かつて天才A&Rだったパフ・ダディの手腕
昨年から性加害で話題になっているディディ、もしくはパフィ、もといショーン・コムズは、ビギーが在籍していたバッド・ボーイ・レコーズ時代の彼を知らないと、〈何をした人なのか〉がわかりづらい。本人は〈ダンサー〉や〈ラッパー〉を名乗っているが、そちらの才能は微妙。才能を発掘してパッケージ化するのが得意な天才A&Rであり、抜群のビジネスセンスをもついわゆる〈モーグル(mogul/大物)〉だ。
パフ・ダディ、通称パフィ時代の彼は、ビギーの前にジョデシィやメアリー・J・ブライジを売り出す際にも手腕を発揮し、サウンドのトレンドのみならず、ファッションまでに大きな影響を及ぼした。基本的には〈裏方〉であるため、彼が関わったヒット曲はあくまでもアーティストの曲という捉え方なのか、服役中のR. ケリーのようにはキャンセルされない見通しだ。
ヒップホップ究極の功績を達成した〈声〉
『Ready To Die』におけるビギーのラップは、大きな体躯からくり出される心地よい低音ボイスと息が上がる手前で小節を切るキレのあるテンポが特徴。死後、くり返しサンプリングされているが、どの曲でも耳に入って0.5秒で〈あ、ビギー〉とわかる個性はすごい。ヒップホップで成り上がることを夢見て、それが実現した様子を歌うのが“Juicy”だ。とくに好きなリリックを取り出そう。
Considered a fool ’cause I dropped out of high school
Stereotypes of a black male misunderstood
And it’s still all good
And if you don’t know, now you know
高校中退だからバカだと思われてる
黒人男性のステレオタイプ 誤解されてる
まぁそれでもいいよ
わかってなかったなら 今気づいただろ
自分の成功譚を伝えながら、貧しい生い立ちだろうが、差別されていようがその気になったら勝てるんだよ、という自己肯定感を強烈に打ち出す。
90年代の半ば、アメリカのケーブルテレビ局でヘビーローテーションだったミュージックビデオがある、“One More Chance / Stay With Me (Remix)”のこのラインも衝撃だった。
Heartthrob, never, black and ugly as ever
However, I stay Coogi down to the sock
Rings and watch filled with rocks
胸をときめかせるイケメン それだけはない 真っ黒で醜いんだ
でもさ つま先までクーギーの服でキメている
ダイヤぎっしりの指輪と腕時計
〈ハートスロブ〉は、アイドル的な人気をもつアーティストや俳優によく使われる言葉だ。〈クーギー〉は派手な模様で大流行した高級ブランド。大柄で濃い肌色を指して、自ら〈アグリー・アズ・エバー〉と言い放ち、それでモテまくっているとラップしたのは痛快だった。
ブルックリンのブラウンストーンでパーティーをしているMVにはメアリーや妻のフェイス・エヴァンス、故アリーヤ、レゲエアーティストのパトラらがカメオ出演しており、その演出も時代の先を行っていた。ちなみに、この手のホームパーティーは実際によくあった。
ヒップホップの究極の功績は、社会的立場の下剋上と、価値観の反転だと筆者は思う。デビュー作でどちらも鮮やかに達成してしまったビギーは、声だけで現世に留まる離れ業までやってのけたのだ。