山田和樹が語る柴田南雄作品の魅力

「ゆく河の流れは絶えずして」――誰もが知る『方丈記』冒頭にあることば。このことばをコーラスが客席を練り歩きながら歌う、規模の大きな作品がある。柴田南雄の交響曲《ゆく河の流れは絶えずして》、1975年の作品だ。

 指揮者・山田和樹はこの滅多に演奏されない作品を多くの人たちに聴いてもらいたいというおもいから、自ら実実行委員会をたちあげ、コンサートをおこなうことになった。オーケストラ作品(《ディアフォニア》)と合唱作品(《追分節考》)、そして合唱とオーケストラの「交響曲」によるコンサート構成。

「そういう作品があるということは知っている。でも、それが知られていない。歴史になっていない。だからこそ、僕のなかに演奏しなくては、との使命感が生まれた、と言ってもいいでしょう。この作品を歴史にしてゆきたい、と」

 日本フィルの定期でも柴田作品が演奏される、と。

「9月の定期演奏会で、一種の前哨戦として《コンソート・オブ・オーケストラ》(1973)を演奏します。日フィルの正指揮者として、邦人作品はプログラムでかならずやっていこうと考えているのですが、今年は“柴田イヤー”――柴田南雄生誕100年、没後20年――にあたりますし」

 1916(大5)年生まれの柴田南雄が過ごしてきた時代、世界もこの列島も大きく変わった。新しい音楽が生まれ、消え、入れ替わり、混じりあった。クラシックの名曲があり、再演があり。演奏=解釈の変容がある。調性音楽から無調、セリー、偶然性と作曲の思考=技法の変化がある一方で、流行歌もまたその名のとおり、生きた心身のそばを通り過ぎてゆく。そうした音楽のありようと個人史がひとつになったのがこの交響曲であり、だからこそsym-phony[声の綜合]と題されることになる。そして大団円に、『方丈記』がおかれる。声が動き、聞こえ方が変わる。動きが視覚にはいってくる。

「30歳で海外にでたんですね。ヨーロッパでも、歌舞伎や能や食べものに関心を持ってくれたりします。そういった独特なものは伝わることがあります。それはアジアの美ではなく、日本の美だ、そこにしかない。それをことばにはできないけれども……。だからこそ、海外に住んでいなかったら、柴田南雄作品をこんなふうにやらなくては、とは思わなかったかもしれません。そしていま、こういう演奏会をせよ、と柴田さんがさせているんじゃないかとさえ思えたりするのです」

 柴田作品とのきっかけは。

「柴田作品は2004年に《追分節考》を東京混声合唱団で指揮したのが最初でした。鮮烈な印象でした!  楽譜もテープもありました。でも、さっぱりわからない。コンサートマスターから教えていただきました。やっぱり、わからない(笑)。しかも指揮者がプランを練ってはいけないとスコアには書いてある。それでいて曲として成立しなくてはならない。とってもコワい曲です。メンバーはすごい回数演奏しているから、この曲をやると指揮者のことがみんなわかっちゃうんだそうです。すけちゃうんです」

 合唱とオーケストラと、どちらも指揮されているけれども、その違いとは。

「……あまり感じたことはないんです。合唱にはことば、歌詞があります。でも、それ以上に、ブレスすることがすべてなんですね。呼吸するときに終着点がみえていなくちゃいけない。フレーズ感・音色感・音程感であるとか、合唱をしていなかったらいまより身についていなかったんじゃないかと思います」

 ステージの定位置にいるオーケストラと、ホール後方からはいってステージに音場を移動されるコーラス。それを“交響”させる作品。“山田和樹が次代につなぐ”、とコンサートのサブタイトルにある。

「学生1000円! 若い人に来てほしい。そして、ほんとうのところは、音楽家に来てほしいのです。そしてこういう人がいた!と知ってほしいし、柴田さんの世界にふれてほしいのです。すごい宇宙がそこにあるのですから」

 


LIVE INFORMATION

◆柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会~山田和樹が次代につなぐ 《ゆく河の流れは絶えずして》 ~
○11/7(月)18:30開場/19:00開演
○会場:サントリーホール 大ホール
○曲目:柴田南雄 ディアフォニア~管弦楽のための(1979)/シアターピース『追分節考』(1973)/交響曲『ゆく河の流れは絶えずして』(1975)
○演奏:山田和樹(指揮)/関一郎(尺八)/東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団/日本フィルハーモニー交響楽団
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