いよいよ歴史的評価が始まった「昭和の天才」、山本直純の仕事

 今年は東西に分かれていたドイツの再統一から四半世紀。1989年に「ベルリンの壁」が堕ち、翌年の旧東ドイツ消滅に向けて歴史の歯車が大きく動き出した当時、テレビ番組の収録で旧西ベルリンのホテルに滞在していた山本直純(1932~2002)の姿を偶然、見かけたことがある。ひとり朝食を摂る姿は妙に寂しそうで、「大きいことはいいことだ」の森永エールチョコレートのCFやTBS系列の音楽番組「オーケストラがやって来た」などを通じ、いやというほど目に焼き付いた「元気いっぱい親父」の面影が消え去っていたことに激しい衝撃を受けた。

 2002年に山本が亡くなった時、全身全霊をこめて立ち上げに奔走した新日本フィルハーモニー交響楽団はたまたまゲアハルト・ボッセ指揮の定期演奏会を行っていたが、バッハの「アリア」を奏で、肖像写真を会場に1枚置いただけだった。東京藝術大学音楽学部を卒業した時はJ.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」の全曲指揮で絶賛を浴び、ベートーヴェンブラームスなどのドイツ音楽の解釈者として将来を嘱望されていた。斎藤秀雄の薫陶を前後して受けた小澤征爾は山本を「天才」と崇め、終生変わらない尊敬と友情を交わし、「オーケストラがやって来た」へ頻繁にゲスト出演したばかりか、アイザック・スターンルドルフ・ゼルキンら懇意の大物ソリストをせっせとゲストに送り込んだ。

 

 

 ナクソスクラウス・ハイマン会長に「日本作曲家選輯」を持ちかけ、片山杜秀氏に企画監修をお願いした際、片山さんと私が「いつかは手がけたい」と語り、いまだ実現に至っていないのが「山本直純・硬軟名曲集」である。今回、横浜みなとみらいホールが「グレート・アーティスト・シリーズ」の第3回に山本をとりあげ、次男の山本祐之介が指揮して再演する日本フィルハーモニー交響楽団委嘱作「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」をはじめとするシリアスな作品群に、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」や大河ドラマ、CFなど機会音楽の名旋律を組み合わせ、長男の山本純ノ介の編曲、祐ノ介の指揮で1枚のCDに収めるのが片山さんと私の夢だった。

 指揮者、作曲家、クラシック音楽の啓蒙家として、山本が昭和の日本楽壇に遺した足跡に対し、片山さんも私と同じく、「感謝」の言葉しか思い浮かばないはずだ。今回のコンサートは、その仕事の質の高さを再認識する第一歩である。「オーケストラがやって来た」でコンビを組んだマリ・クリスティーヌが司会に加わるのも、山本直純へのトリビュートにはふさわしい。

★11月10日(火)に横浜みなとみらいホールで開催される〈グレート・アーティスト・シリーズvol.3 山本直純〉の公演情報はこちら