ピーター・ガブリエルが1986年5月19日にリリースした5作目『So』。元ジェネシスのカルトアーティストをポップスターに押し上げた、1980年代を代表する名盤にしてヒット作だ。リリースから40周年を迎えた本作について、ガブリエルに詳しい音楽家AYUO(高橋鮎生)に綴ってもらった。 *Mikiki編集部

★連載〈名盤アニバーサリー〉の記事一覧はこちら


 

デヴィッド・ロードと作り上げた『IV』の実験性

僕にとってピーター・ガブリエルが1974年にストーリーと作詞を手掛けたジェネシスの『眩惑のブロードウェイ』は、ロックシアターの最高の作品だった。14歳の時にこの舞台公演を観たことが、僕が音楽の道を志すきっかけとなった。この作品についてはMikikiで読める記事に詳しく書いているので、そちらの方を見て頂きたい(より詳しい英語版)。

こちらの記事では、ソロになってからの活動について書く。

ガブリエルのソロキャリアの転機となったのは、『Peter Gabriel IV』を作った1982年だった。1982年にガブリエルは、アフリカ、アジア、ラテンアメリカのワールドミュージックを紹介するWOMADフェスティバルを始めた。このフェスは現在でも英国、オーストラリア、ヨーロッパでは続いているが、1回目は大赤字だった。そのため、「金を返さないと殺すぞ!」という脅迫が家族のところにも来ていた。彼は高校の時から付き合っていた妻ジルと2人の娘と一緒に暮らしていたが、家族はオドオドしながら暮らしていた。

PETER GABRIEL 『Peter Gabriel 4』 Charisma(1982)

『IV』は、彼の最も実験的なアルバムである。同作は、デヴィッド・ロードという現代音楽出身の作曲家と共同プロデュースで作られている。ロードと僕は5枚のアルバムを一緒に制作しているが、本当に素晴らしい耳を持つプロデューサーだ。ガブリエルの『IV』にも、ロードのアドバイスがたくさん入っている。

1曲目の“The Rhythm Of The Heat”は、心理学者のカール・ユングがアフリカに行って、そこで聴いたリズムのエネルギーに飲み込まれされそうになった経験を描いた日記に基づいている。ガブリエルらしいテーマだ。英国のブリストルにアフリカの歌と踊りのカンパニーが来ていることをロードは聞いて、彼らをスタジオに呼んだ。この曲の後半のリズムの盛り上がりは、彼らのおかげだ。

また、ロードは、ガブリエルもジェネシス時代から知っていたヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのシンガーソングライター、ピーター・ハミルをバックコーラスに入れることを薦めた。ハミルのボーカルは、ガブリエルとは別の性質を持っているが、2人が歌うハーモニーは面白くかみ合っている。『IV』以後のアルバムでもガブリエルは、ハミルを呼ぶことになった。僕もハミルとは4枚のアルバムにわたって一緒に仕事をしているが、僕にとってハミルは最も影響を受けた音楽家の1人だ。

 

1980年代の響きに抗った鬼才プロデューサーの音

ガブリエルがある夜、自分の妻に浮気をしたことを告白すると、妻はプロデューサーのロードと陰で浮気していたことを告白した。ガブリエルは、驚いて怒った。裏切られた気持ちになって、夜中にロードの家のドアを叩き、その怒りを伝えた。本来、ロードはWOMADフェスティバルの立ち上げ人の1人で、ガブリエルの個人スタジオ、リアル・ワールドも、ロードがメインのエンジニアになる予定だった。しかし、この事件で彼はクビになった。ロードは素晴らしい才能を持っている音楽家なので、とても残念だった。「〈金を返さないと殺すぞ!〉などと借金回収業者に追われる日々を送っていたジルは、慰めてくれる人が必要だった」とロードが僕に言ったこともあった。

そして、妻のジルとよりを戻すテーマの曲などをガブリエルは作り出した。ジルとは10代からの付き合いだったので、とても大切に思っていたのだ。次のアルバム『So』の“In Your Eyes”や“Don’t Give Up”は、彼の妻のために書いた歌だ。また、『So』の大ヒット曲“Sledgehammer”のビデオでは、ガブリエルは妻と2人の娘と一緒に登場している。

一方で、ちょうど『So』が大ヒットした1986年から、僕はロードと一緒に仕事を始めていた。ガブリエルとの関係が、そのように終わったとは当時知らなかった。ロードと一緒に作ったアルバム『Nova Carmina』からは初めてガブリエルの『IV』の良さが聞こえてきたので、音楽的に僕はとても満足していた。これが、僕が探していた音だった。

