安室奈美恵の2ndアルバム『SWEET 19 BLUES』がリリースされたのは1996年7月22日。それから30年が経つ。1995年に小室哲哉のプロデュースによる楽曲の発表とavexへの移籍を経験、ミリオンセラーを連発し、安室は若者の象徴や代弁者として社会現象を巻き起こしていた。そんな時代の総決算が本作だ。当時のJ-POPを象徴する金字塔にして大ヒット作についてライター島岡奈央に綴ってもらった。 *Mikiki編集部
本格的R&Bへの扉を開いた原点
10歳の頃、テレビのシャンプーCMで、シルクのように美しい髪をなびかせて颯爽と踊るひとりの女性を目にした。アップビートな音楽に乗せてシャープなダンスを披露する彼女が放つ圧倒的なオーラに、一瞬で心を奪われた。当時の私は、そのCMで起用されていた楽曲が収録されたシングル、『60s 70s 80s』を地元の商業施設にある音楽ショップで予約し、発売日当日、学校から帰宅するなり自転車を飛ばして店に向かった。人生で初めて自分でCDを購入した2008年3月12日、初めて安室奈美恵という歌手の音楽と出会った日である。
時代をさらにタイムスリップして、1995年。小室哲哉との初共作“Body Feels EXIT”や“Chase the Chance”でヒットを連発し、安室は瞬く間に時代の寵児へと登り詰めた。ここから、彼女の圧倒的な独走劇が始まることとなる。そして、1996年7月22日。沖縄出身の18歳の歌手は、19歳になる目前にちなんで、19曲で構成された『SWEET 19 BLUES』を発表した。社会はコギャルブーム真っ只中。安室のファッションを真似た〈アムラー〉が社会現象を起こし、アルバムのCDは300万枚を超える累計売上枚数を記録。今のストリーミング時代では想像もつかないセールスの数字だ。それだけでなく、日本の歌謡シーンで着実に実績を重ね、のちにブラックミュージックへと深く傾倒していく彼女にとって、本作は本格的なR&Bへの扉を開いた原点ともいえる重要作である。
80年代後半から90年代前半の邦楽史を振り返ると、ロックやエレクトロ寄りのポップスが主流だったように思う。ビートの刻みは速く、縦ノリがフロアを沸かすような土壌。ギラギラとしたユーロビート全開のデビューアルバム『DANCE TRACKS VOL.1』に対し、小室哲哉プロデュースによる本作は、生楽器と電子音が織り成すグルーヴと抒情的な言葉が響き合う、奥行きのある作品へと舵を切った。それまで続いていた音楽の流れを考慮すれば、いわば異端なアプローチを取ったこのアルバムが、当時の日本で商業的大成功を収めたという事実に驚かされる。
ブラックミュージックの影響を昇華させたサウンド
はじめに、この作品の象徴的な点は、音風景を変えていくインタールード(間奏)の起用だ。アルバムはたった4秒の「足元に気をつけて」と言う安室の英語の囁きによるインタールード“watch your step!!”で始まる。漂うムードは、重厚で、どこか少し不穏。そして2曲目“motion”もインタールードとして繋がれ、左右から近づくように現実感のある録音でヒールの足音が耳元に迫ってくる。バックコーラスの神秘的なハーモニーが続き、トーンの緊迫感が高まりピークに達した瞬間に、SF的なシンセサイザーのレイヤーと電子音が響き渡り、シームレスに3曲目の“LET’S DO THE MOTION”の重いファンクビートへと流れ込んでいく。暗転から映画が始まるような、ドラマチックな展開。最初のたった3曲を通して聴くだけで、この作品の核心にあるのは、安室のジャネット・ジャクソンに対する憧憬だとわかる。当時の日本のメジャー音楽作品では比較的珍しいインタールードによるアルバムとしてのストーリー構築に、ジャネットの“Rhythm Nation”から受けたPファンクのインスピレーションが、小室のアレンジによって見事に昇華されている“LET’S DO THE MOTION”。アフロフューチャリズム的な感覚が濃縮されたジャネットによる1989年の名盤、『Rhythm Nation 1814』のムードが、巧妙に再現されているのだ。
