萩原健一や沢田研二のGSシティポップ
グループサウンズはバンドによるロックサウンドが基本なのでシティポップ要素は薄いですが、全くないわけでもありません。ザ・テンプターズの『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』(1969年)は、ボーカルの萩原健一以外はほぼ現地のスタジオミュージシャンによるバッキングなので、実質的にはほぼショーケンのソロアルバムです。
その現地の連中というのがメンフィスソウルを支えたディキシー・フライヤーズとメンフィス・ホーンズなのだから演奏の切れ味と洗練ぶりは超一級。なかでも素晴らしいのは井上堯之作曲による“世界は僕の両手に”で、この高揚感溢れるハッピーなアップチューンは、もはやほとんどフリーソウルでしょう。
他にも、かまやつひろし作の“愛の小径”、“都会の中で”(タイトルもいい)、中村八大のペンによる“悲しみ”など洒脱なグルーヴが満載の、1960年代シティポップの金字塔アルバムだと僕が(勝手に)断言します。
ショーケンのライバルだった沢田研二は『ザ・テンプターズ・イン・メンフィス』とほぼ同時期、しかもザ・タイガース在籍中ながら初のソロ・アルバム『Julie』(1969年)を発表しますが、村井邦彦による“誰もとめはしない”は強力なブラスセクションと尖ったギターがせめぎ合うジャズファンク歌謡。
橋本淳&筒美京平コンビが手掛けたザ・ジャガーズの“星空の二人”は、わりとガレージっぽいものが多いソウル系GS歌謡としては最もソフィスティケートされた部類に入るのではないかなと思います。同じコンビのオックス“ダンシング・セブンティーン”も同傾向の好曲ですが、ボーカルとサウンドの洗練さで比べると前者に軍配が上がるのではないかなと。
GSブーム末期の1969年にデビューしたザ・ハーフ・ブリードは〈日本初のソフトロック〉というキャッチフレーズで売り出されましたが(売れなかったけど)、ファーストシングルのB面曲“ムーン・アンド・スターズ”が最高。ラスカルズやアソシエーションなどにも通じる爽快な英語詞ポップチューンで、シュガー・ベイブファンはもちろんのこと、ネオアコ好きにも刺さるかもしれません。
以上、ないものをあるものとして扱ってみましたが、音楽にはときにこうした再解釈の遊びも必要じゃないかなと思うのです。
さて、細々と続けてきたこの連載も今回で最終回です。ただし完全閉店というわけではないので、そう遠くないうちにまた別の形でリスタートできればいいなと思っています。それまでごきげんよう。
PROFILE: 北爪啓之
1972年生まれ。1999年にタワーレコード入社、2020年に退社するまで洋楽バイヤーとして、主にリイシューやはじっこの方のロックを担当。2016年、渋谷店内にオープンしたショップインショップ〈パイドパイパーハウス〉の立ち上げ時から運営スタッフとして従事。またbounce誌ではレビュー執筆のほか、〈ロック!年の差なんて〉〈ろっくおん!〉などの長期連載に携わった。現在は地元の群馬と東京を行ったり来たりしつつ、音楽ライターとして活動している。NHKラジオ第一「ふんわり」木曜日の構成スタッフ。