実は僕は、ほとんどの1980年代の音楽の響きが好きではなかった(デジタルシンセ、ドラムマシーン、デジタルリバーブの音のことだ)。僕だけではない。1970年代の多くのアーティストたち――ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、ピーター・ハミルなど――が、みんな後になって1980年代に録音したアルバムから1980年代独特の響きをなるべく消したリミックス盤を発売したのは、今となっては、それは1970年代の響きが好きな人にとっては好ましくない音だったからだ。しかし、ガブリエルの『IV』は違っていた。この時代で、最も優れた音のアルバムの一つだった。

 

作らざるを得なかったアルバム『So』

『So』は、ガブリエルにとって作らざるを得なかったアルバムだった。1曲目の“Red Rain”の深いエモーションは、ギリギリに追い詰められた男の表現だ。それが、リスナーにボーカルから伝わってくる。昨年発売された『眩惑のブロードウェイ』の50周年ボックスには、40代になって新しく歌いなおした“It.”が入っているが、この歌い方も“Red Rain”と似ている。

PETER GABRIEL 『So』 Charisma(1986)

GENESIS 『The Lamb Lies Down On Broadway (50th Anniversary Edition)』 Rhino/ワーナー(2025)

『So』は、ガブリエルを一躍世界的なスターへと押し上げた。彼はU2のプロデューサーであるダニエル・ラノワを起用し、本作をメジャーなロックサウンドに仕上げた。しかし、だからといって彼がファンを裏切ったわけではない。このアルバムは、依然として深い情感を伝えている。

 

変容する架空の存在〈モゾ〉を描く組曲

ガブリエルがジェネシスを脱退した後、当初は音楽家を続けるかは分からなかったと彼は言う。しかし、音楽以外に稼げる方法を知らなかったので、ソロアルバムのためのデモを録り出した。最初は『眩惑のブロードウェイ』のようなストーリーがあるコンセプトアルバムを考えたが、「カルト的で売れる見込みがない」と音楽業界で言われた。そのコンセプトは〈モゾ〉というキャラクターを中心とした組曲で、ガブリエルはソロの1枚目から『So』まで、そのアルバムのために考えた曲をばらばらに録音していった。『So』の“Red Rain”と“That Voice Again”。『Peter Gabriel I』の“Down The Dolce Vita”と“Here Comes The Flood”。『Peter Gabriel II』の“On The Air”と“Exposure”。これらが〈モゾ〉の曲であった。

PETER GABRIEL 『Peter Gabriel 1』 Charisma(1977)

PETER GABRIEL 『Peter Gabriel 2』 Charisma(1978)

心理学者カール・ユングの著作の愛好家であるガブリエルは、ユングが聖トマス・アクィナスの著作であると信じていた旧約聖書の「雅歌」に基づく中世の錬金術の書「Aurora Consurgens」から、モゾというキャラクターの着想を得た。そのテキストは、宗教的な象徴や終末論的なイメージに満ちている。ユングの関心は――錬金術師たちと同様――〈変容〉という概念に向けられていた。それは、単に卑金属を金に変えることにとどまらず、自己の変容をも指していた。

聖書のモーセを部分的にモデルにしたモゾは、どこからともなく現れて人々の生活を乱し、そして消え去る謎めいた存在だった。しかし、世界に大きな変革をもたらすにもかかわらず、モゾ自身は無力だと感じている。彼はこの世界にいるが、この世界の一部ではない。ほとんどの場合、隠れて目に見えない存在であるモゾは、テクノロジー――具体的にはラジオ技術――の助けを借りて初めて、自己を表現し、その声を届けることができるのだ。

モゾという存在は、短波ラジオで受信し、発信する情報によって作り出された幻想の世界に生きている。「短波ラジオを通じて彼は好きな人物になりきれるが、現実の街中ではまったく相手にされていなかった」とガブリエルは説明する。このストーリーを映画とステージでやりたいと、ガブリエルはプレゼンテーションをした。しかし、前述の内容を聞いた後、多くの企業にはこれがヒットする見込みが見えなかった。『So』まで、ガブリエルはカルト的な人気があるアーティストだと言われていたのだ。

 

大衆に感情を直接語りかける曲

1986年に僕がハミルに会ったとき、彼は「商業的に成功した作品を作り、その収益を芸術の発展や支援に充てるのは良いことだ」と言っていた。彼の言う通りだった。一般的に理解されにくい芸術作品や世界中の伝統音楽を紹介するには、どこからか資金を得ることが必要だからだ。ガブリエルの場合、彼は自身でポップスターとなり、自ら資金を調達した。1989年、彼は世界中の音楽を紹介することに専念するレコードレーベル、リアル・ワールドを設立した。