そうしたブラックミュージックからの影響は、“Don’t wanna cry”にも色濃く表れている。ゴスペルクワイアを生かしたソウルソングであり、繰り返される〈I’ll be there〉というライン含め、ジャクソン5の代表曲“I’ll Be There”から直接的な影響を受けた楽曲と言ってもいいだろう(実際に、アルバムの仮タイトルは『I’ll be there』だった)。幼い頃から芸能界の第一線に身を置いてきた安室にとって、ジャクソン5やジャネット・ジャクソンの表現に強く惹かれたことは、ある意味で必然的だ。随所に潜むこれらのアプローチには、後年のキャリアにおいて彼女がストイックに突き詰めることとなる〈歌って踊る〉という表現スタイルの、確かな出発点が存在している。
暗い時代、若者の拠り所となった普遍的な渇望の歌
しかし、単なるイミテーションには留まっていない。インタールード“’77~”で聴こえる遠い潮騒の音が、情景を安室の故郷である沖縄の海へと切り替え、そして珠玉の名曲“SWEET 19 BLUES”へとリスナーの手を引いていく。〈今日もため息の続き/1人街をさまよってる/エスケープ 昨日からずっとしてる〉。都会の狂騒のなかスターダムを駆け上る少女が何者でもなかった自分に戻り、カメラは一気に彼女の無防備な原風景に焦点を当てる。〈だけど私もほんとはさみしがりやで/誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない〉。世間のカリスマとしてではなく、孤独な18歳として安室が歌った内省的な言葉は、大人と子供の狭間で揺れる若者たちの不安定な心情を映し出すとともに、その心の拠り所となった。
さらに、バブル崩壊後の金融危機に差し掛かり、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの未曾有の出来事も経験した当時の社会の陰りもある。90年代のギャルファッションやメイクに宿る強さは、目に見えない焦燥感と不信感を煽る社会に対する武装という風にも捉えられる。チーマーやカラーギャングは、行き場のない若者たちの避難所となっていた。〈昨日はあの子が私の/明日は私があの子の/傷をいやして〉。安室がステージから降りそんな彼女たちと対話をするかのようなこの歌詞は、大人には頼ろうとしない、彼ら特有の相互秩序の精神を表しているとも言えるだろう。
目を現代に向ければ、人々が集まる場所としてのインターネットの存在が当たり前になり、コロナ禍以降は非対面でのコミュニケーションも一般化された社会に、私たちは生きている。2004年生まれの次世代アーティストであり、令和世代の若者から絶大な支持を集めるLANAは、自身の楽曲“99”でこう歌う。〈うちの友達はみんな片親で/傷を舐め合い集まる毎日〉。インターネットという仮想空間がありながらも、大人に対する不信感を抱え、似た境遇の者同士で寄り添い合う若者たち。〈部屋で電話を待つよりも/歩いてる時に誰か/ベルを鳴らして!〉。“SWEET 19 BLUES”で安室は、家という閉鎖空間で縛られて受話器を握るのではなく、ポケベルやPHSを携えて街へ繰り出し、外の世界で誰かと繋がるために〈ベルを鳴らして〉と歌った。テクノロジーがどれほど発達しようとも、これらの歌の本質にあるのは、他者との繋がりを求める、人間の普遍的な渇望なのだ。
デジタル上の不在と沈黙の美学
安室奈美恵というアーティストは決して多くを語る人物ではなかった。外部に私生活を共有するという点においても、確固たる保守的な姿勢を貫いていたと言える。世間の視線から自らの音楽と精神を守るための、彼女なりの抵抗だったのだろう。デビュー25周年の年に引退を発表し、翌2018年、伝説のまま安室は芸能界を去った。あの日、私が初めて手にしたディスクを回してから今日に至るまで、街の景色は劇的な変貌を遂げ、人々の鑑賞スタイルや世界の速度はとどまることなく加速し続けている。そのスピードには、時に恐怖を覚えるほどだ。そして、2023年には、一部の楽曲を除いて、突然安室の楽曲が音楽サブスクリプションサービスから削除された。権利や契約上の都合などが挙げられているが、正確な理由は明かされていない。
しかし、このデジタル上の不在さえも、彼女がかつて貫いた沈黙の美学に帰結するのではないだろうか。利便性を失ったその場所でこそ、私たちはあらためて、彼女の残した楽曲の重みを噛み締めている。安室奈美恵がJ-POPに刻んだ足跡は、決して色褪せることはない。そのマイクを下ろす瞬間まで、彼女がただひたむきに歌い、踊り続けたように。
