19歳でLAに移り住み、役者として、ミュージシャンとして力を付けていったライアン・モロイだが、その名が知られるようになったきっかけは、2004年に本国UKのTV番組の企画で再結成されたフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド。オリジナルのリード・シンガーであるホリー・ジョンソンの代役に200人以上の応募のなかから選ばれ、ヨーロッパをツアーしたことだった。
「僕の声がフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの楽曲とマッチしていたのが大きいね。一世を風靡したバンドのメンバーたちとツアーできたのは僕の誇りだよ」。
一方、鼻にかかった甘さのある特徴的なヴォーカルを活かしながら、彼は数多くのミュージカルにも出演。ボーイ・ジョージがみずからの半生を舞台化した「タブー」でヴィサージのスティーヴ・ストレンジ役を務めたことも話題になったが、何より決定的だった仕事は2008年から6年間に渡ってロンドンのウェストエンドで上演された、「ジャージー・ボーイズ」でのフランキー・ヴァリ役だろう(2014年にはブロードウェイでも期間限定で同役を務めた)。その伸びやかで美しいファルセットをヴァリ本人も絶賛。ライアンは実力派ミュージカル俳優としての地位を確かなものにした。
「長時間パワフルなファルセットを出しながらも安定して聴かせるテクニックは、『ジャージー・ボーイズ』のために特別なトレーニングを受けて作り上げたものなんだ。ボン・ジョヴィなんかも担当しているヴォイス・トレーナーのプログラムで学んだ技術なのさ」。
「ジャージー・ボーイズ」の大成功を受け、役者としての人気/実力が先行しているように思われがちなライアン。しかし、シンガー・ソングライターとしての活動歴も長く、音楽性の幅の広さが感じられるオリジナル・アルバムを発表してもきた。
「僕がこれまでに出したアルバムは、どれもその時点での僕自身の生活や感情を映し出したものなんだ。例えば、プロデューサーのアンディ・ライトとコラボレーションしたシュガーハイ名義の『Sugarhigh』(2009年)は、とても内省的で、自分のディープな感情をえぐり出すように作ったもの。それが〈暗〉だとするなら、2010年の『Human』は〈明〉だね。両方の面があっての僕ってことだよ」。
このたび日本で初めてリリースされる『Turn On The Night』は、彼がライヴでもよく取り上げてきた、自身のお気に入り曲ばかりを集めたコンピレーション的な一枚だ。マルーン5を想起させる明るいポップ・ロックから、80年代ニューウェイヴ・タッチのシンセ・ポップ、ソウルのフィーリングが前面に表れたエモーショナルな曲、内省的なアコースティック・バラードまで、スタイルは非常に多様。曲によってカメレオンのように歌声を変化させていくあたりは流石である。
「シンガー・ソングライターとしての僕がこれまで表現してきたことを大きく捉えてもらうのに、良いセレクションになったと思っている。僕の音楽スタイルやコンセプトは常に変化していて、年によっても日によっても変わっていくわけだけど、どれも僕という人間を構成している要素であることは間違いないんだ。“One Heart”は60年代ソウルの感覚を持った楽しいムードの曲で気に入っているし、一方、ブルースに根差したダークなナンバーもある。それぞれの収録曲はまったく違う表情を持っているけど、僕はその時その時の自分に正直でありたいんだよ」。
では、そんな自分の音楽を総称するのにどんな言葉が相応しいかと尋ねると……。
「〈アグレッシヴ・ソウル〉。歌う時にはピュアな感情が出せるよう努力している。飾りすぎず、内に持つ感情を一瞬のパフォーマンスで表現しきることが大事なんだ。それは歌にも演技にも共通して言えることで、ライヴもまさしくそういうもの。今年中に日本でもライヴをして、音楽の持つ愛と喜びをぜひみんなで共有したいね」。
ライアン・モロイ
72年生まれ、ニューキャッスル出身の舞台俳優/シンガー。高校中退後にロンドンで演技の勉強を始める。90年代末にはボーイズ・バンドのウルトラに在籍。2000年代初頭に舞台「ヴェニスの商人」「マクベス」で注目され、スティーヴ・ストレンジ役を演じた「タブー」で人気を確固たるものにする。2004年にはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの再結成メンバーとして活動。2008年からウェストエンド版「ジャージー・ボーイズ」で主演を務める。並行して2008年に『Ryan Molloy Sings Frankie』、2010年に『Human』とソロ作を発表したほか、ロビー・ウィリアムズのコーラスも経験。このたび日本編集盤『Turn On The Night』(RUSH!/AWDR/LR2)をリリース。