時代の激流のなかで世俗音楽の世界へ飛び出し、歴史を切り拓いてきた現在進行形のソウル・レジェンド。唯一無二の圧倒的な歌唱が70年以上ものキャリアを通じて変わることなく表現してきたものとは?
今年3月、メイヴィス・ステイプルズが20余年ぶりに来日公演を行った。ギタリストのリック・ホルムストローム率いるバンドを従え、太く包容力のある声で時折シャウトや手拍子を交えて歌うメイヴィスは教会のプリーチャーのようで、観る者をグイグイと引き込んでいく。この声が公民権運動の時代から人々を鼓舞してきたのかと思うと、何だか胸が熱くなった。と、終演後にそんな感想を呟いた。ライヴではステイプル・シンガーズ時代の古い曲もやったが、懐メロ・ショウにならないのは、彼女がいまも歌い続け、定期的に新曲を出しているからだろう。今年で86歳。2023年には引退も考えていたというが、「私にはまだやることがある」と現役続行を決意したというから頼もしい。
昨年6月には懇意だったプリンスを思わせるファンクなシングル“Worthy“をマンダー(MNDR)らの制作で発表。今年1月にドゥービー・ブラザーズが新作の先行シングルとして出した“Walk This Road”にはゲスト・ヴォーカルとして客演していた。それらは来日公演では歌われなかったが、初日のステージではポッドキャストの企画でノラ・ジョーンズと歌った“Friendship”(2022年)のほか、初めて聴く“Human Mind”という曲を披露。これはホージアとアリソン・ラッセルがメイヴィスのために書き下ろした新曲で、来日公演の後に届いたフランク・オーシャンのカヴァー“Godspeed”と共に来るアルバムへの収録が予告された。その新作が、このたびリリースされる、ブラッド・クックのプロデュースによる『Sad And Beautiful World』である。
2007年から在籍しているアンタイからのリリースで、スタジオ録音のアルバムとしては6年ぶり。新作では、フランク・オーシャンの曲以外にも、メイヴィスと縁深いカーティス・メイフィールドの“We Got To Have Peace”、レナード・コーエンの“Anthem”、ケヴィン・モービーの“Beautiful Strangers”をカヴァーしている。ケヴィン・モービーの曲は、2016年に各国で起きた銃乱射事件やボルティモアでの黒人青年フレディ・グレイ死亡事件などを受けて書かれたもの。ステイプル・シンガーズ時代から公民権運動と連動したプロテスト・ソングを歌ってきたメイヴィスは、これを自分のオリジナル曲のように解釈し、原作者のケヴィンから激賞されたという。
ミシシッピ出身の父に由来する南部ルーツと共に地元シカゴへの思いを打ち出しつつ、ソウルやゴスペル、フォーク調の曲を歌う彼女の音楽はアメリカーナ的だとも言える。が、それだけでは言葉が足りない。70年以上に及ぶ音楽キャリアと86年の人生を背景にしたメイヴィスの最新作には、他に類を見ない深遠なソウルが詰まっている。