『So』からは、5つのシングルが発売された。全米1位の大ヒット“Sledgehammer”、そして“Big Time”、“Don’t Give Up”、“In Your Eyes”と“Red Rain”。40年後の現在、僕は通っているジムで、“In Your Eyes”に合わせてエクササイズするグループセンタジーというクラスに出ている。音楽を聴くたび、ロードとガブリエルの残念な関係や当時の会話を思い出している。

結局、1987年にガブリエルは、妻と離婚することになった。そして、ガブリエルの元妻ジルは、精神セラピストとしてのキャリアを始めた。ガブリエル自身は1980年代後半にうつ病になり、精神科に通うことになった。

“Don’t Give Up”のタイトルは、ガブリエルが精神的に苦しんでいる時にジルが口にしていた言葉だった。「彼がひどく落ち込んでいる時、私はいつも〈諦めないで〉と言っているの。この曲はまさに私たち2人のことを歌ったものだと思うわ」とジルは言う。ミュージックビデオでは、ケイト・ブッシュとのデュエットになっている。ガブリエル1人で歌う1987年のアテネのライブ音源もあるが、これもまたすごくいい!

大ヒットとなった“Sledgehammer”は、アルバムの録音が全て終了して、音楽家やスタッフが片づけを始めた時にガブリエルが録音したいと言ってスタジオに持ってきた曲だ。ガブリエルはインタビューで「人はみんな13歳から15歳頃に聴いていた音楽に一番影響を受けている」と言っていたが、彼にとって、それはR&Bの歌手オーティス・レディングだった。僕にとっては、ガブリエルがまさにそうだった。

『So』にはR&Bにインスパイアされたファンクが2曲入っていて、それはこの曲と“Big Time”だ。両方共ヒット曲になった。一般大衆は、ガブリエルが心理学者ユングから影響を受けたコンセプトの曲より、直接的にエモーションに語りかける曲を好む。『So』は、以前の彼のアルバムよりも感情表現が直接的だった。

 

離婚や不倫を歌い、大ヒットを生んだフィル・コリンズ

同じ頃にジェネシスのフィル・コリンズは、ソロで全米大ヒット曲を次々と出していた。コリンズは元々英国の最もプログレッシブなドラマーの1人として知られていたので、彼がソロアルバムを出したら、きっとジャズフュージョンのインスト盤になるだろうとみんな思っていた。しかし、ソロアルバムの制作を始める前に、彼の妻が子供を連れて家を出てしまった。その寂しさを歌う曲や奥さんに裏切られた気持ちを歌ったデモテープを、コリンズは1人で家で録音していた。

コリンズがガブリエルの3枚目のエンジニアのヒュー・パジャムにそれを聴かせると、家で撮ったボーカルをそのまま残して、その周りに音を追加してアルバムを録ろうという話になった。その結果、彼の気持ちはより直接的に一般大衆に伝わり、彼を1980年代の大スターにした。しかし、大ヒットを一度出すと、次々とヒットを作って欲しいと音楽業界から求められる。そして、再び「奥さんに裏切られた」と歌う曲をいくつも出し始めた。コリンズの元妻は怒っていた。「もういいでしょう。別れたのだから、新しい彼女に捧げるラブソングを作ったらどうなの?」とメディアに言っていた。

PHIL COLLINS 『Face Value』 Virgin(1981)

その後、彼女はコリンズに仕返しをした。彼に初恋の人がいたことを覚えていた元妻は、「彼女、LAに住んでいるよ。今度電話してあげたら?」と番号を渡したのだ。コリンズが電話すると、初恋の思いがよみがえってきて、そういった思いを込めたアルバムを作ることになってしまった。コリンズは、その頃は二度目の結婚をした後だったので、その妻ともこれがきっかけで離婚することになった。しかし、曲だけは世界的なヒットになった。

PHIL COLLINS 『Both Sides』 Virgin(1993)

 

感情を動かす〈ワールドミュージック〉を探して

2003年にガブリエルは、「Growing Up: Live」という『Up』というアルバムのライブDVDを発売した。そのDVDでは、『So』の“In Your Eyes”をウズベキスタンの歌手セヴァラ・ナザルハンと共に歌っている。ガブリエルは、今でも世界中の面白い音楽家や美術家を紹介しているのだ。ナザルハンは、リアル・ワールドとWOMADフェスティバルによってウズベキスタン初の世界的なスターとなった。

