これは印象論なのだが、日本のジャズ業界は今までピアノ・トリオやサックス&トランペットの2管クインテットといったスモール・コンボの紹介が中心で、ビッグバンドをきちんと扱えるキュレーターは慢性的に不足していなかっただろうか。まして現代となると、雑誌やディスクガイドに掲載される作品は、90年代にデビューした有名なマリア・シュナイダー・オーケストラはともかく、活動歴の長い楽団に大きく偏ってしまっているはずだ。では実際に現代のラージ・アンサンブル・シーンが下火なのかというと、むしろ状況は逆。ダーシー・ジェイムズ・アーギュー主催のシークレット・ソサエティ (参考音源はこちら)、トラヴィス・サリヴァン率いるビョーケストラ (参考動画はこちら)、ペドロ・ジラウド ・ジャズ・オーケストラ(参考動画はこちら)、アラン・ファーバー・ビッグバンド(参考音源はこちら)などなど……数々の魅力的なオーケストラと作曲家の存在なしには、現代ジャズ・シーンを語ることはほとんど不可能と言える。
慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサエティの演奏による“Journey Home”“If Your Wisdom Was My Pride” @山野ビッグバンド・ジャズ・コンテスト (2014年)
現代ビッグバンド・シーンにおいて絶大な影響力を誇るマリア・シュナイダーの代表曲と、動画内で演奏している学生たちと同世代の作曲家、フランキー・ルソーの作品。シュナイダー作曲の”Journey Home”は単なるコピーではなく、原曲の繊細さを生かしつつもより生き生きとした解釈に成功している。(演奏は01:00から開始)
そんなラージ・アンサンブル・シーンの盛況に対する情報量のアンバランスさにやきもきしている音楽ファンは、今週末の日曜日、3月15日に行われる慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサエティ(以下「ライト」と略す)のリサイタルに足を運んでみることを強くおすすめする。理由は3つある。
1つめは選曲の確かさ。シュナイダーはもちろん、上述のような、欧州で支持を集めながらも日本では知る人ぞ知る存在である海外の若手・中堅作曲家の作品をいくつも演奏している。2つめは演奏力の高さ。ライトのアンサンブルの緻密さは、学生バンド経験者なら知らぬ人がいない山野ビッグバンド・ジャズ・コンテストで、毎年上位に入賞を果たしていることからも伺える。またソロ・パートなどメンバーに自由に裁量が与えられるセクションでは、個性豊かな解釈をしていることも忘れてはいけない。現代のビッグバンドのキュレーターとして、これ以上ない存在だろう。
そして3つめがゲスト枠の存在。毎年NYを中心に海外のミュージシャンをライトが招聘し、ソロイストとしてフィーチャーしているのだ。私はこの2年リサイタルに足を運んでいるが、2013年はラージ・アンサンブル・シーンで絶対的な信頼を得ているサックス奏者のリッチ・ペリーが、2014年はNYダウンタウン・シーンで中心的な役割を演じているサックス奏者のデヴィッド・ビニーが、ライトをバックにスリリングなソロを展開していた。またリサイタルではないが、同年の9月には若手ギタリスト/作曲家のフランキー・ルソー(参考音源はこちら)を招き、彼の友人である故オースティン・ペラルタに捧げた組曲も演奏している。いずれの音楽家も実力の高さに比べ、作品が輸入盤中心になっており来日自体が極めて珍しいことを付言しておこう。
そして今回のリサイタルのゲストは、NYジャズシーンを中心に様々なビッグバンドに参加し、自身もバンドリーダーとして精力的に活動しているトロンボーン奏者、ライアン・ケバリーである。ライトのメンバーが彼に来日を打診したところ、それ以前からこの学生バンドの評判が彼の耳にまで届いていたという。
ライアン・ケバリー・ダブル・カルテットの2010年作『Heavy Dreaming』
腕利きのトランペット、トロンボーン、チューバ、フレンチ・ホルン奏者を擁した8人編成のバンド、ライアン・ケバリー・ダブル・カルテットの第2作。ブラス・セクションの個性豊かな音色や管体の鳴りが伝わってくる有機的なアンサンブルは、ダークでシリアスなサウンドが環境を席巻した2000年代以降のNYシーンにおいてとても貴重な存在だ。
