高田渡、あがた森魚らフォークと近現代詩
最初にはっぴいえんどから始めたものの、1970年代前半にはロックよりもむしろフォークシンガーたちの方が文学的な素養をまとっていました。サウンド以上に歌や言葉の力を重視していた彼らは、近現代の詩人たちが綴った詩に曲を付けて歌ったのです。
まずは何といっても高田渡。はっぴいえんどとも交流の深いフォークシンガーですが、山之口獏や金子光晴、草野心平、谷川俊太郎らの近現代詩を多く歌っていたことで知られています。どれも彼の自由で緩いパーソナリティによってほぼ自身の歌に昇華してしまっているのが面白いのですが、とりわけ山之口獏の“生活の柄”は高田渡への書き下ろしなのではないかと思えるほど自然体のタカダワタル的名曲でしょう。
のちに吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげると共にフォーライフ・レコードを立ち上げる小室等のソロデビューアルバム『私は月には行かないだろう』(1971年)は、谷川俊太郎、大岡信、茨木のり子、吉増剛造などの現代詩に曲をつけた企画盤的な内容ですが、劇作家の別役実による名曲“雨が空から降れば”や先日亡くなった松岡正剛など意外な人の詩があるのもポイント。その後も小室は谷川俊太郎とがっつり組んだコラボアルバムを何作かリリースしています。

激しくかきむしられる生ギターと秋田訛りの強烈な絶唱によってフォーク界の異端児的存在でもある友川かずき(現カズキ)には、アルバム全編が中原中也の詩で構成された『俺の裡で鳴り止まない詩』(1978年)があります。
妥協なく自らを貫きながら短い生涯を駆け抜けた孤高の詩人への敬慕がスパークした力作で、面会した中也の老母が「かずきさんの眼は中也のアンコールじゃ」と語ったという逸話にも心打たれます。なお、プロデュースは寺山修司率いる実験演劇集団=天上桟敷の音楽担当だったJ・A・シーザー。
あがた森魚はフォークともロックともつかぬ独特の音楽性を持った才人ですが、彼が作家・稲垣足穂の熱烈なファンであることはよく知られています。
あがたの歌世界は初期から大正浪漫風な雰囲気がありましたが、異国情緒漂う天体&飛行ファンタジーともいうべきタルホ的語彙が頻出しはじめるのは『日本少年(ヂパング・ボーイ)』(1976年)辺りからでしょうか。その偏愛ぶりは足穂の肉声をコラージュした珍曲“エアプレイン”を含む『乗物図鑑』(1980年)などを経て、2007年に発表されたその名もズバリの『タルホロジー』というアルバムに結実するのでした。
異端文学再評価とロック/ポップスの共鳴
ここでいったん文学サイドに話を移しましょう。稲垣足穂は大正モダニズム文学の新星と呼ばれていましたが、師匠の佐藤春夫(彼の「美しき町」は極上の夢想都市小説)との破門騒動があってから文壇とは縁遠くなっていました。しかし1960年代後半に三島由紀夫のバックアップもあって再評価ブームが起こると、今でいうサブカル好きの若者たちからヒップな文学として支持を受けるようになったのです。
足穂の再評価に連なるような形で、1960年代末から1970年代初頭にかけて桃源社や三一書房、薔薇十字社などから、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭、橘外男といった戦前の探偵小説/幻想小説作家たちの作品が次々と復刊。また江戸川乱歩の新たな全集が編まれたり、澁澤龍彦の責任編集による〈エロティシズムと残酷の総合研究誌〉「血と薔薇」が刊行されたりするなど、偶発的な〈異端文学ブーム〉が巻き起こり、そのうねりは1970年代を席巻した横溝正史のリバイバルへと繋がっていくのでした。
足穂と同じく世間から軽視され忘れ去られていた異端の作家たちの復権は、純文学や文壇といった権威に対するカウンターでもありました。それゆえ既存の歌謡曲や演歌に対する抵抗勢力ともいうべきロック/ポップスと相性が良いのか、純文学以上にその影響や引用が目立っているように思えます。冒頭のはっぴいえんどがリスペクトした作家たちのラインナップを見てもそれは明らかでしょう。





