プリンス・オブ・パープル

 「人生はパーティみたいなものだ……そうだろ? そしてパーティは永続きするものじゃない」(「1999」)と歌った男が、パーティから忽然と姿を消した。プリンス・ロジャー・ネルソン。享年58。

 プリンスがホストを務めたパーティ。それは休止期間をほとんど挟むことなく、続けられてきた。しかも今世紀に入ってからのプリンスは、商業的な全盛期である80年代に匹敵するペースでアルバムをリリースし、ツアーを行なっていた。だから突然の閉会には、さすがに言葉を失い、呆然とするしかなかった。

 プリンスのパーティは、果たして長かったのか短かったのか。プリンスがレコード・デビューしたのは1978年だから、時間にして約38年間。マイルス・デイヴィスやジェイムズ・ブラウンと比べると、短い。ただし、単に時間的な長さを基準とするならば、ビートルズはレコード・デビューしてから約8年間で解散。ジミ・ヘンドリックスにいたっては、わずか4年間で自らが主催するパーティを閉じた。だからプリンスのパーティは長かったとも短かったとも言えるが、プリンスと同時代を過ごしてきた同世代の一人として、こう断言しよう。あれほど華やかで、アトラクションが豊富で、中身がぎっしり詰まっていた濃密なパーティは、他に思い浮かばない。

 プリンスは、現実にもミネアポリスのペイズリー・パークで、よくパーティを開いていた。たとえば一昨年には、映画およびアルバム『Purple Rain』のリリース30周年記念パーティを開いた。これはインターネットで突然告知して、観客を集めて行なわれたパーティであり、プライヴェート・ギグだ。プリンスはコンサートを終えた後、たびたびアフターショウを行なうことでも知られていた。日本でも1992年4月6日に、横浜にあったGram Slamでこの種のギグを行なっている。もちろん、この時も突然情報を流して。CD3枚組によるライヴ・アルバム『One Night Alone』(2002年)には、「One Night Alone…The Aftershow It's Ain't Over」というCDが含まれている。プリンス&ニュー・パワー・ジェネレーションが、ジョージ・クリントンとミュージック(Musiq)をゲストに招いて行なったアフターショウの模様を収録したものだ。この『One Night Alone』のブックレットには、“The WNPG Origin Playlist(xcept)”なるリストが記載されている。Miles Davis/So Whatという風にアーティスト名と曲名が併記されたもので、ジェイムズ・ブラウン、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ジョニ・ミッチェル、サンタナ、パーラメント、レッド・ツェッペリン……とプリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーションが影響を受けたアーティストと曲のリストが記されている。たいへん興味深いことに、このリストには、ジルベルト・ジルの《Se Eu Quiser Falar Com Deus》とカエターノ・ヴェローゾ/ジルベルト・ジルの《No Dia Que Eu Vim Embora》も挙げられている。前者は、ジルベルト・ジルの『Luar』(1980年)に収録されているジルのオリジナル曲。この曲はシングル・カットされて、ブラジルで大ヒット。すぐに同国の国民的歌手エリス・レジーナがカヴァーした。カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルの共作曲である後者は、カエターノがデビュー・アルバム『Caetano Veloso』(1968年)で録音している。リストに列記されている曲の中で、欧米以外の曲は、この2曲のみだ。

 カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルが中心となって60年代後期に興したトロピカリア(トロピカリズモ)。この文化的ムーヴメントは、同時代の欧米の新しいロックに対するブラジルからの返答でもあった。現にカエターノとジルベルトの2人にムタンチスやトン・ゼーなどが加わった『Tropicalia:ou Panis et Circencis』(1968年)は、ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(1967年)に触発されて生まれたアルバムで、同時代の欧米のロックとブラジル(殊にブラジル北東部)の伝統音楽のミクスチャーが音楽的な軸となっている。《Tropicalia》というカエターノのオリジナル曲で始まる『Caetano Veloso』も、同じ音楽的文脈の中にあり、『Sgt. Pepper's』におけるジョージ・マーティンのオーケストレーションを思わせるサイケデリックなオーケストレーションが施された曲が目につく。

 僕の中では、プリンスとカエターノは、近しい存在であり続けてきた。拙著『音楽の架け橋 快適音楽ディスク・ガイド』のまえがきを、僕は以下の文章で始めている。

 “カエターノ・ヴェローゾの初来日公演を観たのは、1990年8月7日のこと。黄色のマントを羽織って颯爽とステージに現れたカエターノは、両性具有者的なイメージをまとっていたので、僕はごく自然にプリンスのイメージを彼に重ね合わせた。86年に横浜スタジアムで観た黄色のスーツ姿のプリンスを……”

