いま、なぜ原雅明の周辺が面白いのか――ringsを立ち上げた音楽シーンのキーパーソン、その自由なバランス感覚の秘密に迫る:前編
ringsやdublabのこと、そしてJazz The New Chapterとの接点
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- 2014.11.21

けっしてキャリアの短い人ではないのに、ここ最近、一見それぞれは無関係に見えるいくつかの興味深い場面で、原雅明の名前を目にする機会があった。あるときは〈Redbull Music Academy Tokyo 2014〉での中原昌也や鈴木勲らのインタヴュアー、あるいは冨田勲によるレクチャーの優れた導き手として、またあるときは、話題のムック「Jazz The New Chapter」の監修者・柳樂光隆が挙げる同著のインスピレーションの担い手の一人として。
近年では、世界中にファンを持つLAのインターネット・ラジオ、dublabの日本ブランチ〈dublab.jp〉の運営者としても意欲的な活動を展開する原氏が今秋、自ら〈レーベルと呼ぶにはややしっくりこない〉と語るringsをスタートさせた。
いま新たなアクションを起こそうとしている原雅明は何を考え、その自由なバランス感覚はどこに由来するのか。普段は、主役である音楽を紹介する立場に徹することの多い彼にじっくりと話をうかがうべく、dublab.jpのプログラムを定期的に配信している中目黒のカフェ・Malmoまで足を運んだ。
ringsとは何か
――rings発足時のステイトメントに、「ringsをレーベルと言うことに多少しっくりこない気持ちも実はあります」という言葉があったのですが、そのような表現を使った理由も含めて、改めてringsとはどういったものなのかを教えてください。
「いままでdisques cordeというレーベルを運営してきて、その前にもsoup-diskというレーベルを初期の頃は虹釜太郎くんと一緒にやっていたのですが、その後はずっと一人で続けてきたんです。小さなレーベルとしてインディーで活動してきたんですが、この数年はリリースしたい作品の予定は立てていたものの、なかなか続けていくのが厳しいな、という実感があって」
――それは経済的な部分も含めてですか?
「経済的な面もそうですが、自分のなかでしっくりくるか否かという部分で、どうもしっくりこない。そこで何がしっくりこないのかを改めて自分自身で考えてみたんです。
いまレーベルをしっかりやっていくことって難しいじゃないですか。誰もが簡単に〈レーベルです〉と名乗ることができる状況だから、レーベルの数自体はたくさんあると思うんです。でも、インディーから大きくなったレーベルの数はすごく限られていて、メジャーなレーベルも企業の統合などで数が少なくなってきている。昔はレーベル買いだったり、レーベルそのものに興味を持つような状況も多々あったと思いますが、いまはレーベルより先にアーティストの影響力の方が前に出てきてしまうことが多いように感じています」
――レーベルの持つ影響力や意味合いが昔とは変わったということですか?
「レーベルのやることが、アーティストのマネージメントに近いものになってきている。端的に言うと、CDやレコードが売れないから、マネージメントまで総合的にやることでレーベルを維持していこうという発想だと思うのですが、そういった状況に傾いてきているのを感じながら、そこで自分がレーベルをやっていくのはしんどいな、しっくりこないな、という気持ちがあったんです。
ただ、リリースする予定の作品はたくさんあって、アーティストから音源までもらっているものもあったのですが、僕が忙しいせいでなかなか出せないという状況で。だから正直、ここ数年は以前から貯めていたものを、なんとかリリースしていったというのが実状だったりします」
――お一人で運営されていることもあって、なかなか動けなかったんですね。
「ノブくん(sauce81/N’gaho Ta’quia)の作品(N’gaho Ta’quia『In The Pocket』)が最後というか。あれも1年以上前に音はもらっていたし、中原くん(中原昌也)にも怒られてばっかりで(笑)」
――中原さんのアルバム(Hair Stylistics『Dynamic Hate』)は、企画としてもすごく面白かったです。中原さんがビートもののアルバムを作るという。
「あれも1年くらい前。僕がなかなか出さないから、中原くんから〈ほかに持っていきますよ!〉とか言われたけど(笑)」
――(笑)。先ほど名前の挙がったsoup-diskやdisques cordeを始められた当時と2014年の現在では、インターネットの発達による音楽にまつわるさまざまなインフラの普及や、一方では旧来のビジネス・モデルがうまく機能しなくなったりなど、音楽を巡る状況に大きな変化があったと思うのですが、当時と現在とでは〈レーベルを運営すること〉に対する意識はどのように変わりましたか?
