Mr.Childrenの5thアルバム『深海』がリリースから30周年を迎えた。1996年6月24日発売の本作は、バンドの最高傑作と評するリスナーが多く、名盤ランキングにもほぼ必ずランクインする、日本のロック/ポップ史を代表するアルバムだ。本作収録の“名もなき詩”など当時も今もヒットシングルを多数発表しているミスチルだが、ここで〈アルバムアーティスト〉としてコンセプト作に挑み、高い完成度に仕上げた点も評価されている。今回はそんな傑作について文筆家の神野龍一に綴ってもらった。 *Mikiki編集部
暗く陰鬱な世紀末のサウンドトラック
〈ノストラダムスの大予言通り1999年に世界が滅ぶなら、それまでにやりたいことを思いっきりやろう〉という気持ちで組まれたロックバンドが、1996年に暗く陰鬱な、まさに〈世紀末のサウンドトラック〉とでもいうようなアルバムを作った。
と、言い切ってしまうこともできるが、この時代と共振しつつ、一方で突出している本作を時代性だけで語ってしまうのも忍びない。『深海』のリリースから30年、2026年の現在に本作を聴くことで、今のMr.Childrenひいては今のJ-POPに繋がり得るものを見つけられるはずだ。そんな風に本作を一つ一つの〈ミクロ〉な部分から始め、最後に総まとめとして〈マクロ〉へと語っていきたい。
まず特筆すべきは、このアルバムにおけるプロデューサー、小林武史の貢献である。氏はプログレッシブロック、特にピンク・フロイドへの偏愛から、一枚のコンセプトアルバムを計画する。“Tomorrow never knows”(276万枚)、“everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-”(124万枚)、“【es】 ~Theme of es~”(157万枚)、“シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~”(181万枚)と、売上枚数を併記したくなるほどの大ヒットシングルを収録せず、それらを翌年にリリースされた『BOLERO』(328万枚)へと後回しにし、同じスタジオで録音された楽曲を中心に収録することで統一感を持ったサウンドのコンセプトアルバムを作ることにした。
前作『Atomic Heart』(343万枚)が“Printing”の機械音から始まること、タイトルがピンク・フロイド『Atom Heart Mother(邦題:原始心母)』を基にしていることから明らかなように、そこでもコンセプトアルバムのような構成を試みた形跡がある。しかし『Atomic Heart』では先にリリースされたシングル曲と新たに作られたアルバム収録曲のサウンド面で明らかに差があり、上手くまとめられなかったという反省がおそらくあったのだろう。
小林武史がレニー・クラヴィッツの影響で目指したビンテージな音
主にレコーディングに用いたスタジオはアメリカ、ニュージャージー州ホーボーケンにあるウォーターフロント・スタジオ。これはレニー・クラヴィッツの影響だ。
レニー・クラヴィッツはデビュー時、彼が憧れていたジョン・レノン等先人ロックミュージシャンへのリスペクトを隠さず、あえて60〜70年代のレコーディングで使用されていたビンテージのアナログ機材を使い、当時のロックの音を再現しようと試み、90年代における70年代リバイバルの象徴的なミュージシャンとしてオアシスやジャミロクワイと並列して語られる存在だった。
また、レニー・クラヴィッツはプロデューサーとしても活動しており、氏のプロデュースしたヴァネッサ・パラディ“Be My Baby”はモータウンサウンドの導入など、小林武史のもう一つのプロジェクトであったMy Little Lover『evergreen』にも影響を与えている。さらに付言すると、当曲は椎名林檎のデビュー曲“幸福論”のリファレンスの一つでもある(こちらは亀田誠治編曲)。
桜井和寿もまたレニー・クラヴィッツの影響を受けており、本アルバム内では“虜”に影響を感じるが、なにより氏の〈レノン風楽曲〉を聴いて、レノン風の楽曲を自分もやっていい、と気づいたことが大きい。
桑田佳祐との邂逅を経た“名もなき詩”のラップ的な歌詞
と、アルバムの個々の曲に触れる前に、リリースされた2枚のシングル曲へ先に言及しておきたい。
“名もなき詩”を語るなら、まずはこの曲の歌詞の過剰に畳み掛ける言葉数の多さだろう。それまでメロディーを丁寧に歌うように心がけていた桜井和寿は、『Atomic Heart』以降、シングルごとに自身のボーカルスタイルを先鋭化させていった。特に1995年に“奇跡の地球”で桑田佳祐と邂逅したことの影響が、この時期の歌詞と歌唱において決定的となる。
この時期に顕著になっていくのが日本語をいかにビートに乗せていくかだ。メロディーの音数に対して過剰なまでに言葉を詰め込み、あえてラフに歌うことで、その字余りな性急感を推進力にしていくという、後にRADWIMPS等に受け継がれていく言葉の当てはめ方をしている(最近のインタビューでは、今は上手いボーカルが求められている時代だと語り、正確な音程を意識し、ボイストレーニングをルーティンにしていると言っているのは、一つの時代の変遷としても感慨深いものがある。また、その時に上手いボーカルとして想定されているのはMrs. GREEN APPLEの大森元貴であろう)。
注目したいのは〈Oh darling〉と〈僕はノータリン〉という韻だ。この曲がリリースされた1996年当時は日本語ラップも浸透前夜で、今ほど〈韻〉を意識するリスナーも多くはなく〈桜井和寿はもともと落研所属だったのでこういう洒落を言う〉くらいの言及しかなかったことを覚えている。また〈ノータリン〉は放送禁止用語なのだが(月9ドラマの主題歌にもかかわらず!)、それを言う必然性が韻によって導き出されている。日本語ラップの流行前にここまでライミングを意識した歌詞を桜井が書いていなければ、後のOfficial髭男dismのような韻を踏みまくるスタイルの歌詞は出てこなかっただろう(ちなみにMr.Childrenの歌詞の中で〈韻〉という言葉が出てくるのは2002年の“LOVEはじめました”)。
