Photo by Joe Dilworth
 

近年、英国のポップ・シーンは賑やかだ。アデル、エド・シーラン、サム・スミス――シンガー・ソングライターたちがアメリカやここ日本を巻き込んで特大ヒットを飛ばし、活動休止中のワン・ダイレクションのメンバー、ナイル・ホーランとハリー・スタイルズはアーティストとしての才能を開花。一方、破竹の勢いのグライム/UKラップはポップ・シーンの中心に躍り出ようとしている。マーキュリー・プライズを獲得したスケプタ、グライム・アーティストとして初のUKアルバム・チャート1位に輝いたストームジー、他にも批評家からの絶賛を呼んだJ・ハスや新人ロイル・カーナーら、ここ数年で活躍したUKのラッパーたちは枚挙に暇がない。……では、UKロックはどうだろう? 答えに詰まるのが、正直なところなのではないだろうか。

そんななか、フランツ・フェルディナンドが5年ぶりの新作『Always Ascending』をリリースする。2003年にシングル“Darts Of Pleasure”をリリースして以来シングル・ヒットを飛ばし続け、インディー・バンドとしての矜持を保ちながらUKロックの最前線で活躍してきたフランツ。彼らがフィリップ・ズダールと制作した勝負作は、勢力図を塗り替えるゲーム・チェンジャーとなるのだろうか?

待望の新作『Always Ascending』を聴くその前に、フランツというバンドを多角的に捉えてみようというのが今回の特集企画だ。第1回は彼らのデビュー当時、2004~2005年頃のシーンについて。ポストパンク/ニューウェイヴのサウンドに影響されたロック・バンドが英国から多数登場し、メディアやチャートを賑わせていた。そこに登場したフランツがいかに革新的だったか? そんな時代の空気感に木津毅の筆が迫った。ぜひ当時の楽曲の数々を聴きながら楽しんでいただきたい。 *Mikiki編集部

第2回:ダンスフロアも愛したフランツ・フェルディナンドー〈ニュー・エレクトロ〉との蜜月から予想する、2018年のさらなる飛翔

FRANZ FERDINAND Always Ascending Domino/Hostess(2018)

 

フランツ・フェルディナンドが新作を出すと聞いて、〈ポストパンク・リヴァイヴァル〉と呼ばれたシーンのことを思い出す人はどれくらいいるのだろう。その内実はともかく、2000年代初頭から顕在化しはじめ、2004年をピークとしたUKインディーにおけるポストパンク・リヴァイヴァルの渦中にフランツがいたことは間違いないが、いまではあまり回顧されることもなくなってしまった。その要因として、当時音楽誌を賑わせたバンドの多くが存在感を失ったということもあるし、現在イギリスにおいてインディー・バンド自体が影響力を弱めているということもあるだろう。しかしながら、いまでも新作が待望されるフランツ・フェルディナンドという人気バンドの出自を考えたとき、彼らを〈ポストパンク/ニューウェイヴ〉と形容せずにはいられなかった当時の気運を見落とせないことも確かなのだ。本稿では、彼らの新作『Always Ascending』を傍らに置きつつ、2002年から2005年頃のさまざまなシングルやアルバムをCD棚から引っ張り出して、彼らの出発点となった当時の空気を振り返りたい。

 

リバティーンズ崩壊、
そしてロックンロール・リヴァイヴァルとディスコ・パンクが交わった

まず、フランツ・フェルディナンド登場の背景には2つの大きな流れがあったことを念頭に置きたい。ひとつはUKにおける何度目かのインディー・バンド・ブーム、もうひとつはUSでのポストパンク・リヴァイヴァルの勃興だ。

前者について少し遡ると、アメリカにおけるストロークスの登場に応える形で、UKでリバティーンズ、コーラル、ミュージックといった個性を持ったインディー・バンドが続々とデビュー作をリリースしたのが2002年。それはブリットポップの失速以降、あきらかに存在感を失っていたUKインディー・バンド・シーンの久しぶりの盛り上がりで、多くのキッズに7インチ文化を思い出させ、バンドTシャツを着こませた。単純に数としても新人ロック・バンドが急増。いまよりも影響力のあったNMEの大プッシュもあり、〈バンド〉という形態自体が再びフレッシュなものとなっていたのだ。それは新世紀のロックンロール・リヴァイヴァルと喧伝されたが、ポスト・ロックやエレクトロニカの実験性に重点が置かれていたUKの音楽シーン(2000年から2001年もっとも評価されたバンド作品はレディオヘッドの『Kid A』『Amnesiac』である)を一旦リセットしたという意味合いもあり、どこかで76年から77年のパンク・ムーヴメントと重ねられていた。

