネレーションのバンドとしてオアシスを迎え入れたことによって、ブリット・ポップは大きな産声をあげたのである。