ライアン・ケバリーは80年生まれのワシントン州出身。ラージ・アンサンブル・シーンではまだまだ若手の存在だが、彼が今までレコーディングを経験してきたグループには、マリア・シュナイダー・オーケストラをはじめ、現代の代表的なジャズ・アンサンブルが並ぶ。というのも実は冒頭のリンク先の音源には全てケバリーがレギュラー・メンバーとして参加しているのだ。他にもライアン・トゥルースデルのギル・エヴァンス・プロジェクト(参考音源はこちら)や、ルーファス・リード(参考音源はこちら)、ミゲル・ゼノン(参考動画はこちら)のビッグバンド作品にも加わっている。これだけで現在のシーンで重要なラージ・アンサンブルをある程度網羅できるだろう。
そんなケバリーがリーダーのバンドは2つある。1つめの〈ダブル・カルテット〉はケバリーとピアノ・トリオによるワンホーン・カルテットに、アンサンブルを担うブラス・セクションを加えた8人編成のバンド。ビートルズやガーシュウィン作品を原曲の歌心を損なうこと無く、まるでコーラス・グループが目の前で歌っているような有機的なアレンジでまとめている。
また2010年代に入って結成したコンテンポラリー・ジャズ系グループ〈カタルシス〉も印象深い。これはケバリーと、ダブル・カルテットにも参加していたトランペッター、マイク・ロドリゲスがフロントを務めるピアノレス・カルテット。最新作の『Into The Zone』では、カミラ・メサをボーカリストかつアンサンブル・パートの一員として迎え、彼のディスコグラフィーの中でひときわカラフルな作品になった。そしてダブル・カルテットとカタルシスに共通する点は、〈アンサンブルをすることの喜び〉に他ならないだろう。まさにライトのゲスト・アーティストにうってつけの音楽家である。
ライアン・ケバリー&カタルシスのスタジオ・ライブ映像
ケバリーが他のトロンボーン奏者と違う点は、スフィアン・スティーヴンスのようなインディー・ロックのミュージシャンやシンガー・ソングライターのツアーに積極的に参加しているところ。1曲目はカミラ・メサをボーカルに据えて、スフィアンの名曲” Sister”を演奏。
リサイタルでのケバリーは、自身のグループの曲にビッグバンド・アレンジを施して、ライトのレギュラー・バンドと共演する(セットリストは当日のお楽しみだ)。ライトのバンドマスターの安井一輝さんに、ケバリーに渡されたスコアについて伺ってみた。
「原曲の素晴らしさを一つ残らずアレンジしてビッグバンド化し、〈ビッグバンド〉編成でもその感動を伝えられると、楽譜を見て確信いたしました。また、ビッグバンドにしか表現できない、ホーンの重厚なハーモニーにも独特の世界観が垣間見え、音にするたびにしびれます。いまの演奏に本人が加わるのを想像すると、共演が楽しみで仕方ありません」
さらに1、2年生が中心のジュニア・バンドではおなじみカウント・ベイシー・オーケストラや、ビッグバンド関係者の間で非常に人気が高いボーヒュースレン・ビッグバンドなどを演奏する。昨年のリサイタルはジュニア・バンドの素晴らしい連帯感が見所のひとつだったので、学生バンド・ファン以外もぜひ注目してほしい。そしてこの1年間、山野ビッグバンド・ジャズ・コンテストをはじめ様々な演奏会で実力をアピールしてきたレギュラー・バンドは、マリア・シュナイダーの他にミゲル・ゼノンやクリスティーン・ジェンセン、ルーファス・リードのアンサンブル作品などを演奏するという。
慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサエティの2014年作『HOPE』トレイラー
ライトは2014年、それまでの3年間のリサイタルのベストテイクを収録した作品『HOPE』をリリースした。NYで活躍している垣谷明日香の初アルバム収録曲や、シュナイダー自身が最高傑作と認めている『Concert In The Garden』の表題曲をはじめ、現代を代表するラージアン・サンブルの作品6曲を演奏している。
最後に、最新のビッグバンド事情を知ることができる点に加えて、当日の見所をもう一つ。ライトの演奏を聴けば〈スイング〉や〈モダン〉、〈コンテンポラリー〉の間に壁などはなく、実は全て地続きの音楽になっているということがよく分かるはずだ。
慶應義塾大学ライトミュージックソサイェティ 第58回リサイタル・スケジュール
日時:3月15日(日)
開場:15:00 開演:15:30
場所:日本教育会館 一ツ橋ホール
地下鉄都営新宿線・東京メトロ半蔵門線神保町駅(A1出口)下車徒歩3分
▼リサイタルの詳細は以下のリンクをご覧下さい。
https://www.keiolight.com/#!events/c66t