リバティーンズの2003年の楽曲“Don't Look Back Into The Sun”
 

そして後者だが、インターポールやヤー・ヤー・ヤーズらがその下地を準備したところもあるとはいえ、大きかったのは何と言ってもジェームズ・マーフィーが主宰するレーベル、DFA周辺の動きだろう。ラプチャー、LCDサウンドシステム、!!!といったハードコア・パンクを出自とするバンドたちが、パンキッシュな要素を担保しつつダンス・ミュージックに接近。彼らはそのサウンドから〈ディスコ・パンク〉と呼ばれたが、それは70年代末から80年代前半頃のポストパンクからも多くのヒントを得たものである。

この2つの潮流の交錯点がUKにおけるポストパンク・リヴァイヴァルである。NYでは、ディスコ・パンク勢がラプチャー“House Of Jealous Lovers”、LCDサウンドシステム“Losing My Edge”(いずれも2002年)、!!! “Me And Giuliani Down By The School Yard(A True Story)”(2003年)といった傑作シングル群を次々に発表。その一方で、イギリスではNMEに毎週のようにゴシップを書き立てられたリバティーンズは内部から崩壊し、彼らのファンだったインディー・キッズの間にも不安が広がっていく。サウンドとしても存在としても、新しいバンドが求められつつあったのだ。すなわち、UKにおけるロックンロール・リヴァイヴァルのネクストである。

ラプチャーの2002年の楽曲“House Of Jelous Lovers”
 

 

フランツ・フェルディナンドの衝撃的デビューと、
ポストパンク・リヴァイヴァル・バンドたち

そんななか、2003年に“Darts Of Pleasure”で耳の早いインディー・リスナーから注目されたフランツ・フェルディナンドは、2004年初頭にリリースした“Take Me Out”で一気に話題をさらうこととなる。硬質なギターとストンプ・ビートが甘いメロディーと絡んだかと思えば、1分を過ぎたあたりで大胆にテンポダウンし、4ビートのユニゾンで聴く者を全員無理矢理踊らせるようなコーラスに突入する。腰を抜かしそうなほどキャッチーなメロディーと、〈テイク・ミー・アウト!〉の必殺シャウト。キッチュすれすれの一癖も二癖もある構成ながら、どこまでもポップという大胆さ。アート・スクール出身らしく、ポップ・アートからの影響が感じられるミュージック・ビデオも大いに話題になった。名刺代わりの1曲にしてはあまりにもインパクトが強かったキラー・チューンをして、フランツは新たなインディー・スターとなった。デビュー・アルバム『Franz Ferdinand』は同年2月リリース。UKインディー・バンドのデビュー・アルバムとしては、批評的にもセールス的にも大きな成功を収めた作品となった。

フランツの後を追うようにして、〈ポストパンク/ニューウェイヴ〉のラベリングがされたバンドが次々と人気を博していく。DFA周辺がどちらかといえばノーウェイヴなどのアメリカ産ポストパンクを参照していたことに対して、UKにおけるポストパンク・リヴァイヴァルが自国のポップ史を引っ張り出してきたことは興味深い。ジョイ・ディヴィジョン、パブリック・イメージ・リミテッド、ギャング・オブ・フォー、XTC、キュアー、エコー&ザ・バニーメン、ニュー・オーダー……彼らのサウンド・シグネチャーを引用しながら、リヴァイヴァル勢はどこかで英国におけるインディー文化を再考していたのだろう。それは、それこそブリットポップ以来のブリティッシュ・カルチャーのルネッサンスという側面もあった。

実際、当時はUKから実に様々なバンドが〈ポストパンク/ニューウェイヴ〉の名のもとに登場している。XTC譲りの諧謔溢れるセンスのもとに、元気なコーラスでパンク・ソングを聴かせるフューチャーヘッズ。初期ブラーやスーパーグラスなどのブリットポップの影響が色濃いキャッチーなメロディーで人気を博したカイザー・チーフス。ワープとサインし、より整頓されたサウンドとリズムの妙味で聴かせたマキシモ・パーク。ジョイ・ディヴィジョンを思わせる複雑なドラミングが鋭角的なギター・カッティングと絡むブロック・パーティー。いまではニューウェイヴというイメージからやや離れたエディターズも、ダンサブルなリズムやメロウで叙情的なメロディーから当時はポストパンク・リヴァイヴァル・バンドと見なされていた。

