昨年12月日本でも公開された『Miles Ahead / マイルス・デイヴィス 空白の5年間』のエンディングのクライマックスは、1981年6月のマイルス・カムバックの瞬間だった。その年の10月、マイルスは1975年1月以来、6年ぶりに日本の土を踏む。1975年秋にジャズ・フォトグラファーとしてもデビューを飾った内山繁に、帝王の拝謁賜る待望の機会が6年かけて巡ってきた。以来内山は、1991年のマイルスの逝去まで、東京、名古屋、大阪、ニューヨーク、カルフォルニア、香港と、帝王の奇跡の10年を追い続けた。タイトルの“No Picture!(撮るな!)”とは、1981年の日本ツアーの時、名古屋で初めてマイルスに言われた言葉であり、内山は心底震え上がったという。そしてマイルスの最後の絶頂期に到達する過程と同軌して、内山はマイルスとの距離を狭めていく。その頂点は、1985年3月のマリブの自宅取材であろう。内山と、音楽評論家の小川隆夫、当時スイングジャーナル誌の編集長だった中山康樹は、ニュー・アルバム『ユー・アー・アンダー・アレスト』に関するニューヨークでのインタヴューをキャンセルされる。翌日、マリブの別荘でならOKと連絡が入り、万難を排して、カリフォルニアに向かったそうだ。そして、ドアを開けると満面の笑みを浮かべたマイルスが立っていた。この時のフォト・セッションの写真は、ステージのマイルスとは対照的であり、まさにマイルス・スマイルズ。マイルスは、このセッションの写真を気に入り「日本人が俺に、こんな表情をさせるのだ」と語っていたという。以降、内山は、ホテルで「ユア・フォトグラファー」と名乗れば、部屋に通されるようになり、同年7月のライヴ・アンダー・ザ・スカイでは、ステージ前列にいた内山に、トランペットを向けるポーズをするほどの信頼を得ることになる。本書は帝王マイルス・デイヴィスの最後の10年のドキュメントであると同時に、若き日本人フォトグラファーとの交流の記録とも言える快著である。