Page 2 / 3 1ページ目から読む

楽観主義や喜びは存在し得る

 実際、ふたりの革新的なエレクトロニック職人が、各々のエキセントリシティーと美意識を全開にしたサウンドスケープは圧巻だ。構成要素としてはエレクトロニック・サウンド、鳥の鳴き声、クワイアの歌声に加えて、ハープやチェロなども聴こえるが、自由の象徴として選ばれた重要な楽器はフルート。ビョークが人生最初に学んだ楽器であり、本作ではアイスランドの女性アンサンブルが演奏している。

 「船に乗ってとある島へ向かう情景を私は想像していたわ。そこには裸の女性たちがいて、不思議な植物の宝庫で、いままでに見たことのない花々が咲いていて、〈そんな島で鳴っているのはどんな音楽だろう?〉と考えてみた。それは、半分は遠い昔の音楽、半分はSF的であるべきだと思ったの。それに『Vulnicura』の時の私は、ハートブレイクを体験した全女性の悲しみを無意識のうちに受け止めていたから(笑)、メロディーが固定されていたんだけど、今回はそういう状態から自分を解放したかった。楽観主義や喜びが存在し得るのだと信じたかったのよ。そしてこの島に行けば何か新しいものが芽吹いて、ぐんぐん育って、色とりどりの植物に囲まれるのだと信じたかった。アポカリプスのあとに豊穣の時代が到来する……みたいな感じね(笑)」。

 アポカリプスというと大袈裟に聞こえるかもしれないが、本作においては〈世界の終わり〉というよりも〈ひとつの時代の終焉〉と捉えるべきだろう。環境破壊や性差別について近年積極的に発言している彼女は、行き詰まった社会のシステムをリセットしようとも提言している。

 「もはや機能しなくなっている父権制的なヒエラルキーに対し、自分の抵抗感を表そうとしたの。そういう成り立ちの世界は機能不全に陥っているから、解決策を探しているのよ。そんななかでトランプ大統領は、絶滅しつつある恐竜の最後の生き残りみたいなものじゃないかしら。遅ればせながら、いま世界全体が20世紀のグランド・フィナーレと向き合っているような感じね」。

 もちろんその提言のマナーはあくまでもビョーク流。説教臭いメッセージ・アルバムにはなっていない。先行シングル“The Gate”で〈私の胸の傷は癒えてひとつの入り口へと変わり、そこから私は愛を受け取り、愛を与える〉と歌ってモード・チェンジを宣言した彼女は、“Arisen My Senses”や“Blissing Me”で久しぶりに愛に浸り、“Body Memory”で自分の肉体に刻まれた記憶や本能の偉大さを説き、“Claimstaker”では自然との絆を確認。マシューとの親権争いを題材にしたと思われる“Sue Me”は父権制社会の負の面に目を向け、“Saint”は音楽を女性性の聖人になぞらえて賛え、“Tabula Rasa”では〈世界を可能な限り浄化して次の世代に引き継ごう〉と訴える。「この年になると自分のことだけを考えているわけにはいかないのよね」とビョークは言う。

 「自分が身を置くコミュニティーや国、ひいては世界全体の動きに自分を寄り添わせないと変化は訪れないって、私はここへきて悟ったの。となると社会的な意識が強まるし、一種のヴァイブレーションを与えたいという欲求も抱くものなのよ」。

 闇から光、悲しみから歓喜、静から動、そして内から外へ。一気に視野が開けて、もう一方のエクストリームに振り切れた彼女の壮大なヴィジョンは、感性と知性を刺激するのみならず、思考の糧にもなることだろう。

 

『Utopia』に参加したアーティストの作品。

 

ビョークのアルバム。