フューチャーヘッズの2004年作『The Futureheads』収録曲“Decent Days And Nights”
 
マキシモ・パークの2005年作『A Certain Trigger』収録曲“Apply Some Pressure”
 

これらのバンドはいずれも2004年から2005年にデビュー作をリリースしており、いま改めてギターの音色やドラミングを聴けば、共通するトレンドがあったことがよくわかる。ディパーチャーのように、率直に言ってすぐに忘れられてしまったバンドもいたが、逆に言えばそれだけ勢いのある流行だったということだ。あるいはアメリカからは、国内ではなくUKの動きに応える形で、ニュー・オーダー風のシンセ・サウンドを取り入れて思い切りキャッチーで大仰なメロディーをぶち込んだキラーズが現れるなど、こうしたムーヴメントはイギリスのみに留まらなかった。

ただ、彼らが果たして本当にみな〈ポストパンク/ニューウェイヴ〉だったのか……は、少し回答の難しい質問である。つまり、たしかに70年代末期から80年代前半のポストパンクのサウンドからインスピレーションを受けているとはいえ、そもそものポストパンク/ニューウェイヴはパンクの行きづまりをアイデアや思想、哲学やアートを頼りに乗り越えんとするアティテュードのことだったからだ。2004年から2005年の音のトレンドはあった、確かに。だがそのとき、ポストパンク/ニューウェイヴの精神性まで行き届いていたのかについては、正直に言って素直に首を縦に振りかねる。

 

ポストパンク・リヴァイヴァル収束、
一方フランツ・フェルディナンドは“Do You Want To”でトップ・バンドへ

デビュー作でトップ・バンドに名を連ねることとなったフランツ・フェルディナンドは、2005年9月にはシングル“Do You Want To”、そしてセカンド・アルバム『You Could Have It So Much Better』をリリースしている。よりロック的な性急さ、そしてユーモアを増したそのサウンドを聴けば、彼らが当時既にあった自分たちのイメージから離れようとしていることがわかる。それを契機としてか、ポストパンク・リヴァイヴァルは次第に収束していく。同年10月には、アークティック・モンキーズを名乗るシェフィールド出身の4人組がたった1枚のシングル“I Bet You Look Good On The Dancefloor”でメディアの注目を独占し、シーンはまた大きく風向きを変えていくことになる。ポストパンク・リヴァイヴァルは一定の役割を果たしたとはいえ、じつに短命なシーンだったのである。

“Do You Want To”は2005年当時、ソニー・ウォークマンのテレビCMに使用され、日本国内でもヒットした
アークティック・モンキーズの2005年の楽曲“I Bet You Look Good On The Dancefloor”
 

かつてそのなかにいたはずのフランツ・フェルディナンドは、しかし、エレクトロやディスコにより接近するなど、その後も新たなサウンドやテーマを標榜しながら生き残っていく。つまり、アートや思想を巧みに取り込みつつ、それを常に進化させようと苦闘してきた彼らは、21世紀の英国においてもっともポップな領域でポストパンク/ニューウェイヴの精神を受け継いでいたと言える。それがトレンドに左右されないものだったことは、彼らのその後の活動が証明している。

それに、『Always Ascending』がメンバー交替を経たバンドにとって久しぶりの新作となったことを思えば、その道のりは決して平坦なものではなかったはずだ。奇しくもLCDサウンドシステムがよりポストパンク・サウンドに接近した復活作『American Dream』をリリースし、キング・クルール、マウント・キンビー、ニコラス・ジャーなど先鋭的なミュージシャンがUS/UKといった枠に囚われずポストパンク・サウンドを積極的に参照している現在、フランツ・フェルディナンドがポップという舞台でポストパンクをどう調理するのか/しないのか、あるいは、〈ニューウェイヴ(新しい波)〉の精神をどう引き継いでいるのか。その答を、“Take Me Out”から14年後(!)の現在にこそ探してみたい。

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