PETER GABRIEL 『Growing Up: Live』 Real World(2019)

僕がやっている現在のグループのメンバーには、ウズベキスタン初の外国人としての同国の文化大使に任命された駒﨑万集がいる。ナザルハンが流行らせた“Yallajonim”という曲も、僕たちのレパートリーにしている。ほかのメンバーには、日本に住んでいる、ペルシャ伝統歌唱で歌う歌手のAminと、中東パーカッショニストとして引っ張りだこになっている立岩潤三がいる。今年の12月には、北区芸術振興財団による〈北とぴあ国際音楽祭〉で〈ユーラシア草原の響き〉というコンサートをグループで開催する。こうした僕たちの活動は、ガブリエルが始めたWOMADの影響を引き継いでいるのだ。

その〈夢枕2026年公演『ユーラシア草原の響き:イラン、ウズベキスタン、タジキスタン、ウイグルの音楽 ー 現代と唐時代の音楽』〉は、北とぴあつつじホールにて12月12日に行う。現在のイラン、中央アジアの音楽、日本伝統音楽のルーツとも言えるシルクロードの音楽、そして正倉院に保存される唐代の宮廷音楽を、アコースティックバンドにアレンジし、さまざまなジャンルの奏者が共に織りなす、他にはない音楽の響きになる。ガブリエルの『Up』でベースを弾いたダニー・トンプソンはイギリス民謡の演奏で伝説的になったプレイヤーだが、トンプソンが僕のアルバム『Songs From A Eurasian Journey』で演奏した唐時代の宮廷音楽のバンドバージョンも、この日に演奏する。ライブについては〈北とぴあ国際音楽祭2026〉のページで情報が見られるので、ぜひチェックして欲しい。

ガブリエルのWOMADやワールドミュージックの取り入れ方で僕が特に感心したのは、彼はエキゾチックなサウンドを求めていたのではなく、本当に人間の気持ちを動かせられる音楽を探していたということ。一般的には、本来のフィーリングから離れた〈変わった音〉を〈民族色〉として探している人が多すぎる。これは、下手すると人種差別にもつながる。

僕のステップファーザー(義父)はイラン人、母は日本人、そして僕はアメリカで育った。エキゾチックな人間として扱われるのはどういう気持ちかを、僕は分かっている。そういうことを何回も、自分の作品でテーマにしてきた。日本では、欧米とは別な差別がある。それは、肌の色ではなく、文化に対する差別だと感じる。日本には〈村〉のような文化があって、自分たちと違うバックグラウンドから来た人を嫌うのだ。海外で育った、別の言語で育った日系の人たちは、みんなそれを感じていると思う。

 

ピーター・ハミルのDIY精神を拡大したガブリエル

昨年、ピーター・ハミルはアメリカのラジオ番組で、彼が制作に携わり、完成に協力した他のアーティストの楽曲の中から、自身で最も満足している数曲を披露した。その時に、ガブリエルの“Digging In The Dirt”、ロバート・フリップの“Chicago”と共に、僕の“Air”や“Song To Fallen Blossoms”をかけた。

僕がミュージシャンの生き方について最も多くを学んだのは、ピーター・ハミルだった。彼は、1970年代初頭から、ミュージシャンとして生計を立てるためには、自分の機材を揃え、レコーディングの技術を学び、自身のレーベルを立ち上げ、最後まで全てを自分1人でこなせるよう勉強しなければならないと感じていた、と語ってくれた。1986年に彼に会った時、彼は自宅でアルバムを録音していたが、1990年代にはイングランド南西部の都市バースでスタジオを借り、毎日午前10時から午後5時までそこで作業していた。彼は自ら音源をプレス工場に送り、CDを段ボール箱に詰めて世界中のディストリビューターへ発送するまで、全てを1人でこなしていた。そして、可能な限りライブは、主に週末に組んでいた。彼のレコーディングとミキシングの腕前は驚異的だった。プロと同等のレベルに達していたのだ。ガブリエルのスタジオとレーベルは、それを拡大し、より多くの投資を投じてメジャーのレベルに引き上げたものだった。

2023年の『i/o』は、1986年の『So』以来、ガブリエルにとって初めてUKアルバムチャートで1位を獲得した作品でもあった。『i/o』は、『So』以来ガブリエルの最も素晴らしいアルバムだと僕は思う。彼は今年、『i/o』の続編である『o/i』を発表する予定だ。『i/o』について詳しく書いた記事がMikikiのこちらのページで読めるので、ぜひ読んで欲しい。