〈愛〉とは何か? 桜井和寿の悪戦苦闘
もちろん重要なのは歌詞の技巧の部分だけではない。
〈愛はきっと奪うでも与えるでもなくて/気が付けばそこにある物〉という後に佐野元春に絶賛されたこのキラーフレーズも、おそらくエーリッヒ・フロム「愛するということ」や有島武郎「惜しみなく愛は奪う」を下敷きに見出した言葉と思われるが、この時期に桜井が、まさに愛とは何かということを本などを参考にして悪戦苦闘しながら悩んでいたことが垣間見える。
そして最後に、後に同じ月9主題歌“HANABI”でも踏襲されるラスサビの半音転調。この勢いさえあれば、歌詞に放送禁止用語があってもMVなしでも、タイトルすらなくてもいい、という一種の開き直りは、ほとんど世間に対する挑発にすら見えた。
実際に“名もなき詩”は230万枚を売り上げ、1996年の年間1位(オリコン)の大ヒットシングルとなる。
自分がどんな人間でも美しい曲は作れる、と暗に歌う“花 -Mémento-Mori-”
そしてアルバム発売直前にリリースされたシングル“花 -Mémento-Mori-”。作曲に行き詰まっていた桜井和寿が、気晴らしにメンバーと野球をしていたときにメロディーが浮かんだというエピソードが知られているが、その大らかなメロディーを、緩急を付けながら叩き分けを駆使して盛り立てるJENこと鈴木英哉のドラムが絶品。Mr.Childrenを〈ロック〉バンドたらしめているのは氏のドラムだということを再確認させられる。
ここで歌われる〈花〉は、まさに浮かんだメロディー、さらに桜井の作る音楽そのもののことだろう。たとえ自分がどんな人間であっても、美しい歌は作り出すことができる、泥の中からでも蓮の花が咲くように。
海底でもがくノンストップの52分間
と、シングル曲を先に紹介したが、そのような前段階の説明は一切不要だったかもしれない。CDを再生し、何かが水の中に飛び込む音で始まる冒頭から最後までの52分間、あなたは曲を飛ばしたり取り出したりして聴くことができないだろうから。
1曲目の“シーラカンス”は、くるり岸田繁がMr.Childrenの中で最も〈幅〉を感じたとフェイバリットにあげ、〈京都音楽博覧会〉で共に演奏した楽曲だが、確かにMr.Childrenのイメージと離れた不穏な雰囲気だ。そんな“シーラカンス”で始まり、そのまま叙情的な“手紙”へ。冒頭の“Dive”で水中を模したチェロの音が、本作のストリングスに特別な意味を付加する。“ありふれたLove Story ~男女問題はいつも面倒だ~”は、まさにボーイミーツガールの終わりまでを歌い、本作に通底しているテーマを下世話なくらい具体的に描き出す。そこから個人へフォーカスした“Mirror”が続き、“Making Songs”におけるデモテープのザッピングから“名もなき詩”へ。“名もなき詩”はこのアルバム内で聴くと本作の勢いがまるで空元気のようで、〈もがき〉がクローズアップされて聞こえてくる。そして長渕剛のパロディで世相を斬る“So Let’s Get Truth”、“臨時ニュース”におけるテレビのザッピングに続く、後にシングルカットされた“マシンガンをぶっ放せ”では社会に対する苛立ちをそのまま吐きだしていく。“ゆりかごのある丘から”で歌うのは戦争など社会的な事件が否応無く個人に降りかかる悲劇。戦場のヘリ音に続く“虜”、さらに“花 -Mémento-Mori-”では束縛、嫉妬、希求、聖性といった愛の二面性が描かれる。最後に“深海”で死の希求すら歌い、冒頭の水音へと還っていく。
個人的な憂鬱が社会と共振、時代を突き破る先鋭性も
そして、なによりこのアルバムに横溢しているメランコリアだ。
小林武史が提示した〈深海へと潜る〉という当初のコンセプトと、プライベートのトラブルを含め激変した生活に疲弊した桜井和寿の精神が共鳴し、さらにはバブル崩壊後の日本社会そのものとして共振しまったかのような世界観。怒りや苛立ちをそのままぶちまけてしまっても名曲になってしまう当時の桜井の才能は、精神状態に比して時代を突き破りそうなほど尖り切っている。
これを、当時トップを走っていたロックバンドがリリースし、200万枚以上売れたという事実。ヒットソングを期待してこの作品を購入し、その陰鬱な内容に戸惑い、驚いたリスナーは多かっただろう。それどころか、このアルバムを通して初めてメランコリックな感情というものに直接触れてしまい、早めの思春期をシンコペートして迎えてしまったティーンすらいた。少なくとも当時11歳の、阪神・淡路大震災後の神戸に住んでいた少年はそうだった。
トータルアルバムが困難な時代に響く『深海』の真価
近年のJ-POPシーンは、アニメの主題歌タイアップがメインになったことで主にシングル主導となっており、コンセプトどころかアルバム一枚をじっくり作り込んでトータルアルバムとしてリリースする、ということすら困難になってきている。しかしそんな中、昨年は星野源『Gen』と藤井 風『Prema』という、良質なトータルアルバムがリリースされた。また、King Gnuの曲間を繋いで一枚のアルバムとして聴かせる構成は間違いなく今作の影響下にある。『深海』がフェイバリットなリスナーは彼らの曲も聴いてほしいし、若いリスナーにもぜひ『深海』を聴いてほしい。
個人的な希望としては、アナログレコーディングの精粋とも言える本作が、アナログレコードでリリースされることを願ってやまない。
