50年の封印を解かれた”青い家”の鮮烈な遺品からメキシコのアイコン、フリーダ・カーロの魅力を再認識!

 没後50年目にしてようやく封印が解かれた、通称“青い家”の浴室や箪笥。半世紀もの長きにわたり眠っていたのは、かつて身に着けていた300着もの衣服、持ち主の痛みに寄り添ったコルセットや包帯に薬瓶、靴や装飾品だった。そのいずれもが、今や“グアダルーペの聖母”にも等しい存在と世界で崇められるメキシコのアイコン、フリーダ・カーロの遺品だ。うち何点かは、強烈なインパクトを観る者に与えてやまない、フリーダの自画像に描かれているから、ご記憶の方もあろう。

 埃を払い、修復を終えたそれら遺品を撮影して欲しいと、フリーダ・カーロ博物館より直々に依頼を受けたのが、石内都。「ひろしま」「キズアト」「マザーズ」シリーズ等の気高い作品をとおして、静かに肌の感触と、人の生きた証を伝え続けてきた写真家だ。

 そして、折しも石内をテーマにドキュメンタリー映画を撮りたいと念じていた小谷忠典監督が、意を決し打診の電話をかけたのが、2012年2月。石内が写真撮影のためメキシコへと旅立つ、ほんの2週間前のタイミングだったとか。かくして小谷監督は、図らずもカメラの中に、石内都の創作現場を介してフリーダの生と死を、彼女の芸術行動の源となった痛みと伝統の色彩を映し出すこととなる。つまり、二人の女性による二つのアートがこの映像作品の中で交差し、見事な二重映しになっているわけだ。

 しかしなぜ、フリーダの遺品は50年ものあいだ封印されたままだったのか。フリーダの生家であり、夫ディエゴ・リベラと暮らし、最後の日々を過ごした“青い家”は、メキシコシティのコヨアカン地区に現存する。フリーダ亡き後4年を経た1958年に、フリーダ・カーロ博物館として一般公開された。だが、現・博物館館長イルダ・トルヒージョ曰く、ディエゴ・リベラは「自分の死後15年は、浴室を開けないでくれ」と言い残したそうだ。そして、リベラの後見人だったオルメド夫人(※メキシコ美術の著名なコレクター、ドローレス・オルメドのこと。画家リベラ作品も多く所有し、スペイン征服以前のメキシコ先住民の芸術品コレクションでも知られる)は、リベラの遺言を重んじ、生涯この家の奥まったところにある浴室の扉や箪笥、書斎机の中身を開けることはなかったという。

 リベラの死後15年どころか、オルメド夫人が93歳の天寿をまっとうするまで、フリーダの極めて個人的な持ち物は、まさしく長き眠りについていた。2004年、メキシコ文化庁の決定によって封を解かれたとき、初めてフリーダの人生に寄り添った遺品の数々に、再び光が射したのだ。

 自然光のもと、遺品を自ら厳選しながら撮影を始める石内。あたかも聖遺物でも扱うような博物館スタッフの慎重さに、当初ぎこちない空気さえ漂うも、次第に信頼感が違和を補っていくさまがはっきり見てとれ、なかなか興味深い。「偉大なアーティストとしての彼女の過去を撮るわけではないから、生活していた一人の女性として接する……」と語っているように、とにかくニュートラルな石内の視線が、写真の成果を予感させる。

 

 ここで、フリーダ・カーロとディエゴ・リベラについて、あらためて紹介しておこう。フリーダは1907年、コヨアカン地区生まれ。父親はハンガリー系ユダヤ人で、ドイツからメキシコへ移民してきた写真家。母親は南部オアハカ州テウアンテペック出身、生粋の先住民だ。乳母に育てられたフリーダは、6歳でポリオを発症し、右足筋力の衰えをずっと引きずることとなる。それでも闊達で知性あふれる少女は、当時の女性としては画期的な高等教育を受け、成長していったようだ。だが18歳のとき、乗り合わせた路線バス後部に電車が衝突する事故に遭い、脊椎と骨盤と右足の骨折、さらに子宮を失うほどの大怪我を負う。ベッドから身を起こすことさえかなわぬ苦痛をきっかけに、彼女の画業が始まったといってよい。

 事故から3年後、動けるまでに回復していたフリーダは、メキシコ壁画運動のシンボルの一人、画家ディエゴ・リベラと出会う。臆せず壁画制作現場で、20歳も年上の大家に声をかけるフリーダ……二人は1929年に結婚。リベラにとって、彼女は3人目の妻だった。

 20世紀メキシコを代表するディエゴ・リベラは、1886年、古都グアナフアト生まれ。両親ともにスペイン系のメキシコ育ちだが、乳母が先住民だった。正規の美術教育を受け、ヨーロッパへ留学し、キュビズムの影響を受けながらも、やがて革命動乱後の教育の一環で提唱された壁画運動の推進者として、オロスコシケイロスとともに巨匠としての名声を確立していった。国立宮殿の壁面に描かれた壮大なメキシコ史ほか、代表作は数知れず。ちなみにフリーダの画才と怖ろしいほどの神秘を見抜き、「いずれ世界で有名になる」と予言していたのも、リベラだったらしい。