「レーベルを運営していくことがしっくりこないという感覚はずっとあったんですが、ちょうどdublab.jpを始めたのが1年以上前で、それを経験したことが意識の変化のうえでは大きかった気がします。
dublab.jpでは、何人かのスタッフと一緒になって何かしら形にしていくような活動を基本的には非営利で行っているのですが、組織を維持していく最低限のお金は確保していく必要があって。いろんな工夫をしていくなかで、自分がレーベルでやっていることと、どうしても比較する場面が多かったんです。そうすると、dublab.jpで行っている活動の方がいまの時代にマッチしているなと感じ始めて。もちろん、一人でレーベルをやっているときもいろんな人の協力は得て進めてきたのですが、dublabの場合はもっと音楽をシェアしたり、共有して何かを進めるという意識のもとで動いているんですね。そういった形で音楽を紹介することの面白さを、実際に自分たちでdublab.jpを動かしてみて感じました。
〈音楽を紹介する〉という面で、レーベル的なものを同じようなスタンスでできたら面白いなと感じたことが、ringsを始めることになった一つの理由かもしれません」
――それが〈ringsをレーベルと呼ぶにはややしっくりこない〉という言葉の真意だったんですね。ではここから、ringsの第一弾作品にあたる2枚のアルバムのことをうかがっていきたいと思います。まずは、そのdublabの創始者であるフロスティとデイデラスによるユニット、アドヴェンチャー・タイムのアルバム『Of Beyond』について。

「これも実は録音は1年以上前に終わっていて。ただ、そのときはリリースの相談を軽くされていたくらいで、cordeから出すかどうかもまだ決めていない状態でした。
〈いつ頃出せそう?〉みたいな話をしているタイミングで、今回東京で開催された〈Red Bull Music Academy〉のプレ・イヴェントである〈Weekender〉が昨年11月に都内の数か所で行われたんです。その一環で、dublab.jpのコーディネイトで渋谷WWWのイヴェント〈Beacon In The City〉を担当することになって、フロスティ以外にもう一人海外からアーティストを呼べるという話だったので、(フロスティとは大学時代からの付き合いである)デイデラスに来てもらって。2人はアドヴェンチャー・タイムとしても活動していたので、彼らのライヴを企画しました。
そのときのお客さんの反応を見たらすごくよくて、そこから本格的なリリースの話に繋がっていった感じですね」
――なるほど。ではアドヴェンチャー・タイムのサウンド面については、どのような特徴がありますか?
「2003年にプラグ・リサーチからリリースされたファースト・アルバム(『Dreams Of Water Themes』)がすごく好きだったんです。2人ともかなりのレコード好き人間で、レコードのサンプリングをもとに制作した、〈船で海を旅する〉ことをテーマに掲げた作品でした。それで今回のアルバムは宇宙に行くことをコンセプトにしていて、ジャケットに星座が使われていたり」
――タイトルが〈Of Beyond〉ですもんね。
「東京でのライヴではさすがに実現できなかったんですが、LAのショーではチープな宇宙服を着て、手作りの宇宙船のコックピットのなかで変な仮面を被ってパフォーマンスしていたんです(笑)。でもそれが、〈新しい音楽を探す旅〉のような部分にリンクしていて、そういったストーリーが『Of Beyond』にはあるんですよ」
――サンプリングのベースとなっているのが、いろんな国の音楽やレコードなのかな?とは聴きながら思っていたのですが、コンセプトの話を聞いて腑に落ちました。少し作品の話からは逸れてしまいますが、そもそも原さんはdublabとはどのような形で出会ったんですか?
