初心者のころ必死に聴いた演奏の記憶ほど、鮮明なものはない。大きな感動はもちろん、「ボタンを掛け違えた」類の感触すら鮮やかな形象とともに、心の中で生き続ける。
先輩ファンたちが「マルケヴィッチの“ハルサイ”は凄い!」と自慢げに語る伝説の指揮者、イゴール・マルケヴィッチが10年ぶりに日本フィルハーモニー交響楽団へ客演したのは1980年だった。私は大学4年生、卒業論文で72年の「日本フィル事件」の報道分析に挑んでいる最中のことだ。「事件」とは、スポンサーが支援を打ち切って財団を解散し、オーケストラが組合派で弦楽器中心の日本フィルと、非組合派で管楽器中心の新日本フィルに分裂するまでを指す。
マルケヴィッチは来日後、記者会見に臨み、長く取り組んできたベートーヴェンの交響曲の楽譜校定作業がほぼ完成し、日本フィル定期演奏会の第6番《田園》で成果の一端を披露すると語った。10月23日、東京文化会館での第326回定期はその《田園》と「鬼才マルケヴィッチ」の名を日本に刻み込んだ因縁の1曲、ストラヴィンスキーの《春の祭典》だった。《田園》は非常に配慮の行き届いた格調高い指揮ぶりで、オーケストラの潜在能力をよく引き出していた。だが《ハルサイ》では10年ぶりの日本フィルの変貌に戸惑ったのか、万事に慎重運転の印象がつきまとい、当惑したことを覚えている。
今回、タワーレコードが発売するライヴ盤を聴いて《田園》《ハルサイ》の2曲とも驚きを禁じ得ない。先ず《田園》は確かに品格に富むが、第3楽章の嵐の場面の激しいパトスの爆発、それ以降の楽興の豊かさは、色あせかけた記憶に新たな現実の色彩を与える。《ハルサイ》は後日、11月1日に日比谷公会堂で行われた演奏と差し替えられ、はるかに安定し、迫力にも事欠かない内容で面目を一新した。さらに10月17日、東京厚生年金会館のR=コルサコフ《シェエラザード》で緻密な設計、巧みな語りくちを存分に楽しめる。「お宝音源」である。