 フリーダの描く題材は、たとい寓話的であろうと、つねに自分自身の映し身にほかならない。結婚後も襲い来る不遇……流産、不実な夫の背信行為、肉体を苛む苦痛と心の闇。彼女は恐るべきエネルギーと独創的タッチで、それらの痛みをじつに生々しく絵に表現していった。1954年、“青い家”のベッドで肺塞栓症のため逝去。47年の人生で耐えた手術は30数回、手がけた作品は約200点におよぶ。そして今や、生前にも増して熱烈な信奉者を集め、殊に女性たちの共感を呼んでやまない作品群と、伝統衣装を身に着けた彼女の凛々しい面立ちは、アイコンとなっていっそう広がりをみせているのだった。

 ドキュメンタリー『フリーダ・カーロの遺品』は、石内都の視座の変化をしかと捉える。細やかなつくろいの痕跡を残すストッキング、踵の高さが異なる靴、細部に宿る魂から、やがては目にも鮮やかな衣服の全体像、衣装の歴史的ルーツと意味まで……。博物館を訪れる国内外の女性たちによるコメントに加え、2013年パリで開催された展覧会「Frida by Ishiuchi」会場での優れた論評を拾っているが、それだけではない。フリーダのルーツにも迫り、オアハカ州イスモに伝わるサポテカ女性の正装、刺繍家たちの手技と、世代を越えて受け継がれる衣装に対する思いまでを、じっくり映像で重ねていく。

 後半部で石内が、まるで人が着ているかのように整えた後の、ふんわりした伝統衣装の曲線。ボツボツと布に刺繍する、チェーンステッチの素朴な針音……さりげない情景が、強烈な、ときに血を流して呻くフリーダのイメージを、柔らかな肌合いに塗り替えてくれる。変な言い方だが、正直ほっとした。

 2003年に日本でも公開された映画『フリーダ』(2002年作、撮影は2001年4~6月)が、おそらく衰えぬフリーダ信仰をさらに後押ししたのだろう。監督ジュリー・テイモア、主演サルマ・ハエックと怪優アルフレド・モリーナが、痛みにみちたフリーダの人生とディエゴ・リベラの存在感を、21世紀の人々の記憶にあらためて焼きつけたようだ。

 だが2004年、開かずの扉から現れた衣装の中に、もうひとつの隠れた重大な発見があった。これまで繰り返されてきた、「夫ディエゴ・リベラを喜ばせるため、フリーダは伝統衣装を身に着けていた」なる言説は、かなり信憑性が疑わしい。半世紀を経て見つかった家族写真の女性たちは皆、伝統の“テワナ”ドレス姿だったのだ。

 優れた写真家の作品制作過程をとおして、またわれわれは、いくつものフリーダの魅力と出合えることだろう。生々しい痛みだけでなく、彼女の皮膚や温もりまでもが感じられるかもしれない。

 なお、代表作の展示ほか、コヨアカン地区の“青い家”フリーダ・カーロ博物館(Calle de Londres 247, Coyoacán)では、2012年11月~2018年、封印を解かれたこれら衣装を特別展示中だ。題して「外見は惑わす:フリーダ・カーロの衣装」。また、ソチミルコ地区のドローレス・オルメド博物館(Av. México 5843, La Noria, Xochimilco)にもディエゴ・リベラとフリーダのコレクションが所蔵・展示されているので、メキシコシティを訪れる機会があったら、ぜひ立ち寄って欲しい。

 


Frida Kahlo(フリーダ・カーロ) 【1907-1954】
メキシコの現代絵画を代表する画家。小児マヒや交通事故などによる身体の不自由を生涯抱え、メキシコ近代化の荒波に翻弄されつつも現実に向き合い、それを描き続けた。シュルレアリズムの作家としてヨーロッパでも高く評価される。ひとりの女性として力強く生きたその人生は、現在でも世界中の人々の共感を呼んでいる。


Diego Rivera(ディエゴ・リベラ) 【1886-1957】
メキシコの壁画家。スペイン、フランスなどで絵画を学び20代でキュビズムの強い影響を受ける。その後イタリアで壁画を研究しメキシコ壁画運動の中心的人物となった。メキシコの民族的な伝統と社会主義的な文脈を組み合わせた壁画を公共建築などに多く描き、メキシコシティの国立宮殿や、チャピンゴの国立農学校には彼の代表作が今も保存されている。


寄稿者プロフィール
佐藤由美(さとう・ゆみ)
東京生まれの音楽ライター。ラテン、フラメンコ専門誌編集を経てフリーランスに。目下、気侭で強力な同好の士が集結するラテン音楽Webマガジン「eLPop」にて、鋭意執筆&イヴェント敢行中。


 

Frida by Ishiuchi #34 (C)Ishiuchi Miyako

 

『フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように』
監督・撮影:小谷忠典 出演:石内都
配給・製作:ノンデライコ(2015年 日本 89分)
http://legacy-frida.info/ (C)ノンデライコ2015
◎8月シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

 

ジュリー・テイモア フリーダ アスミック・エース/KADOKAWA(2002)

『フリーダ』
監督:ジュリー・テイモア
出演:サルマ・ハエック/アルフレッド・モリーナ/アントニオ・バンデラス