ジャズ界の帝王が残した伝説のライヴCDセット! 完全生産限定盤でアンコール・プレス!
このボックスセットは、マイルス・デイヴィスが、ジョン・コルトレーンが在籍した黄金クインテットの後、ようやくメンバーを固めて結成したバンドを従えて行った、1965年のシカゴのヴェニュー、プラグド・ニッケルでの、2日間、7セットにも及んだライヴを完全収録したもの。最初、1976年に抜粋版が日本でのみリリースされて、82年に世界発売された。今回SACDのハイブリッド版でリリースされるのは、2023年にタワーレコードで限定発売されていたものの復刻で、元になったのは92年発売のボックセットだったが、この時も日本発売が世界に優先されている。

65年当時、マイルスのグループはサックスにウェイン・ショーターを迎え、欧州ツアーと、この新メンバーによる初のスタジオ録音『E.S.P』を完了したばかりのころだった。アルバムにはメンバーによる作品が並び、「俺はもう曲を書く必要がなかった。アレンジして、最後に一筆加えるだけだった」とマイルスは、自伝で語っている。しかし、バンド内の空気の入れ替わる速度と、マイルス・ファンの気分が一新する速度には随分な齟齬が生じた。ファンが聴きに来るのは、このライヴで演奏されたセットリストにあるようなかつてのバンドが演奏していたものだった。
バンド・リーダー曰く「バンドはうんざりし始めていた」。ウェイン・ショーターによれば「イライラして、不満が募っていた」。だからバンドは昔のレパートリーのテンポをどんど上げて、もはやそれ以上早く演奏できな速度で演奏していた。しかしマイルス曰くそうやって「バンドは古い曲を新鮮に演奏する方法を見つけた」。 ビジネスとクリエイティヴの間で、活路を見出そうとしていた時期を記録したのがこの録音だった。散々演奏した曲はバンドにある演奏法を根付かせて、メンバーのリアクションは、ある種予定調和になっていたという。ショーターの伝記によれば解決方法を見つけたのはトニー・ウィリアムスだった。
「アンチ・ミュージック」。つまり予測範囲内のものには応じない。ハービー・ハンコックは加えて「トニーは妨害しようとしているんじゃなくて、メンバーの突破口を見つけようとしていた」。そんなバンドメンバーの心理を頭に入れて聴くと延々演奏が途切れないことにも合点がいく。演奏しないことに対抗できるのは演奏することだけだから。