DISCOGRAPHIC [1] ジャクソン家の末妹として

 ジャネット・ダミタ・ジョー・ジャクソンがインディアナ州ゲイリーで生まれたのは、66年5月16日のこと。つまり、3歳の時には兄たちがジャクソン5として全米を現象化するわけだ。彼女自身も7歳でラスヴェガスの舞台を踏み、TVにレギュラー出演するなど、本人が意志を持つ以前からショウビズの世界に踏み込んでいった。そして82年、兄マイケルが『Thriller』を出す3か月前に発表したのがファースト・アルバム『Janet Jackson』(A&M)だ。R&Bチャート6位に輝いたデビュー・シングル“Young Love”を手掛けたレネ&アンジェラボビー・ワトソンルーファス)のほか、リオン・シルヴァーズ配下の敏腕たちがプロデュースに参加し、まだ個性には乏しい16歳の奮闘を盛り上げる。なお、奇しくもそのシルヴァーズ組が同年に手掛けたSOSバンドの『S.O.S. III』では、駆け出し時代のジャム&ルイスが“High Hopes”を採用されて躍進の糸口を掴んでいた……。

82年作『Janet Jackson』 収録曲“Young Love”

 

 ともかく。初作はさように健闘したが、84年の次作『Dream Street』(A&M)では制作陣を一新。ジャクソンズがコーラスに参加した(マイケルの存在感たるや!)“Don't Stand Another Chance”などを兄マーロンが制作し、ザ・タイムを脱退したばかりのジェシー・ジョンソン、さらに「フラッシュダンス」などを大当たりさせていたジョルジオ・モロダーも迎えた豪華な布陣は、周囲の期待の大きさを窺わせる。ただ、マネージャーである父の支配や優等生の重圧やに耐えかねたのか、この年には家族の反対を押し切ってジェイムズ・デバージと結婚(翌年には破局)。公私共にもがいていた助走期間……と言えるかもしれない。

84年作『Dream Street』収録曲“Don't Stand Another Chance”

 

 

DISCOGRAPHIC [2] ジャム&ルイスとの離陸

 父のマネージメントを離れ、A&Mジョン・マクレインをブレーンに据えた20歳のジャネットがコンタクトを取ったのは、当時タブー作品を中心に成果を上げていた新進チームのジャム&ルイスだった。この自立~親離れのプロセスをそのまま作品のコンセプトにしたのが、86年の金字塔『Control』(A&M)である。全米No.1を獲得し、R&Bチャートの頂点と全米TOP10に5曲ずつを送り込んだ……という記録上の話はさておき、プリンス直系のハードなミネアポリス・サウンドで〈ジャクソン〉の印象を払拭したことも重要で、“Nasty”などの粗削りなファンクにも絶品のスロウ“Let's Wait Awhile”にも若々しさと必然性が溢れている。彼女自身もほぼ全曲を共作したカジュアルな表現で等身大の女性を描いたようなイメージ作りも巧く、モンテ・モアも含む初期フライト・タイムらしい一体感のあるアルバム作りは見事だ。

86年作『Control』収録曲“Nasty”

 

 そんな彼女とジャム&ルイスは、続く89年の『Rhythm Nation 1814』(A&M)で完全にその地位を盤石にする。マドンナっぽい“Escapade”やハード・ロック“Black Cat”もありつつ、スライ使いの表題曲ではニュー・ジャック・スウィングボム・スクワッドの手法を組み合わせたような重厚さを帯び、音作りはまさに鉄壁。人種差別や薬物問題に切り込んだリリックもイメージ以上にコンシャスだ。また、ボビー・ブラウンMCハマーが台頭した時代にリンクし、(いわゆる)ブラックネスの追求こそがポップたりえる時代の空気を巧く取り込むあたりは、兄にはできない芸当だったと言えるか。なお、数曲でコーラスを務めたのがダンサーのレネ・エリゾンドJr。当時は秘密の関係だったが、彼とは“Come Back To Me”のPVでもアツアツぶりを見せつけていたのだった。

89年作『Rhythm Nation 1814』収録“Rhythm Nation”

 

 

