あまりにも偉大なギタリストにして永遠のギター・ヒーロー。すでに多くの名演で知られる神の功績を、それぞれの時代ごとの魅力的な楽曲から改めてじっくり捉え直してみよう!
〈ギタリストは2種類しかいない。ジェフ・ベックと、それ以外だ〉――誰が言ったか知らないが、そんな哲学的な言い回しがよく似合うあたりも孤高の天才ギタリストたる所以だろう。不世出のミュージシャンとして世界中に数多くのフォロワーを生み、数多くのリスナーから敬意を集めてきたジェフ・ベック。2023年1月10日にこの世を去ってからも、かけがえのない存在感は膨大な名演と共に鮮やかに刻まれたままだ。そんな逝去から2年が経ち、かの名盤『Blow By Blow』から50周年を迎えるこの2025年のタイミングにあって、今回はおよそ40年間にわたって在籍したエピック時代(71~2003年)のカタログから名曲・名演を選りすぐった初の日本独自企画ベスト盤『The Best Of Jeff Beck Epic Years 1971-2003』が高品質BSCD2の2枚組でコンパイルされた。
比較するようなものでもないが、同じヤードバーズを出自とするエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並んで〈世界の3大ギタリスト〉の一角を成しつつも、より大衆的なヒットを数多く生んで商業的にも成功したクラプトン、レッド・ツェッペリンで天下を獲ったペイジに比べれば、職人的なイメージの強さもあってベックの功績は門外漢からはわかりにくいものに思われてきたかもしれない。それだけに、残された楽曲単位でその実績を追いかける今回のベスト盤は、プレイの凄さやテクニック的な面への評価とはまた違った、音源そのもののフラットな魅力からジェフ・ベックというアーティストを楽しみ直すためのきっかけになることだろう。
さまざまなバンドでの奮闘
ジェフ・ベック、本名ジェフリー・アーノルド・ベックは、1944年6月24日に英国のウォリントンで生まれている。両親と姉との4人家族で、小学校の頃からピアノやヴァイオリンを習っていたが身に付かず、ラジオでレス・ポールの演奏を聴いて感銘を受けたことからギターに興味を持つようになったそうだ。ロックンロールやロカビリーに親しんだティーンの時分に影響を受けたのは、ジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのリード・ギタリストだったクリフ・ギャラップ、さらにはバディ・ホリー、BB・キング、ブッカーT & ザ・MG’sのスティーヴ・クロッパーといった面々。彼は葉巻の箱などを用いてギターを自作し、それを両親にたびたび捨てられたりしながらも独自の楽器への愛を深めていった。
16歳になってウィンブルドン美術大学に入学したベックは、63年に人生最初のバンドであるナイト・シフトを学友たちと結成し、地元のクラブなどで演奏活動を始める。別のランブルズというバンドへの参加を経て、大学を辞めてからは新たなバンドのトライデンツを結成(後年のアンソロジーや近年の編集盤などで当時の音源も公式に残されている)。リズム&ブルースをレパートリーにリード・ギタリストとして才能を発揮していった。それと並行して、姉と同じアートスクールに通っていたジミー・ペイジを紹介されて意気投合したことが、その後のキャリアに繋がっていった。
いくつかのレコーディング参加の経験名度を経た65年、セッション・ミュージシャンとして活躍していたペイジの推薦によって、ベックはエリック・クラプトンの後任としてヤードバーズに加入する。ベック加入後の最初のシングル“Heart Full Of Soul”は英米で大ヒットとなり、ベックは2年足らずの在籍期間中に“Shape Of Things”や“I’m A Man”“Train Kept A-Rollin”などヤードバーズにとっての重要な録音を残した。ただ、活動への不満やストレスを溜め込んだベックは66年に“Beck’s Bolero”というインストをペイジやジョン・ポール・ジョーンズ、キース・ムーン(ザ・フー)、ニッキー・ホプキンスと録音。当時はそのメンツでレッド・ツェッペリンという名前の新バンド(!)を組む案もあったそうだが実現には至らず。ペイジが新加入したヤードバーズのツアー中に失踪したベックは、結局バンドを解雇されている。
