〈〉に入れられる英語、ボーダー空間に凝縮される現代の神話
国境に向う車のなかでの人びとの様子から始まる。そこでのシーンに耳を澄ませ、目を凝らしてほしい。会話はスペイン語が中心に成り立っている。そのため字幕が通常に日本語にするのはスペイン語だ。混じり込む英語は〈 〉付きのカタカナで表記される。これは英語でできた映画とは逆だということにまず気づく人もいるだろう。
私たちが圧倒的に目にすることの多いアメリカ映画の日本導入の際には、さいわいにもその映画が英語以外の言語も混じり込む場合でも、この反対の表記がよくされている。つまり英語が通常の日本語になり、その他の言語が〈 〉付きのカタカナで表記されるのだ。
そして、多くの場合、その言語はスペイン語だ。ひどい場合には、この〈 〉付きカタカナ表記すらされないで、あたかもいにしえのバーバリアンとの出会いのように流されることもある。とはいえ、がっちがちに日本語しかない環境から少し出れば、、そして、それは日本という国土の空間の中にすらあるのだが、私たちは即座にそんなバーバリアンたちとの出会いに出会うことになるのだが。
さて〈 〉付きの日本語となった英語を喋るのは、ぼろぼろになった熊のぬいぐるみであること、すぐに壊れて喋らなくなることにも注目すべきかもしれない。続けて登場するのはカーラジオの喋る言語として、だ。
映画を見始めた者のなかには、この作品の日本公開用の日本語フライヤーを見てきた人もいるだろう。裏面上部にはなぜかトランプのことばが掲げられている。これはトランプに排除される側からの視点に貫かれた作品であり、トランプごときから語り始めるのは長い長い民衆の歴史でもあるのだ。だからこそ、この作品は、一見リアルそうに見える描写に支えられているものの、ひとつの寓話であり神話であると考えながら見た方がいいだろうと思う。
キュアロン父子、あるいはキュアロン一家の作品群には、ハリー・ポッターもあれば、『トゥモロー・ワールド』や『ゼロ・グラヴィティ』もある。一方で『天国の口、終わりの楽園』のような作品もあり、確然と2系統とわけるわけにもいかないが、大作・SF・ファンタジー的な枠のなかで現実へのメッセージを仮託するものと、小振りかつリアリティに満ちたふうにみえる構成のなかで、現代を寓話化して描くというものというふうに捉えてみてもいいかもしれない。ボーダーという線ではない空間は、その舞台なのである。
この作品はだから国境地帯で何が起きているということをリアルに描いた(だけ)ではない。そうではなくて、私たちの日常のなかで何が起きているのかを、国境地帯という舞台に凝縮させて描いた、映画だからこそ可能な現代の神話劇なのだ。
映画『ノー・エスケープ 自由への国境』
監督・脚本・編集・製作:ホナス・キュアロン
音楽:WOODKID
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル/ジェフリー・ディーン・モーガン/アロンドラ・イダルゴ/他
配給:アスミック・エース(2015年 メキシコ=フランス 88分)
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◎5/5(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
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