DISCOGRAPHIC [3] ひとりの〈ジャネット〉として

 ジャム&ルイスとの二人三脚は90年代に入っても継続したが、そこに新たなインプットを与えたと思われるのが、91年に極秘結婚したレネ・エリゾンドだ。90年代の彼女に共通するセクシャルな表現は私生活の変化によるものだとも思うし、それも含めた人間味を強調する路線が90年代らしいアーティストとして彼女を更新したのは疑いない。ルーサー・ヴァンドロスとの名デュエット“The Best Things In Life Are Free”(92年)を残し、新たにヴァージンへ移籍した彼女は93年に最高傑作の呼び声も高い『janet.』(Virgin)をリリース。まるで勇者のようだった前作から一転、ソフトなスムース・ジャム“That's The Way Love Goes”に象徴されるナチュラルな音作りは、時代を読むジャム&ルイスのセンスを改めて痛感させるものでもあった。ここからはR・ケリーをリミキサーに起用した“Any Time, Any Place”がR&Bチャート首位を独走。同年には2パックを相手役にした初主演映画「ポエティック・ジャスティス」でも注目を集めてもいる(ラジー賞を受賞)。

93年作『janet.』収録曲“Any Time, Any Place”

 

 95年には兄マイケルと“Scream”でついにデュエット。それに続く97年の『Velvet Rope』(Virgin)はQ・ティップを迎えたジョニ・ミッチェル使いの“Got 'Til It's Gone”が宣言するように、明確にアーティーな見え方を狙った異色作だ(ここから名義は〈ジャネット〉のみに)。シングルではブラックストリートを従えた“I Get Lonely”もヒットしたが、レネがほぼ全曲を共作した関係なのか、全体的にSM趣味など踏み込んだ描写も目立っている。ただ、そこから全米No.1になった“Together Again ”はダイアナ・ロスばりの伸びやかなガラージで、世の求める姿は明確だったのか。離婚を経た2001年の『All For You』(Virgin)は明るくポップなハッピー・ヴァイブを前に出した快作で、なかでもチェンジ使いの80sディスコな表題曲は世界的なヒットとなった。

97年作『Velvet Rope』収録曲“Together Again”

 

 

DISCOGRAPHIC [4] アイコンと21世紀

 これまでもフライト・タイム内の多様な才能を動員し、『All For You』では要所でロックワイルダーの助力を得ていたジャネットだが、2004年の『Damita Jo』(Virgin)は『Control』以降では初めて複数プロデューサを立てた作品となった。先行カットの大陸的なロック・チューン“Just A Little While”ではダラス・オースティン、さらに大御所のベイビーフェイス、旬のスコット・ストーチ、そして当時アーティスト・デビューしたばかりのカニエ・ウェストもシングル“I Want You”を担当……と、これまでのようなビッグ・ヒットが生まれなかったのも不思議なほど、顔ぶれに違わぬカラフルな作品だった。

2004年作『Damita Jo』収録曲“I Want You”

 

 続く『20Y.O.』(Virgin)は『Control』から20周年を祝った2006年のリリース。交際を公言していたジャーメイン・デュプリ(この頃はヴァージンの重役でもあった)がマライア・キャリーの大復活を演出した後ということもあって、ジャム&ルイスと共に手腕を発揮している。なかでもネリーを迎えたスウィートな“Call On Me”はR&Bチャートを制し、“Rockit”使いのブーティーなクランク“So Excited”などダンス・トラックの新鮮さも際立つものだが、結果的にはこれがヴァージンでの最終作となった。
移籍先となったのは、デュプリが新たにアーバン部門の重役に就任したアイランド。そして登場した2008年の『Discipline』(Island)は多忙を理由にジャム&ルイスが参加せず。ジャネットもあえてソングライトに関与せず、デュプリの旗振りによってロドニー・ジャーキンスがメイン・プロデュースを担当、そこにちょうどリアーナで当てていたトリッキー&ドリームニーヨスターゲイトらが脇を固めている(ミッシー・エリオットも“The 1”に客演)。レーベルと揉めて数か月で離脱するという後味の悪い結果に終わったものの、ダンス・トラックの導入が進んでいたアーバン・シーンの風向きも読んだ力作だったのは確かだ。

2008年作『Discipline』収録曲“The 1”

 

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