翌67年になると彼はミッキー・モストをプロデューサーに迎えて、初のソロ名義シングル“Hi Ho Silver Lining”(先述の“Beck’s Bolero”がB面に収録された)をヒットさせる。そこでは自身がヴォーカルも担当していたが、その間にベックはジェフ・ベック・グループ(以下JBG)と呼ばれるバンドを結成。ロッド・スチュワート(ヴォーカル)、ロニー・ウッド(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、エインズレー・ダンバー(ドラムス)という布陣でアルバム制作に入った。途中でドラマーがミック・ウォーラーに交代するも、完成した68年作『Truth』(ジェフ・ベック名義)と続く69年作『Beck-Ola』はいずれも全米15位のヒットを記録。ベックの歪んだギターとロッド・スチュワートの嗄れた歌声のコンビネーションが支持されるも、人間関係は安定せずJBGは69年に解散。ブライアン・ジョーンズの後任としてローリング・ストーンズへの加入を打診されていた(!)ともいうベックは、その時期にヴァニラ・ファッジのティム・ボガート(ベース)、カーマイン・アピス(ドラムス)との新バンド結成を画策していたが、ベック自身の交通事故によって計画は延期になってしまった。

孤高の存在へ
70年になって健康を取り戻したベックは新たにコージー・パウエル(ドラムス)とリンクし、モータウンのスタジオに赴いてファンク・ブラザーズとの録音も経験。同時代のソウルに傾倒して集められたボビー・テンチ(ヴォーカル/ギター)、クライヴ・チャーマン(ベース)、マックス・ミドルトン(キーボード)を含む人種混合の編成で第2次JBGを始動する。同編成での初作『Rough And Ready』(71年)を経て、2作目の『Jeff Beck Group』(72年)はスティーヴ・クロッパーをプロデューサーに迎えてメンフィスのTMIスタジオで録音された。これらは第1次とは異なるJBGの魅力を出したものだったが、結局は解散。ベックはボガート&アピスとのバンド計画に立ち戻り、ハード・ロック志向のパワフルな演奏を聴かせるベック・ボガート&アピスで73年に同名アルバムを発表した。が、このトリオも衝突の結果、2作目の制作を目前としながら74年に解散となっている。
それからフュージョン・バンドのアップをプロデュースした後、この頃に傾倒していたマハヴィシュヌ・オーケストラのアプローチに着想を得て、彼らの『Apocalypse』(74年)を制作したジョージ・マーティンにプロデュースを依頼。元JBGのミドルトン(キーボード)、フィル・チェン(ベース)、リチャード・ベイリー(ドラムス)を従えたソロ名義での代表作『Blow By Blow』(75年)を完成させる。これは完全インストながらも全米4位というキャリア最高のコマーシャルな成功を記録し、彼をジャズとロックのクロスオーヴァーしたいわゆるフュージョン路線へと進ませることになった。
76年には元マハヴィシュヌ・オーケストラのナラダ・マイケル・ウォルデン(ドラムス)とヤン・ハマー(キーボード)を迎えてよりソリッドでシャープな『Wired』(76年)をリリース。さらにはヤン・ハマーのグループと組む形でのライヴ盤『Jeff Beck With The Jan Hammer Group Live』(77年)を録音し、評価を新たなものにした。その後はスタンリー・クラーク(ベース)やトニー・ハイマス(キーボード)、サイモン・フィリップス(ドラムス)とのツアーなどを経て、80年にハマーやハイマスと組んだ『There & Back』をリリースしている。
その後の80年代は大物ギタリストとしてティナ・ターナーやダイアナ・ロスらの作品に招かれる華やかな機会が増え、特にミック・ジャガーのソロ作では2作続けて大きくフィーチャーされる一方、自作の創作という意味では低調な時期となった。『Camouflage』(84年)での再会を前振りにしたロッド・スチュワートとのコラボ“People Get Ready”(85年)は話題になるも、ギター・ヒーローらしい喝采は活動休止期間を経てハイマスとテリー・ボジオ(ドラムス)を迎えた無骨なインスト回帰作『Jeff Beck’s Guitar Shop』(89年)まで待たなければならなかった。

マイペースな日々
90年代に入るとベックはジョン・ボン・ジョヴィからポール・ロジャース、ダフ・マッケイガン、ケイト・ブッシュ、さらにはたびたび組むことになるシールまで、より多彩になった客演とのバランスを取りながら、少年時代からの憧れを具体化したクリフ・ギャラップへのトリビュート作『Crazy Legs』(93年)などをマイペースに発表していく。エレクトロニクスとの融合を図った99年の『Who Else!』からはいつになくアルバム制作も活発化し、2001年の『You Had It Coming』、2003年の『Jeff』と、気ままに音の実験を展開。同作を最後にエピックを離れてからは、ある種のプレッシャーからも解放されたのか、パヴァロッティからトゥーツ&ザ・メイタルズ、ズッケロ、モリッシー、ハービー・ハンコック、トロンボーン・ショーティといった面々とジャンル不問で交流していく大御所然としたコラボが目立ってくるようになる。