「僕がsoup-diskをやっていた当時、まだdublabがLAで始まっていない98年か99年頃だったと記憶していますが、フロスティから突然連絡があったんです。〈君のレーベルの音源が面白いからこっちでいろいろ紹介してるんだけど、今度東京に行くから会わない?〉と。
それで彼はノーバディー(LAのプロデューサー/トラックメイカー/DJ)と一緒に来て、彼もdublabの一員なんですが、Onsaというレコード・ショップがまだ下北沢にあった時代にそこで2人でDJをやって。フロスティには、そのときに初めて会いました。そしたら彼が、その頃に僕がsoup-diskで出していたRIOW ARAIだったりSuzukiskiだったりをすごく聴いていて、本当にLAでも紹介していたんだという事実に驚いて。
そのときに〈今度ネット・ラジオを本格的にスタートするんだ〉という話を聞かされたような記憶があります」
――それがdublabだったと。

「彼はLAに戻ってから、日本の音楽シーンを紹介する文章をどこかのオンライン・マガジンに載せていて、そこには渋谷系だったり僕らのようなインディーについての情報が書かれていて、〈この人はすごく面白いな〉と。それがフロスティと知り合ったきっかけですね」
――フロスティは日本に興味があったんですね。彼は和モノのミックスCD(『SWEATY SURFER - 汗だくのサーファー - ジャパニーズグループサウンズとピンク映画音楽』)も出していますもんね。
「彼がすごいのは、いろんな場所で友達を作るのがうまいんです。世界各地のいたるところに知り合いがいる。そこからさまざまな音源を紹介してもらっているみたいですね」
――そんなフロスティの音楽を原さんがringsを通して紹介していくという流れにも面白さを感じます。ではもう一方の、OMAさんこと鈴木勲さんとDJ KENSEIさんのコラボ・ライヴ・アルバム『New Alchemy』についても教えてください。

「これも、さっきのWWWのイヴェントでの録音なんです。OMAさんと僕は、それ以前に〈RBAM〉のレクチャーがあって、そのときが初対面でした。
それがきっかけで付き合いが始まって、OMAさんのライヴはその前にも何度か観たことはあったんですが、KILLER-BONGと一緒にやった音源(『KILLER-OMA』)のライナーを依頼されたり、折に触れてOMAさんの音に触れる機会が増えたんです。OMA SOUNDとして若いジャズ・ミュージシャンと演奏することもあれば、Dj Mitsu the Beatsや志人と共演したりもするので、改めてすごくレンジの広い人だなと思うようになって」
――80歳を超える年齢で、アート・ブレイキーをはじめ名だたる伝説のジャズメンとのセッションをこなしてきた〈日本ジャズ界のゴッド・ファーザー〉的な存在であるにも関わらず、現在もすごく貪欲な姿勢で音楽に取り組まれていますよね。
「素晴らしいですよね。KENSEIさんの方はずっと昔から知っていて、Coffee & Cigarettes Bandだったりのリリースを手掛けた経緯もあるので、付き合いは長いです。ちょうど渋谷のイヴェントのときに、なるべく幅広い年齢層の人や違うジャンルの人たちを混ぜるような、僕らが普段dublab.jpの放送でやっているようなコンセプトのラインナップを考えていて、OMAさんにはずっと出て欲しいと思っていたんですが、誰と一緒だったら面白いかなと思案したときにKENSEIさんのことが思い浮かびました。
それまで2人は一緒に演奏したこともなく初対面だったんですが、話を持っていったら〈面白そうだね〉ということで。リハーサルは1~2回やった程度だったかな? でもそのときの感触が良かったみたいで〈これはうまくいく〉と思ったようです」
――順調に進んだんですね。
「それでライヴ当日を迎えました。実は、セッションとはいえリハーサルの段階ではある程度の決め事があったんです。KENSEIさんがOMAさんのベースと被らないようにどのように音を出していくか、全体の構成を考えながらトラックを作ってきて。
ところが、50分くらいのセットなんですが、直前に彼らが話し合って全部の決め事を無しにしちゃったんですよ」
――え!
「すごい話ですよね。おそらくOMAさんが言い出したんだと推測していますが(笑)。そんな風に一度決め事を取っ払ってやったのがあの日の演奏で」
――インプロヴィゼーションに近いということですか?
「近いですね。もちろん仕込んであった素材を使ってはいるんですが。ただ、結果的には僕もライヴを観ていて〈素晴らしいな〉と感じたし、本人たちも〈すごく良かった〉とのことだったので〈これはリリースしたいな〉と思ったのがきっかけですね。
実際のCDには、手を加えることなく、そのままの50分の演奏が収録されています。前後にはフロスティのMCも入っています」
――僕も当日のライヴを観ていたんですが、KENSEIさんが繰り出すネタの細かいフレーズにOMAさんが瞬時に反応してフレーズを返していく様子は、セッションならではのピリっとした緊張感に充ちた素晴らしいものでした。でもこれはいわゆるジャズでもないし、何と呼んだらいいんだろう?とも思って。
「だからいまジャンル分けができなくて、バイヤーさん泣かせで困っているんです(笑)。たしかにクラブ・ジャズでもないし、ジャズでもない。じゃあ何と言えばいいんだろう?って。
でも、今回JAZZ JAPAN誌でとても良い反応を頂いたりして、それは意外なことでもあったんですが、ジャズの側からも少しずつリアクションが出てきているのが嬉しいですね」