 もちろん、プリンスが先述のリストに《No Dia Que Eu Vim Embora》を挙げるとは、90年の時点では夢にも思わなかったが、起伏に富んだ軌跡そのものがひとつの作品であることや、尖鋭的でエキセントリックな個性、両性具有的な官能性などの点において、僕は両者を近しい存在として受け取ってきた。また、前述したサイケデリックなオーケストレーションを音楽的な接点としてプリンスの『Around the World in a Day』(1985年)と、『Tropicalia ou Panis et Circencis』や《Caetano Veloso》は繋がっているとも言える。とはいえ、「No Dia Que Eu Vim Embora」は、プリンスと直接結び付く曲ではない。もしプリンスにインタヴューする機会があったなら、カエターノ・ヴェローゾやトロピカリアとの繋がりについて尋ねたかったが、謎を残してくれたことに対して感謝したい。たくさんの謎を残してくれたからこそ、僕たちはこれから先もプリンスの音楽を聴き続けるのだから。

 プリンスの訃報を知ってからほぼ24時間後の真夜中、心が少し落ち着いたので、彼の歌声を聴いた。最初に聴いたのは、カエターノ・ヴェローゾによる《Dreamland》を含む『A Tribute to Joni Mitchell』(2007年)に収録されている《A Case of You》。このピアノの弾き語りを基調としたジョニ・ミッチェルのカヴァーは、もともとNPGミュージック・クラブの会員のみに配信された『One Nite Alone...』(2002年)に《A Case of U》として収録されていたものである。。

 《A Case of You》の主人公の女性は、とあるバーで、他の女性に走った恋人のことを思い浮かべながら、ぼんやりコースターの裏に絵を描いている。最初は故郷のカナダの地図を、次にはその上に恋人の顔のスケッチを二度重ねて書いて、その場にいない彼に語りかける。あなたはワインのように私の中に溶け込んでいる。一ケースでも飲みほせるわ……こんな内容の歌だ。

 《A Case of You》が収められているジョニ・ミッチェルの『Blue』(1971年)は、女性のみならず、何らかの原因で心が傷つき、孤独を抱えているあらゆる人たちが擦りへるまで聴くといった類のレコードである。継父と折り合いが悪く、常に“独り”だったティーネイジャーのプリンスも、『Blue』を聴いて淋しさを埋め、自らを慰めていた一人だ。そしてプリンス少年は、ジョニ・ミッチェルにファンレターを何通も送った。おびただしい数の“4U”や“I♡U”を書き記した熱烈なファンレターを。

 4月26日、深夜のTV番組『Live On Jimmy Fallon』に出演したディアンジェロは、ピアノの弾き語りでプリンスの《Sometimes It Snows in April》を切々と歌った。曲の主人公が、その場にいない“ある人”に思いを馳せる。この点において、天国にいる友人のことを歌った曲《Sometimes It Snows in April》は、《A Case of You》と同じテーマに基づいて作られた曲だ。ディアンジェロは、《Sometimes It Snows in April》の上にプリンス・ヴァージョンの《A Case of You》を重ねて書くように歌い、2つの曲の強い繋がりをくっきりと浮かび上がらせていた。ディアンジェロは最後の方で声を詰まらせていたが、僕はこの弾き語りの美しさに涙した。

 高貴な紫色の雨は、プリンスを愛したすべての人たちの心の中で、まだ降り続けているだろう。しかし、残された者は、パーティを続けなければいけない。つまらない常識にとらわれず、聖と俗の間の壁を取り払い、差別や偏見、抑圧を乗り越え、真の自由と広く深い愛を追い求めるパーティを。いま、世界は1999年以上に酷く醜い世紀末的様相を呈しているからこそ。天国にいるプリンスも、“Let's Go Crazy”とかけ声をかけている。そう、The Show Must Go On――.

2014年作『Art Official Age』収録曲 “Art Official Cage”
 

Prince(プリンス)[1958-2016]
1958年6月7日、合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名はプリンス・ロジャー・ネルソン。78年、『フォー・ユー』でデビュー。79年、シングル「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」のヒットで注目を集める。84年、自伝的映画のサントラでもある6作目『パープル・レイン』が世界ヒット。アカデミー賞のOriginal Song Scoreを受賞。92年には発音不能のシンボル・マークをアーティスト名に冠して話題を呼ぶ。アルバム累計1億枚以のセールスを記録。世界中のポピュラーミュージック・シーンに大きな影響を与え続けた。今年4月死去。享年58。

 


寄稿者プロフィール
渡辺亨(Toru Watanabe)

1959年、札幌市生まれ。音楽評論家。著書に「音楽の架け橋 快適音楽ディスク・ガイド」(シンコーミュージック)。NHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の選曲と構成を番組開始時からレギュラーで担当、および自分のコーナーに出演。本誌や「ミュージック・マガジン」、「CDジャーナル」「ケトル」等に寄稿。