アトコ移籍作となる『Emotion & Commotion』(2010年)ではジョス・ストーンやイメルダ・メイを迎え、続く『Loud Hailer』(2016年)では若手のボーンズUKとガッチリ組むなど、ヴォーカリストも交えた親しみやすい作品を発表していく様子は鬼気迫る往時のイメージを気負いなく脱ぎ捨てたかのようであった。その間の2013年にはブライアン・ウィルソンとのアルバム制作が公表されるも形にはならず、その後に取り組んでいたと思われるアルバムも断片的な形で来日記念シングル『Yosogai』やライヴ盤『Live+』に痕跡を残すのみとなった。
パンデミックで始まった2020年代もベックの録音は多く、ディオンやオジー・オズボーン、ヴァン・モリソン、イアン・ハンター、エリック・クラプトンらの作品でギターを聴くことはできる。そんななかでハリウッド・ヴァンパイアズ作品も通じて特に交流を深めていたのが俳優のジョニー・デップだ。2020年の4月にベックはデップとのコラボでジョン・レノン“Isolation”のカヴァーを公開し、そのままロックダウン前から手をつけていた二人でのアルバム制作を進めていった。そして2022年7月にはデップとのコラボ・アルバム『18』のリリースに漕ぎ着けるが、これがベックにとって最後のアルバムとなった。
溢れるクリエイティヴィティーと譲れない気質に任せて多くのミュージシャンと衝突を繰り返してきた若き日から、ギターとの対話そのものを表現として己の演奏を追求した日々、それらをくぐり抜けた最後のアルバムが、18歳の頃のマインドで盟友の歌唱に寄り添うカヴァー曲メインのソング・オリエンテッドな作品だというのも良い終幕のように思えてくる。あらゆるイメージを取り払って、いまこそ彼の残した作品にじっくり耳を傾けてみたい。
ジェフ・ベックが参加した作品を一部紹介。
左から、トライデンツの“Tiger In Your Tank”を収録したコンピ『Having A Rave-Up! The British R&B Sounds Of 1964』(Grapefruit)、ドノヴァンの69年作『Barabajagal』(Epic)、スティーヴィー・ワンダーの72年作『Talking Book』(Motown)、デヴィッド・ボウイとの73年のライヴ録音を含む2022年のサントラ『Moonage Daydream』(Parlophone)、スタンリー・クラークの75年作『Journey To Love』(Nemperor)、ナラダ・マイケル・ウォルデンの76年作『Garden Of Love Light』(Atco)
ジェフ・ベックが参加した80年代の作品を一部紹介。
左から、コージー・パウエルの81年作『Tilt』(Polydor)、ロッド・スチュワートの84年作『Camouflage』(Warner Bros.)、ティナ・ターナーの84年作『Private Dancer』(Capitol)、ダイアナ・ロスの84年作『Swept Away』(EMI)、ミック・ジャガーの86年作『She's The Boss』(Columbia)
ジェフ・ベックが参加した90年代の作品を一部紹介。
左から、ジョン・ボン・ジョヴィの90年作『Blaze Of Glory』(Mercury)、ポール・ロジャースの93年作『Muddy Water Blues』(Victory)、ケイト・ブッシュの93年作『The Red Shoes』(EMI)、シールの94年作『Seal』(Warner Bros.)、ジョン・マクラフリンの95年作『The Promise』(Verve)、ブライアン・メイの98年作『Another World』(Parlophone)
ジェフ・ベックが参加した2010年代の作品を一部紹介。
左から、ハービー・ハンコックの2011年作『The Imagine Project』(Sony Classical)、トロンボーン・ショーティの2011年作『For True』(Verve)、ベス・ハートの2016年作『Fire On The Floor』(Provogue)、イメルダ・メイの2017年作『Life. Love. Flesh. Blood』(Decca)、バディ・ガイの2018年作『The Blues Is Alive And Well』(RCA)、ハリウッド・ヴァンパイアズの2019年作『Rise』(Ear Music)
